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好きな人に近付く方法


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《日曜コース》

記事:木村保絵(ライティング特講)
 
 
好きにならずにはいられない人。
時々、神から二物も三物も与えられたような人に出会うことがある。
そんな人が目の前に現れたとき、わたしはいてもたってもいられなくなってしまう。
あの人はどうしてあんなに魅力的なんだろう。
一体わたしとは何が違うんだろうか。
どうしたらあの人と仲良くなれるだろうか。
どうすれば、わたしのことも好きになってもらえるだろうか。
 
そんな大好きな人と、わたしはある本屋さんで出会った。
ちょうど一年くらい前だったと思う。
彼女は「面白い文章を書けるようになりたい」とその本屋さんに通ったと言う。
わたしはと言えば、当時好きだった人にいいところを見せたいとか、なんだかそんな不純な動機だったような気がする。
 
気付けば彼女は、あっという間にその本屋さんでの人気者になった。
その場にいたみんなが「あ、あの!」と嬉しそうに声をかけるほどになっていった。
わたしはそんな彼女のことをいいなぁ、羨ましいなぁと思いながらこっそり陰から眺めていた。
 
程なくして彼女の方から声をかけてくれた。
「ずっとお会いしたかったんですよ!」と、笑顔でそう言ってくれた。
——いや、ずっと同じ空間にいましたけどね、と声に出したかどうかは今となっては覚えていない。
 
太陽と月。
そんな大それたとこは言わない。
太陽と陰。全くタイプの違う私たちだったけど、たまたま生まれた年が同じだったということと、お笑いが好きだ、という共通点から少しずつ会話を重ねるようになっていった。
それでもやっぱりわたし達は本質的には何かが違うようで、同じお笑いコンビを好きだったとしても、「わたしはボケが好き!」「え、ツッコミの方がいいよ!」といつも反対の方を選んでいた。
 
そんな彼女が、原作・脚本・演出・主演を務めた舞台が、ゴールデンウィーク中の二日間に上演された。
舞台『十八歳の処女だったわたしが同い年の男子に授乳していた日々』
 
彼女の原作がインターネット上に公開された時、わたしはすぐさまそれを読んだ。
「な、なんだこれは……」
 
どう考えても奇妙な設定なのに、ふふふっと笑ってしまう。
どう考えたっておかしな話なのに、心があたたかくなってしまう。
こんな作品を生み出せる天才がこんなにも近くにいたんだ。
そう考えると、鳥肌が立ち、彼女の秘めた才能に身震いが止まらなくなった。
 
一体これをどうやって演劇に仕上げていくんだろう。
彼女の作品が舞台化されると聞いた時、高鳴る胸を抑えることができなかった。
原作を読んだ多くの人たちも同じことだったと思う。
 
事実、連休中にも関わらず、多くの人が彼女の舞台を観に集まった。
二日間の公演は無事満員御礼、拍手喝采で終了。
「よかった。面白かった。いや、本当に良かった」
感激した人が次々とそう口にした。
中には「お芝居は苦手だった」「演劇はほとんど見たことがない」という人もいた。
そんな人たちも、彼女の舞台を鑑賞することで、心を動かされ、作品に惚れ込み、そして、彼女を好きにならずにはいられなくなっていた。
 
大満足のお客様がお帰りになった後、
プツっと糸が切れたように、彼女はしばらく床に突っ伏して、微動だにしなかった。
 
——あぁ、彼女も人間なんだ。
思わずそう思ってしまった。
 
恐らく声に出してしまったら「何だと思ってたんだ、ばかやろー!」と怒られるかもしれない。
でも彼女は、同じ人間とは思えないくらい、いや、思いたくないくらい、才能に満ち溢れていた。
だから文章を書くことも、演劇を創り、舞台に立つことも、もっと気軽に、もっと楽に、楽しんでいるのかと思っていた。
それはきっとわたしの願望だったんだろう。
それくらい才能のある人は、楽にこなしてほしい。
そうじゃないと、才能の無いわたしは、永遠に這いつくばって死に物狂いで生きていくしかないから。だから、もっと気軽に楽しんでいてくれ! と心のどこかで願っていた。
 
だけど実際の彼女は、当日本当にお客様が来てくれるのか、本番でうまくできるか、お客様を満足させられるか、裏方に必要以上の負担をかけないか、期待に応えることができるのか。そんな、いろんな不安やプレッシャーと限界まで闘い続けていた。
 
だから、全てから解放された瞬間、彼女は床に突っ伏してじっと動かなかった。
しばらく自分一人だけの世界に入り込み、他をシャットアウトした。
それから少しだけ時間が経つと、またムクッと起き上がり、キャストに声をかけたり、お手伝いしてくれたスタッフに声をかけたり、自分のすべきことを淡々とこなしていった。
 
「敵わないな」
そんな彼女の姿を見て、素直にそう思った。
 
彼女のように、活躍する人ほど、多くの感動を生み出す人ほど、
世界の隅々まで気を通わせている。
直接触れなくても、声をかけなくても、
意識を張り巡らせているから、彼女の世界に触れた誰もがあったかい気持ちになる。
 
演劇もそうだった。
原作ではそんなに目立たないキャラクターも、
舞台の上では憎めない愛らしい役に生まれ変わっていた。
演じる人の素質や才能を見抜き、最大限に生かせるように演出をする。
 
どのキャラクターも、どこか欠点があってもそれ以上に愛すべきポイントが、必ず用意されている。
だから観ている人が、どの役と自分を重ねても決して傷つくことがない。
 
全力で演じた後は、お客様と丁寧に話をし、最後の最後まで気を抜かない。
お客様が帰ったら、今度はキャストやスタッフを労う。
 
観客を喜ばせるために、関わってくれた人にも楽しんでもらうために、全力を尽くす。
綴られた記事や、舞台の上だけが作品じゃない。
彼女は自分の理想とする世界を創り上げ、全力を注いだ。
彼女の人生、彼女自身を作品とするかのように、いつまでも気を巡らせていた。
 
こういう人がきっと「クリエイター」と呼ばれる人なんだ。
創造を通じて、人々に感動や喜びを提供する人。
誰かの人生の中で、何かが変わるきっかけを創り出す人。
だから、「読み終わったらおわり」「観終わったらおわり」ではなく、
出来る限り作品と現実とが途切れないように、うまく馴染んで日常に溶け込むように、ギリギリまで世界観を作り上げ提供し続けるんじゃないだろうか。
 
同時に、改めて強く思った。
どんなに才能があっても、能力があっても、それを形にできなければ意味がない。
誰かにきちんと見せられるような形にできなければ、
それは「力がある」ということにはならない。
そうなればチャンスもやってこないし、成長の機会も失ってしまう。
 
実力に慢心することなく、きちんと見せるための努力をし、死に物狂いで形に残す。
どんな時も、おかげさまの感謝の気持ちを忘れない。
そうすることで、誰かが見ていてチャンスの場を与えてくれる。
どんなに能力のある人でも、チャンスを与えてくれる人に出会えなければ、その与えられた限られた機会の中で形を残せなければ、大きく前進することはできない。
 
能動的に全速力で走り続けながら、与えられたものをきちんと受け止め、期待に応える。
それができるということが、「才能がある」という意味なのかもしれない。
 
あーあ。
本当ならそんなすごい人、嫌いになれたら楽なのに。
 
けっ、みんなは褒めるけどあそこが気にくわない。
ふん。どうせ、すごい人がすごいだけ。あたしになんて、何もない。
そうやって突っぱねてしまえたらいいのに。
 
だけど、「クリエイター」である彼女の手にかかってしまえば、わたしのそんなトゲトゲした気持ちだって、あっという間にまるくてあたたかな気持ちに作り変えられてしまう。
 
「ここちょっと手伝ってもらえませんか?」
「これ、ちょっと書いてみてもらえませんか?」
 
そうやって、どんどん彼女の世界の中に巻き込まれていく。
 
「君のここがすごい」
「君のここが好きだ」
 
そうやって巻き込んだ一人ひとりに、
前を向いていくための気付きをプレゼントしてくれる。
 
放っておいてくれたら、彼女は別の世界の遠い人と思って生きていけるのに。
そんなことされてしまったら。
そんな風に背中を押されてしまったら。
もう後には戻れなくなってしまう。
「嬉しい」そんな気持ちを抱えながら前を向いて進んでいくしかなくなってしまう。
自分も得意なことで頑張ってみよう! とそんな風に思うしかなくなってしまう。
 
あーあ。
本当は大好きなテレビを見て、美味しいお菓子を食べて、穏やかでしあわせな結婚生活を夢見る毎日。そんな日常でも満足だったのに。
 
それなのに。
大好きなテレビを流していても、目も意識もパソコンに集中してしまう。
美味しいお菓子を食べながらもひたすら書いて、
穏やかでしあわせな結婚生活を夢見ることすら、うっかり忘れてしまいそうになるくらい毎日書いて。
寝て起きては書いて、電車に乗っては書いて、お昼休みに書いて、寝る前に書いて。
 
おかしな本屋さんで、
才能もあるのに謙虚であったかいおかしな人達に出会ってしまったせいで、
わたしの人生は大きく狂ってしまった!
 
その本屋さんで大好きな人たちの背中を追いかけているうちに、
段々とこんな記事が読みたい! とリクエストをもらうようになり、
さらに「これくらいできるでしょ」とどんどんミッションも課されていくようになった。
ありがたいことに、ただの趣味から始めたはずが「お仕事として書いてほしい」と言われるようにもなった。
 
すごい人たちを遠くから眺めながら、わたしなんて、と思いながら日々過ごしていく。
そんな人だったはずなのに。それでも満足だったはずなのに。
 
そもそも本屋さんに通っていたはずなのに、なんでこんなに必死になって書いてばかりいるんだ!
 
おかしいぞって心のどこかで思うのに、
もっとおかしな人達は、もっともっと書いて、ずっとずっと先を走っている。
 
悔しいことにその人たちは、好きにならずにはいられない魅力的な人たちばかりだ。
歩みを止めてしまったら、大好きな人達がどんどん遠ざかってしまう。
自分だけが足を止めるわけにはいかない。
だから、とにかく書いて、追いつかなきゃ。
 
こんなはずじゃなかった。
30歳を過ぎてこんなに必死に毎日全力で生きるなんて思いもしなかったのに。
 
だけど、5月の連休明けに憂鬱を感じることを忘れてしまうくらい夢中になれるものがあるなんて、それは奇跡に近いくらい有難いことなのかもしれない。
 
大好きな人に出会った恐ろしい場所。
それは、不思議な本屋さんが行う「読まれる文章」の書き方講座。
人生を変えるライティング教室『天狼院ライティング・ゼミ』
 
人生を変えたいと本気で思い、真剣に動いていれば、チャンスを与えてくれる人がやがて現れる。
その瞬間を逃さず掴み取ることが出来れば、人生は加速して動き出す。
そうすれば、どんどん大好きな人たちに近付いていくことができる。
 
どうして書けば人生が変わるのか。
そもそもなんで本屋さんで書くことを学ぶのか。
その答えがわかるようになってきた時。
「大好きな自分」
それまで描いてもみなかった「なりたい自分」がどんどん近付いてくるはずだ。
 
 
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この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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2017-05-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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