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夜の河原町に刺繍の花が咲く


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:キクモトユキコ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
織り上げられた夜の河原町に刺繍の花が咲いていく。
 
「6月5日って何の日か知ってる?」
「えっ?」
 
知り合いでもなんでもない、ただ飲み屋のカウンターで隣り合わせになっただけのお兄さんに唐突に話しかけられた。既に始発の電車が動き始めている時間だった。カウンターから見える扉の磨りガラスの向こうは明るい。
 
新天地京都での生活が始まり仕事にも慣れてきた頃、私は一人夜遊びにはまっていた。大抵は土曜の夜、仮眠をとって終電で繁華街の河原町に出る。それから朝まで数軒、ふらふらと木屋町界隈を飲み歩くのだった。帰りには、日中の姿からは想像もできないくらい人も車もまばらな夜明け前の河原町交差点を一人歩くのがとても愉快だった。
 
一人夜遊びといっても、私が楽しむのは一人酒ではない。行く先々で出会う人たちとの会話を楽しむのだ。あまり気取ったお店には行かないので、カウンターに座れば自然と他のお客さんたちとの会話に花が咲く。自分の知らない仕事の話、土地の話、身の上話、お酒が進めば少々下世話な話も。私が気に入るお店に集う人たちはみんな個性的で、いくら話しても飽きることがなかった。何回も通うようになると自然と顔馴染みの人は増えるけど、連絡先も知らない、名前も愛称くらいしかしらない、そんな気軽さが心地良かった。
 
京都の街は大きな一枚の織物ようだと思う。
碁盤の目に沿って縦糸と横糸が張り巡らされ、平安貴族や幕末の志士、名もなき市井の人々たちが歳月をかけて織り上げた織物。
夜の街を歩くたび、飲み屋のカウンターで初対面の人と会話が盛り上がるたび、私は京都という織物に刺繍をしている気分になる。織物を形づくる縦糸横糸にはなれないけれど、小さな小さな刺繍でほんのちょっと、河原町の夜を彩るのだ。夜の河原町は数多くの刺繍で華やいでいる。
 
その日は大阪在住の友人と5軒ハシゴして、最終流れ着いたのはいつものお店。朝まで営業している、というかお客がいるなら昼近くまで開いている素敵な場所だ。私が夜の河原町を漂うときは決まって最後はこのお店になる。友人はこのお店で途中まで一緒にいたが始発で帰ると言って既に帰ってしまっていた。私はいつも通り居心地が良すぎて帰るタイミングを失っていた。
 
明け方にやってきたお兄さんは、私の隣に座りマスターと親しげに話していた。ふわふわの髪の毛が印象的だった。私はというと、ふわふわといい気分で周りの会話を何とはなしに聞いていた。
 
「6月5日って何の日か知ってる?」
「えっ?」
その唐突な言葉はマスターに向けてだったのか、私に向けてだったのかは分からない。誰に向けてでもなく言ったのかもしれない。ちなみにこの日は6月5日ではなかったのは確かだ。
 
「ミッドウェー海戦が始まった日だよ」
 
私はドキリとした。
なぜ偶然隣り合わせただけの男性の口からこの単語が出るのだろうか。他の誰でもない、私の隣でこの単語が出るということにとてつもない意味があった。「最近、ミッドウェー海戦にはまっててん」と、私の内心なんてお構いなしにお兄さんは続ける。カバンから一冊の文庫本を取り出しパラパラとめくってみせた。『ミッドウェー戦記』とあった。マスターは名前は知ってるけど詳しくは知らんなぁと相手をしている。
 
「あの」と。声をかけてみた。
「私のおじいちゃんが、ミッドウェー海戦に行ってたんです」
「えっ?」というのは今度はお兄さんの番だった。
 
「私のおじいちゃん、海軍で飛行機乗りしてたんです。飛龍の」
私の祖父は空母「飛龍」雷撃隊の一員だった。他の人にとっては歴史を勉強するときに触れる程度の単語でも、私にとってはとても身近な単語だった。
 
「マジで!?」
本当なんです。ミッドウェー海戦で戦って生きて帰ってきたんです、と言うとお兄さんは私の手を取らんばかりに興奮して「すごい巡り合わせ!!」と目をキラキラさせた。それからお兄さんはミッドウェー海戦について、飛龍について語り出した。一緒に聞いていたマスターも途中で呆れだすくらいに熱かったので、詳細は割愛する。
 
この辺に、とお兄さんはページを繰る。
「生き残った人たちの名前が書いてあったはず……あった、ここ。おじいちゃんの名前ある?」
そこには確かに私の祖父の名前があった。
「この名前?よし、忘れんように線引いとくわ」とお兄さんはバッグからペンを取り出し私の祖父の名前の横に線を引いた。戦争から生きて帰ってきた祖父も、私が社会人になってからすぐに他界した。大往生だった。
それを聞いたお兄さんは残念がって、
「今度実家に帰ることがあったら仏壇でもお墓でも良いから、オレのことおじいちゃんに伝えてよ。『恰好良いです。尊敬します』って」
「お盆には実家に帰るので言っておきますね」
そう言って私はお兄さんと別れて帰宅した。もうすでに日は高く、朝食より昼食の方が近い時間帯だった。結局お兄さんが何者だったかは分からない。マスターが彼を呼ぶ名前は何となく覚えているけれど、それが本名かも不確かだった。
 
実家に帰省した際に、祖父の本棚を覗かせてもらった。戦争についての書籍が多く、祖父自身が取材された書籍もいくつか置かれている。そのうちの一冊を私は祖母から了承を得て持ち帰った。発売された際に何冊か送ってもらったそうで、家に何冊もあっても仕方ないからねえと祖母は言っていた。その書籍は祖父のように戦争で戦い、生きて帰ってきた人たちを平成になってから取材して書かれたものだ。一章一章がそれぞれのインタビューとなっている。
もちろん実家の仏壇で、あのお兄さんのことを祖父に伝えた。
 
実家から帰ってきて、私は飲み歩きに出るときは持ち帰った本を持っていくようになった。いつかあのお兄さんに会えたらプレゼントをしようと思って。でも結局そのお兄さんに会えないままもう3年が過ぎようとしている。それはそれで仕方がないし、そういう巡り合わせで河原町に刺繍の花が咲くのだから期待はしすぎず、私は街を飲み歩く。
 
夏の夜に京都の編み目をかいくぐって、一針一針、愉快な気分で刺繍をする。
ある時は大学教授と、またある時は恋に悩むお姉さまと。おじいちゃんとだって飲むし、大学生とだって飲む。その日その日の出会いが小さな刺繍の花になって咲いていく。
京都の町はいろいろな巡り合わせで彩られている。

 
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2017-05-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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