プロフェッショナル・ゼミ

海は僕の中の欲望を映し出す。《プロフェッショナル・ゼミ》


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海は僕の中の欲望を映し出す。

記事:城裕介(プロフェッショナルゼミ)

100mも離れてない距離だった。その存在感は圧倒的だった。海の中から見上げたそれは飛行機のように大きく、優雅だった。

石垣島ではじめてやったスキューバダイビングで最初の最初に飛び込んだ光景が1匹のマンタが海を泳ぐ姿だった。1時間くらいのダイビングで最初に見れたそれ以降見ることはできなかったから、たまたま運がよかったんだと思う。

海の中で大きく、優雅に泳ぐマンタは僕を圧倒した。じっとその存在が海を泳いで去っていくのを見えなくなるまで眺め続けていた。海の外でじたばたとあがいているのにまるでうまくいかない僕にとってその存在は一つの希望にさえ見えた。

「お前にはやっぱり難しいのかな」

ため息交じりにつぶやく言葉に僕は傷ついていた。その言葉にもだけれど、そうやってつぶやいた上司の顔色に失望と諦めの色が見えたからだ。

僕はいつのころからか、そうやって人の顔色から感情を読み解くのが得意になった。でも、得意になったのはその感情を読み解くことだけで、改善策はちっともわからなかった。

僕は昔から人のことを理由は今ひとつわからないけれど、傷つけてしまうことがあるらしかった。そういうのが嫌で、周りに合わせて、波風が立たないようにすることを少しずつ覚えてきたけれど、その努力は社会人になって、実を結ぶことはなかった。

「お前は何でそんなことをしたんだ! そんなこともわからないのか?」

上司から怒号が飛ぶ。その怒りは理不尽なものではない。僕は自分の業務量過多で焦っていて、本来当然確認するべき項目を見落とし、会社に損害を出してしまっていた。しかも、そういう類のミスは1度や2度ではない。

だから気を付けなければいけないのはわかっているし、ミスしてはいけない場面なのもわかってはいた。だけど、なんでミスをしたのか自分でもその理由がわからないままだった。

「わかっているつもりでした」

それは「わかっているつもり」であってわかっていない。上司からはそう言われるのがオチなのはわかっていた。でも大体自分の中で解決策は見えていない。

「わからない」、本当はそう答えたかった。でもそんな答えが社会人になってまかり通らないことくらいはわかっている。

ミスをしないように、しないようにと意識してはいた。ちょっとしたことでもすぐに忘れてしまうから、メモをするようにした。でもメモを取ればメモをなくして困った。じゃあいろんなところに書くようにしようと思えば、どこに何を書いたかわからなくなった。

次にはなんでもいいから復唱して忘れないようにしよう、とどんな些細なことでも復唱して確認するようにした。これは一定の効果はあったんだけれど、人の時間を奪ってしまい、人によっては不愉快になるらしい。

ちょっとしたミスはなくならず、焦りだしてしまうと僕はミスを連鎖的に起こしてしまう。落ち着かなきゃと思っても逆効果で、

結局いろいろと対策したが、成果は微々たるもので、それは周りからの信頼を得るには至らなかったし、僕自身仕事のできなさを痛感していた。

「傷つくふりだけはうまいよな。結局何にも聞いてないくせに」

「ずっとまじめにやってたらできるから」と言っていた上司もそういう風に変わっていった。上司の皮肉に心がざわついた。感情なんか読めなければよかったのに、そう思った。なまじ読めるから傷つくんだ。「意識はしてます」なんて言い訳にもならないことくらいはわかるのに。

なんでこうも試行錯誤を繰り返しても人並み以下になってしまうのはなぜなのか? 自分で自分のことすらよくわからなくなった。

本当は信用されたいだけなのに。誰を信用しても結局最後には失望される。だったらいっそ誰も信じないほうがよかった。でも、人並みの収入があって、それでのらりくらりと過ごせたらいいだけなのに、そんなに高望みしていないはずなのに、それすら叶えられない。

どうしたらいい? どうしたらいいんだ?

職を変え、場所を変えても、この現象は変わらなかった。何人も何人も、僕は怒られ、がっかりされ、そして多くの人が離れていった。僕はこの世界で生きるのが苦しくて、嫌でしょうがなかった。周りにこんな低レベルなことを真剣に悩んでいる人間はいなかった。

5年間その悩みをひそかに抱え続けてきたけれど、僕は誰にも相談しなかった。それは自分の努力が足りないのだ。だって周りにはそういうことが当たり前にできている人がいるのだから。

「それはお前の努力が足りないんじゃない?」

そう言われたら何も言えなかったし、僕自身がそう思っていた。それが覆ったのは病院で診断を受けたときだった。

「あなたのお話や診断の結果を見る限り、軽度の自閉症だと思われます」

「いや、でもネットで調べた内容ほどひどいことはないと思っていました」

自閉症の人は目線を合わせることが出来ない、

自分のことだけ一方的に話すだけになりやすく、抽象的な言葉が理解できないという。

目線を合わせることは苦手だけれど、見れないことはない。

抽象的すぎる言葉が苦手ではあるけれど、理解できないことはない。

部分的に当たっているところもあるけれど、そこまで極端じゃないし、だからそれは違うんじゃないか。

「すべて当てはまらないから違う、ということではありません」

僕の怪訝そうな顔を読み取って先生は話を続けた。

「確かに城さんの場合おっしゃる通り、そこまでひどいというわけではないと思います」

「ですがそれが仕事に支障を及ぼしているのは間違いないのではないでしょうか。興味のあることや、焦点の向けていることにしか集中できないということです。そして興味の範囲も狭いので、興味を持つのも難しくて広げにくいということもあります」

確かに周りを見ることは不得意だった。なぜほかのみんなは僕よりも周りを見ることができて処理できていた。そして、言われたこと1つにしか集中できないため、それが何らかの理由でそれてしまうと、それまでやっていたことを思い出せないということもしばしばあった。

「確かに一般的に語られているほどにはひどくはないかもしれません。でもそれで仕事に少なからず、支障が出ている以上それは障害だと診断しています」

人に嫌われたくないと思っていた。人から後ろ指をさされるのも怖かった。だからといってやりたくないことをやろうとしてもできないのだ。どれだけやらなければいけないかわかっていても、集中できないし、その結果おざなりな結果にしかならない。

だから、もう自分を抑えるのはやめようと思った。「やりたいことをやって生きる」ことにした。今までそうすることはわがままだと思っていた。でも、「そうしなければ生きていけない」のだ。

とはいえ自分のやりたいことは何だろう? と自分に問いかけても人の目線ばかり気にしていた僕に急にそれらしい答えは出てこなかった。自分のことを振り返って選んだのが「書く」という行為をしてみようと思った。

学生のとき「誰かに何かを伝えようとする」ことは好きだった。でも、対面で話すときにはうまくしゃべれないこともあったから、文章で伝えるということをよくしていた。文章のほうがまだ自分のことを整理して話すことがやりやすかった。

だから「書く」ということを仕事にしてみようと考えた。考えが浅いと思う。でもわからないのだからやってみるしかないのだ。そう思って入ったのが天狼院書店のライティングゼミだった。

「いやー仕事は辛いですね」

天狼院書店、店主であり講師である三浦さんはいつ何かにそう言っている。まもなく500連勤に到達するという。なのに、その顔はどう見ても楽しそうなのだ。

そのことに嘘偽りはないだろう。500連勤を全く苦しいとも思わず、本当に楽しそうにやっているのはわかる。本音で語る言葉はそれだけで人を信じさえる力があるのだ。僕は逆の感情を向けられることが多かったから、どこか新鮮だった。

多分僕の知る限りで、誰よりも仕事を楽しんでいる人の一人だと思う。そうやって仕事でも、なんでも本当に楽しそうに語る。それが一見むちゃくちゃのようであの人の中には実現するプランがあの人の中には見えているようだ。僕はその力が欲しかった。

三浦さんはあのときのマンタのように輝いているように見えた。僕の常識から完全に外れている存在だった。だけど、僕はその存在をそのときほど素直に感動して受け取ることができなかった。

そうやって笑うことができるほどやりたいことがあるということは僕にとって必要なものだ。なのに心のどこかであきらめたくなる自分がいた。その一方で「伝えたい」という気持ちがあった。矛盾しているけれど、どちらも本心でだからこそ、ライティングゼミで「書く」ことで生まれる結果はよくわからなかった。

ただその「やりたいこと」を見つけて、能力を磨かない限り、僕が生きていくすべは存在しないと思った。そうじゃないことをし続けて失敗してきたのだから。

そのときはアルバイトでなんとか食いつなぐしかないのが現状だったし、アルバイトでも、仕事でも書くなんてしたことがない。でもやってみたい。そんな小さな勘違いかもしれない想いを実行してみるしかなかった。

自分の中の見たくないもの、恥ずかしくて隠しておきたいものがすごくたくさんあった。過去の恋愛、自分の失恋の話、過去逃げ出してきた話。

「面白い」と言ってほしかったし、そして、「やりたいことをやれている自分」を夢見ていたから。そうやって書いた記事が少しずつ読まれるようになって、感想ももらえるようになった。「面白かった」、「共感する」と言ってくれる人がいた。それが嬉しかった。

もっと本音で語れるようになりたいと思った。でも、嫌なことほど本音で語ることが難しかった。

それこそ最初は「自閉」のことは話題にできなかった。本当は書きたいことだったけど、どうやって理解してもらったらいいかわからなかったし、「面白い」と思わせられるものをかける気がしなかった。

思えばずっとそのことに苦しめられてきたのだ。だからこそこうやって書くことを選んだわけだけれど、僕は僕自身を長い間裏切ってきたのだ。幸せになれると心の底から信じることはできなかった。だから絶対に自分を変えてやる! なんていうくらい強い気持ちで行きたかったけれど、それも難しそうだった。

ただ信じようとするのを辞めたら僕にほかに行き場はない。自分でも中途半端な態度だなと思うけれど、仕方がなかった。

僕は「やりたいことをしたい」という「僕自身」を心の底からは信用できなかったのだ。ときどき「書きたいけれど、書きたくない」という気持ちに襲われることがあった。そう思っているのだからまた辞めてしまうのかもしれないという不安がいつもあった。

僕が僕を信じられるようになるには、自分自身に納得できる実績を積み重ねるしかなかった。つまり「本音で書く」ということを繰り返していくしかなかった。

少しずつ実績を重ね、「面白い」という言葉に勇気をもらった。少しずつ自分の書きづらいことを面白く書けるようにと、なくした自信を本当に少しずつ取り返してきた。

自分の恋愛の失敗談。過去の自分が自信を失っていたこと。もう思い返したくなかった恥ずかしい失恋の思い出。

その中で特に告白したくない記憶があった。自分が加害者になって大好きな人を苦しめてしまった記憶。思いっきり否定されるかもしれない。受け入れられないかもしれない。もしかすると人として軽蔑されるかもしれない。

ただその一方でその体験が「今の僕」を作っているという感覚があった。そのことを詳細に文章にしていくのは苦しかった。好きな人を傷つけて自分が傷つく気持ちもそのまま思い返されて、書くのを辞めたくなった。

はじめて石垣島でスキューバダイビングをしたとき、僕は一度溺れかけた。酸素ボンベが少しずれてしまい、海水が口に入ってきたのだ。さらに間が悪いことにゴーグルにも水が入り視界まで悪くなった。深くまで潜ってどこにいるかわからない。仮に上に登ろうとしたところで危ないことに変わりはない。僕はパニックになりかけた。

幸いにインストラクターの人がすぐに対処して事なきを得たけれど、その時の溺れる恐怖感はすごく身に染みた。

書くことはスキューバダイビングに似ていた。自分の心の中に潜り込み、自分の中にあるものを探す。自分の感情が整理しきれず、溺れることもある。でもそうやって繰り返していくうちに変化していくことがあった。

自分自身が何を考えているのか、何が大事で何がそうではないのかわかってくるのだ。

今年の4月になって自分のブログを立ち上げ、まだそれで食えているわけではないけれど、そのことを公開できる勇気が出てきた。

今までは「それで本当に食っていけるのか?」とか「覚悟はできているのか?」とか聞かれるのが怖くて、公開できなかった。

それは自分が公開できるだけの自信をつけたからということではない。それもなくはないけれど、それ以上に「自分のことをどう見られているか」考えることに興味がなくなってきたのだ。

僕はもう「書く」というスキューバダイビングに虜になってしまっているのだ。自分の中に新しいものを見つけることが楽しくてしょうがなくなってきたのだ。それも多分自分の自閉という特性ゆえのものだ。

僕はあのとき出会ったマンタのように、僕は自分を新しいものに変えてくれる「何か」を捜しているのだ。今も昔も、そしてこれからも。

ただ昔とほんの少しだけ変わったことがある。昔はその何かを「見つけられるのか」本気で信じてはいなかった。だから変えなければどうにもならない切迫した状況であるのはわかっていたのに、どこか投げやりだったように思う。

そうやって探して新しいものが見つかっている。そのことが楽しくなってきている。潜り続けることで自分にとって気がかりだった情報であるものが、自分にとってそこまで意味があるものではないことがわかってくる。

僕は周りを見ることができず、やりたいことしかやれない。今までそれは僕の負の遺産だった。でも今はその特性があるからこそ、「書く」というその行為そのものを単純に楽しむことができている。

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