メディアグランプリ

人生はタケノコのように


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記事:永野貴彦(ライティング・ゼミ 日曜コース)
 
 
気付けばもうすぐ40歳か。
テレビの街頭インタビューに答える同い年の人を見て、その老け具合に引いてしまったことはないだろうか。自分もこんな風に見えているのかと、唖然とする時がある。誰しも自分の姿、年齢を客観的に見れないものだ。たいていの場合、自分はまだ若いと思っているのではないだろうか。
40歳とは、人生の折り返し地点だと思う。山登りならば、ちょうど山頂に差し掛かった辺りだ。
これまで歩いてきた山道が、どんな道筋だったのか、立ち止まって振り返るとよく見渡せる年齢だ。
そしてこれから先の道筋も、おおかた眺めがきくのではないだろうか。
どうだろう、自分が思い描いた人生を歩んできただろうか。
そしてこの先、思い描いた人生を歩んでいけるのだろうか。
人生には思いもよらぬ出来事が多々起こるものだが、それでも大筋、自分が思い描いたような人生を歩んできたなと、振り返れる人がどれくらいいるだろう。
 
例えばこんな今だったら、どうだろう。
朝起きる、いつも同じ時間。いつも同じ時間に出社して、だいたい同じ時間に帰ってくる。
子どもは寝ている。妻はテレビを見ている。
仕事には、まぁそれなりにやりがいを感じている。
将来やりたいこと、ぼんやり有るような無いような。
今は惰性で仕事がさばける力がついてしまった。特に緊張感は感じない。
がむしゃらに仕事に打ち込んでいた頃が懐かしい。それが良いのか悪いのか、わからない。
それほど真剣に考えていないのかもしれない。
結婚生活は特に問題ない。だが妻とは会話が少ない。お互いに合わないのだろう。そのうち離婚するのだろうと思っている。大きな理由は特にないが、このまま一緒に居てもダメな気がする。子供がいるので、今後どうするかを考えないといけないが、そこまで頭が回らない。毎日疲れる。当面の言い訳はこれだ。
仕事は一応管理職で部下もいる。とは言っても数人の部下で、こじんまり楽しくやっている。
社内での先々は見えている。入社当時から見えていたと言った方がいいのかもしれない。
どんなに頑張っても、せいぜい本部長クラスにしかなれない。あの忙しさで、どれくらいの給料がもらえるか分からない。あまり魅力は感じない。あそこまで会社に身を捧げる覚悟がないのかもしれない。
もしかすると、こんな友人の境遇を聴く機会もあるかもしれない。
 
人間も40歳ともなれば、それなりの結果が出はじめている頃だ。
それが思い描いた通りの人生だったのかは分からないし、
彼の人生にどんな出来事があって、何を思い、歩んできたのかは分からない。
もしかすると、胸中に隠している熱いものを頼りに人生を歩んでいるのかもしれない。
 
特に何も考えずに進む、それもいいだろう。
考えてもどうにもならないからとりあえず進む、人生はある意味そうかもしれない。
もしかすると多くの人がこんな考えなのかもしれない。
しかし、それでも40歳にもなると、嫌でも先が見えてくるのが人生だ。
 
考えても仕方ないと言われれば、確かにそうかもしれない。
しかし、嫌でも見えてくる人生の後半戦に、何か意義を見出したくはないだろうか。
とりあえず今のまま生きてれば、不自由なく飯も食えるし、それなりに幸せ。
確かにそんな生き方もあるだろうが、そんなおめでたい人間にはなりたくないと、いつも考えてきた。
 
そういえば思い出した。
大学生活も前半戦を終えて、就職活動が盛んになった頃、同級生たちがこぞって就職先を決めていた。
掲示板に張り出された、大学推薦枠のある企業リストからだ。
「俺はこの会社、大手だし、待遇もいいからね」なんて言葉を腐るほど聞いた。
それが普通なのかもしれない。
しかし自分には理解できなかった。意義が見いだせないことに向かって進む勇気がなかった。
考えに考えた。数年間考え続けた。
なぜ働くのだろうか。人はどんな思いで働いているのだろうか。自分はいったい何をしたいのだろうか。
当時の学長が卒業式の講和で語っていた。
「親に迷惑かけてでも、在学を伸ばしてでも、自分は何をしたいのか、どんなことを仕事にしたいのか、ゆっくり考えなさい」と。その言葉だけ明確に覚えている。印象的だった。
実際にそうした。
 
山道の話にもどる。
40歳にして、なぜ自分はこの山に登ってきたのだろうか。よく分からない人もいるだろう。
気付けば登ってきたのがこの山だった、人生なんてそんなオチなのかもしれない。
ただ少なくとも、自分が今歩んでいる道が、どんな山に繋がっているのか知りたくはないだろうか。
思い描いた通りにはならないかもしれない。しかし、少なくともあんな山に登りたい、と描きたくはないだろうか。自分が今やっている、もしくは、これからやろうとしていることが、
この人生をどう彩ってくれるのか、後から歩いてくる人たちにどんな示唆を与えるのか、与えたいのか、描きたくはないだろうか。それすらも考えずに、どこかの山道を歩き続ける、そんなおめでたい人間のままでは虚しいと思うのだ。
 
もう春だ。
旬を迎えたタケノコも、灰汁を抜かなければとても食えない。
人間も灰汁抜きをして、おめでたさを取り去って、人生に深い味わいと意義を見いだせばいいのだ。
食卓を彩る、タケノコのように。
 
 
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2017-05-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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