メディアグランプリ

おばあちゃんの歯ぐき


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記事:渡辺 弥生(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
6年前の夏、おばあちゃんが死んだ。蝉がじりじりとうるさい、うだるような暑さの午後だった。築90年にもなる、自らが生まれ育った家で、おばあちゃんは眠りについた。
 
おばあちゃんは、大正末年に山口県の片田舎の農家の長女として生まれた。その時代の農家の娘としては珍しく、高等女学校卒である。父親(わたしの曽祖父)がなかなか先進的な価値観を持った人で、農民の娘とは言え学問を身につけるのは大切だと考えたらしい。「あんなに古い時代に、電車に乗って毎日学校に行っていたんだから!」と、おばあちゃんはよく自慢げに語っていた。
 
思春期を戦争と共に生き、20歳ごろ終戦を迎えた。山口の山奥の寒村でも、「アメリカ兵がじきに上陸する」という恐ろしげな噂が流れ、家にあった家宝の日本刀は回収車に詰め込まれ、何処かへ運ばれていった。おばあちゃんは6人姉弟の長女。弟と妹が1人ずつ死んだ。
 
家を継ぐために婿を取った後、10年間は子どもが授からなかった。長女(わたしの母親)を生んだのが遅かったため、初孫のわたしが生まれた時には見た目も年齢も「おばあちゃん」になっていた。子供の頃のわたしにとっては、「お母さんのお母さん」という何とも不思議なポジションの人で、たまに遊びに行くと、お菓子や果物を好きなだけ食べさせてくれて、「◯◯ちゃん(わたしの母親)の小さい頃にそっくりねぇ、そっくりねぇ」とニコニコ笑った。人見知りの激しかったわたしは、おばあちゃんに笑いかけられるたびに、反応に困ってもじもじしていた。照れくさくて気まずくて、いつも母親の陰に隠れていたけれど、おばあちゃんがわたしを愛していることには何となく気付いていた。
 
おばあちゃんが身体を悪くしたのは、わたしが20歳ごろの時だった。同じ頃、わたしは心を病んで、通っていた県外の大学を休学し、山口の実家へ戻っていた。わたしが病室へ見舞いに行くと、おばあちゃんはとても嬉しそうにした。「弥生ちゃんのウェディングドレス姿を見るまでは死ねないね。だって大切な初孫だもの」と、しわくちゃな顔をさらにしわくちゃにしながら笑っていた。「大学の勉強や就職活動すら頑張れなくて、具合が悪くなるのだもの。結婚なんて出来っこないよ」……とは言えず、わたしはやはりもじもじして母親の陰に隠れる事しか出来なかった。
 
最期の時は自宅で迎えたいと、おばあちゃんは望んだ。自力で手洗いへ行けなくなり、腹水が溜まり、意識が朦朧としているおばあちゃんの枕元で、わたしは何をするでもなく、ぼんやりと目の前の光景を眺めていた。その時だ。おばあちゃんがもごもごと喋ったのは。
 
「上を向いていないと。どうにもならん……」
 
おそらく、単にベッドの上での体勢の話だったのだろう。だが、生きることの苦しみにどっぷりと浸かっていたわたしには、別の意味に聞こえた。上を向いていないと、どうにもならん……。
 
それからまもなく、おばあちゃんは死んだ。立ち会えなかったわたしは、最期が穏やかだったという事を聞いて、涙を一粒だけこぼした。それきり涙は出なかった。肉親を亡くしたのはこれが初めてで、無意識下では動揺していたのだと思う。自宅へ僧侶を呼び、通夜とお葬式を済ませ、自宅から出棺し、焼き場へ行った。
 
人間の死というのは、実にシステマチックなのだと、わたしはその時初めて知った。母も叔父も、これから焼かれて骨になるおばあちゃんの顔に触れて、ぼろぼろと涙をこぼしている。けれども、焼き上がった白い骨ががらがらと運ばれて来ると、皆無表情で、予め打ち合わせしていたかのごとく骨を拾い、おばあちゃんは骨壷に順調に詰められていく。
 
そこでわたしは見つけてしまった。おばあちゃんの歯ぐきを。
 
明らかに顎の骨の形をした部分に、赤い組織がこびりついている。高温の炉で焼かれて果たして人間の肉が残るのか、わたしにはわからない。しかし、確かにおばあちゃんの顎の骨には、鮮烈に赤い「何か」が残っていた。歳をとった人間が死んでしまうのは、当たり前のことであって、大仰に悲しむ事ではないと、わたしは思う。けれども、死の象徴とも取れる白い骨の上に乗った、赤く血が通っていた部分は、1人の女性が人生を全うし、家族の前から永遠に去って行った事実を否応なく突きつけるものだった。「ああ、おばあちゃんは死んでしまったのだ」と妙に納得したのだった。
 
真っ白な骨と、赤い歯ぐき。人間の生と死について考える時、わたしは6前に見た白と赤のイメージを思い出さざるをえない。同時に、生きているおばあちゃんの、方言が混じった話し方や、クルクルとよく動く瞳や、手製の少ししょっぱい玉子焼きも思い出す。悲しい記憶も、愛された記憶も、ショッキングな記憶も、6年の歳月が上手く調合してくれて、わたしの中には穏やかな感情のみ残っている。今年の夏は久しぶりにおばあちゃんに会いに行くつもりだ。もうわたしはもじもじしなくなったし、むしろ上ばかり見て生きるようになった。今日も明日も明後日も、生きていきますと、思い出に話し掛けよう。
 
 
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2017-05-25 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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