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日本男児よ、レディファーストたるなかれ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:うらん(ライティング・ゼミ)

たぶん日本を訪れた外国人旅行者なのだろう。飲食店に入ろうとする日本人カップルの様子を動画に撮って、それを投稿している。そして、こうつぶやいているのだ。
「日本はレディファーストの国ではない。メンズファーストの国だ」と。
見ると、確かにどのカップルも男性が先に店に入り、女性がそれに続いている。
レディファーストの国であれば、まず男性がドアを開け、女性を通し、それから自分が入るのが筋だ。おそらく投稿者はそういいたいのだろう。

私は、短い期間ながら、海外に住んだことがある。このとき、このレディファーストを身をもって経験した。とにかく徹底している。
女性がドアの前に立つと、同行していた男性がドアを開け、女性を通す。それから自分だ。男性が同行していない場合でも、女性がドアの前に立つと、側にいる男性がすかさずドアを開けて、女性を通すのである。
私が現地の10歳の男の子と歩いていたときのことだ。ドアの前で、その男の子はとても自然な動きで、私に先んじてドアを開けたのだった。
おお。こんな小さなときから、レディファーストの振る舞いが身に付いているのか。こちらは慣れていない。あたふたした。
ドアばかりではない。重い荷物を持つとき ――ときには、決して重くはないよというときでも――、男性の手がすっと伸びて、その荷物を運んでくれる。
飲食店に行けば、注文したものはまず女性から供されるし、エレベーターでは、乗るときも降りるときも、女性が先だ。
いちど、車から降りようとしたときに、現地の知人男性が手を差し出してくれたことがあった。お姫様みたいだ。さすがにこれは照れくさい。“大丈夫です”というようなことを言ったら、“日本人らしい反応だ”と、笑われてしまった。自分がとてもダサいことをしてしまったような気がして、恥ずかしく感じたことを覚えている。

二年間の滞在で、私はこうした習慣にすっかり馴染んでしまい、図に乗った。まるでお嬢様になったような心地であった。

帰国して間もなくのことだ。夫と京都へ旅行した。
宿に着くと、和服姿の女性従業員の方が出迎えてくれた。ようこそと我々をもてなし、お疲れでしょうと労い、そして、こちらへどうぞと、先を歩く夫のカバンを手に取って我々を部屋へと導く。
え? 私じゃないの? 私のカバンじゃないの? 私の気持ちは混乱した。
部屋へ入ると、その方がお茶を入れてくれた。急須から茶碗にお茶を注す。それを茶托に乗せる。そして、どうぞと、それを夫に差し出したのだ。
これにも面食らった。私じゃないのね?
このとき、日本に帰ってきたのだなぁと、しみじみと感じたものだ。

ちょうどいい機会だ。日本の男性にお願いしたいことがある。

どうかこれからも、私たち女性に先んじてドアを開けるなんてことは、しないでほしい。
今までどおり、私たちが自分でドアを開けるのを見ても、知らん顔していていただきたい。

“日本の男性にはレディファーストの心得がない”という人たちに尋ねてみたい。
何を根拠に、自分に他者は奉仕すべきだと思うのだろう。女性に生まれたからというだけで、そのような特権があるとでもいうのだろうか。他人に何を期待しているというのだ。

今となっては、私は京都で自分が感じたことを、心中深く恥じ入っている。二度とこんな勘違いをして思い上がらないよう、自分を戒めていたいと思う。

自分の進む先のドアぐらい、自分で開けられる。いや、開けたい。開けなければいけない。
自分で開け、その向こうの空気に身を晒し、そして、自分の足で踏みだしてゆく。ほんのちょっとの覚悟と勇気のいることだけれど、誰にも取り上げられたくない、私たちの特典なのだ。

たかがドアのことで大袈裟な、などとは言わないでほしい。
その“たかがドアのこと”に目をくらまされているうちに、大事なものを見失ってしまうかもしれないのだから。
ドアを開ける。荷物を持つ。そうした一つひとつの行為を総称して、ひとたび「レディファースト」という名称が付けられてしまうと、私たちにとってレディファーストが何であるかが熟慮される前に、言葉だけが独り歩きする。
そして、それが正しいことだと信じ込まれてしまえば、何かが少し違う方向に進んでいったとしても、行為が具体的なだけに、それがそのまま邁進してしまうかもしれないのだ。

レディファーストという名のもとに、何も考えずに自分のことを他人に委ねる。本来なら、自分で判断したり、覚悟を決めたりしなければいけないことも、他人に丸投げする。そんな腑抜けになってしまいそうだ。
自分の進む先のドアは自分で開ける。自分の荷物は自分で持つ。そうして自分の持てる量を知る。分相応ということを知る。
何をするにも、自ら行うことには、少しの覚悟を伴うものだ。
でも、覚悟を決めたとき、それがほんの些細なことであっても、どこか快感のようなものがあることを私は知っている。
覚悟を決めるとは、(例えばレディファーストという)安易な答えに甘んじることなく、自分で考えて、勇気を出し、自ら判断することだ。考えることを奪われると、勇気すらも見失う。せっかく自分の中に宿っているというのに。

世の中には、できることと、できないことがある。
うんと頑張ればできるかもしれないことがある。そもそも初めからやらなければよかった、ということもある。やっているつもりでも、実は適当にお茶をにごして自分で自分をごまかしているだけのこともある。
どれができることで、どれができないことかを判断するのは難しい。
でも、できないかもしれないと心のどこかで思っていても、諦めてはいけないことだってあるのだ。
だから、はじめから女性はか弱いものだと決めつけ、レディファーストの名を借りて、私たちから考えたり覚悟を決めたりする機会を奪わないでほしい。
少なくとも、日本の男性は、レディファーストなんて言葉にかこつけて私たちをそんな腑抜けにしたりはしない。

もしも、“日本の男性は、女性に先んじてドアを開けない。文化的に洗練されていない”と嘆く人がいたら、こう言ってやるつもりだ。
「そうよ。開けてくれないわ。羨ましいでしょ」と。

***

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2017-05-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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