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夜行バスがカボチャの馬車だった


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:キクモトユキコ(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
学生時代の私にとって、夜行バスがカボチャの馬車だった。夜に私を連れ出して、舞踏会のような大人の世界へ連れて行ってくれる魔法の乗り物だった。
 
名古屋駅の西口。深夜になると数多くの夜行バスが列をなす。
私はベースを背負い、少し緊張の面持ちで東京行き夜行バスの乗車待ちの列に並んだ。当時大学3年生になったばかり。お金の都合で選んだ夜行バス。友人とディズニーランドへ行くために夜行バスに乗ったことはあったけど、一人で夜行バスに乗るのは初めてだった。
 
“セッション会しませんか?”
当時全盛期だったSNSのmixiで、私は好きなアーティストのコミュニティに入っていた。そのコミュニティで見つけたトピック。説明を読んでみると、参加者を募り、演奏したい曲を決め、それぞれの曲のボーカルと楽器パートに参加者を割り振り、当日スタジオに入って初めましての人たちと一発本番で演奏をする。そのようなイベントがセッション会というものらしかった。しかもそのアーティストの曲だけを演奏するセッション会、という企画だ。
何それ、面白そう! というのが最初の印象。私は大学に入ってからベースを始めて、バンドサークルに所属していた。そのアーティストのコピーバンドをサークルに入った当初から続けていたけれど、知らない人たち、しかも自分よりずっと年上の人たちも参加する場所で一緒に演奏できるということがとても魅力的に思えたのだ。
 
ベースを始めて2年ちょっとのペーペーの私がそんなところに出向いて、ベテランの人たちから笑われやしないだろうか? バンドのメンバーから浮気者! と罵倒されないだろうか? とかいう心配事もあったけど、結局私は好奇心に負けて参加ボタンを押してしまったのだ。それからはセッション会専用のコミュニティが立ち上がり、演奏曲が決められ、パートが割り振られていった。演奏曲のパート表がまだ見知らぬ参加者の名前で埋まっていくのをドキドキしながら見守った。
 
名古屋ー東京の往復の交通費、参加費、セッション会後の打ち上げ代を考えると、とても泊りで行けるような懐事情ではなかったので、私は夜行バスを予約した。金曜の夜に名古屋発、土曜の早朝に新宿着。同日土曜の夜に新宿発で日曜朝に名古屋着という弾丸日程。一人夜行バスは初めてだったけれど、女子高生時代からデパートのレストラン街で一人ランチとかを余裕でこなしていたので、そこに心配はあまりなかった。
 
夜行バスというカボチャの馬車で私は新宿まで運ばれた。道中しっかり眠れたかどうかは覚えていないけれど、これから向かう舞踏会のような非日常にずっと胸が高鳴っていた。早朝5時台の新宿はがらんとしていて不思議な空間で、私はベースを抱えてネットカフェへ潜り込み、仮眠したりこっそりベースの練習をしたりと昼まで時間をつぶした。
 
セッション会の会場はとある音楽スタジオで、当時の名古屋では見たことのないくらい広い一室を貸切にしていた。大人の世界に一歩足を踏み入れるドキドキと、ちゃんと演奏できるかのドキドキで心臓がぎゅっとするような思いだったけど、受付で主催者の方に名前を告げると、「名古屋の方ですよね!」とにこやかに挨拶をしてもらい少し緊張が和らいだ。その場で手書きの名札を作ることになっていて、「ユキコ from名古屋」と書いて胸に付けるといろんな人から声をかけてもらえた。参加者は20人以上。そのほとんどが関東在住で、名古屋というのは圧倒的な遠方だった。
 
そしてセッション会は想像以上の楽しさだった。
自分の好きなアーティストの曲だけが聴けるライブでもあり、自分が出演するライブでもある。演奏は全体で30曲近く、私はそのうち5曲ほどを担当した。練習なしの一発本番ということもあって少しもたつくところもあったけど、流れはスムーズでみんな温かくて優しかった。ボーカルは私より年下の女の子もちらほら、そして演奏陣は私よりずっと年上の男性が多かった。楽器歴も長いのだろう、当時の自分とは比べられないくらいの演奏にへこむどころか感動さえした。私の演奏後に優しくアドバイスをくれる人もいて勉強にもなった。
 
その楽しさはセッション会後の打ち上げまで続く。初対面のみんなともすっかり打ち解けていたし、初対面だからこそという気楽さと、好きなアーティストが同じという共通点が打ち上げを更に盛り上げた。このイベントのためだけによく一人で遥々名古屋から来たね、と言ってもらえるのが嬉しかった。
「東京に住みたい。こんな楽しいことがあるなんて」
何度もそう思った。セッション会を定期的に開こう、ということにもなっていたけど、地方在住の私からすれば毎回参加できる余裕がないことは明白で、東京に住んでいる他の参加者たちが心の底から羨ましかった。
 
魔法が午前0時で解けてしまうように、私の魔法が解けるのは夜行バスの出発時間だった。打ち上げ後、バスの出発時間までギリギリの中、打ち上げで話の弾んだ何人かが見送りに来てくれた。このバスに乗れば魔法が解ける。普通の日常生活に戻る。壮大な心残りを東京に預けて、私はカボチャの馬車で名古屋に帰ったのだった。
 
しかし驚くべきことに、解けたかと思われた魔法は解けていなかった。
始発で家に帰り着き、昼過ぎまで寝た後にパソコンを立ち上げると、セッション会に参加したメンバーから次々と友だち申請が来ていたのだ。それまでは地元の友人や、大学やサークルの友人たちとしか繋がっていなかったので、一気に交流の輪が広がったのだった。自分とは全く違う環境に暮らす人たちとのネット越しの交流はとても刺激的だ。その後もセッション会は定期的に開かれ、私も何回か参加した。もちろんカボチャの馬車に一人で乗って。それからはセッション会にカップルで来ていた二人の結婚にお祝いのメッセージを送ったり、仕事で名古屋に行くからとその人が担当している展示会の招待券をいただいたり、セッション会に参加できなくても交流は続いた。
 
mixiにログインしなくなることが増えてからはセッション会から遠ざかってしまったけれど、気の合う何人かとはfacebookが普及しだした頃に再度繋がることができた。私も大人になって夜行バスにはもう乗らなくなってしまったけど、魔法の効果は今も続いている。
 
「もう7年も前だもんねー」
「こういう機会があったからこそ集まれたよね」
2013年。渋谷の居酒屋で乾杯をする。2006年に開かれた第一回のセッション会で知り合ったメンバー3人と一緒だった。当時私は海外に暮らしていて、一時帰国の際に声をかけたら集まってくれたのだ。当時の思い出話や、それぞれの近況を報告しあう。カボチャの馬車に乗ったからこそ出会えた人たち。王子様に匹敵するほどの素敵な人たち。交流は今でも細く長く続いている。
 
バッグに荷物をぎゅうぎゅうに詰めて、新幹線のホームに立つ。手には東京行きの乗車券。
今はもうカボチャの馬車には乗らないけれど、大人になった私はいつでも舞踏会に行けるのだ。
 
 
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2017-05-25 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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