プロフェッショナル・ゼミ

だれかさんが、転んだ。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《日曜コース》

記事:和智弘子(プロフェッショナル・ゼミ)
*フィクション

「ったく! 信じられない!」
ぶつぶつ文句を言いながら、渡された地図を片手に、サツキはよく知らない道を歩き始める。
「岸田、あいつ絶対仕事さぼってんな。女ひとりだからってバカにしてんじゃないわよ!」

事の発端は、半同棲していた彼氏と別れたことだ。なにもかもむしゃくしゃする。他の女を勝手に部屋に連れ込んでたなんて、最悪だ。彼氏にはもう二度とくるな! と怒鳴りつけて追い出してやった。けれど、部屋でひとりになると「ああ、ここであいつは他の女の子と……」なんて考え始めてしまう。
別れた男との思い出の詰まった部屋にいるのが、精神上良くないのだろう。サツキは、思いきって引っ越してやるんだから! と意気込んでいた。

ちらりとネットで見て、気になった物件があったので、駅前にある不動産屋に勢いよく駆け込む。
「いらっしゃいませ! えーっと、ご予約されて……ないですよね?」
店内は、慌ただしい雰囲気が充満していた。店員の対応もどことなく浮ついている。

「すみません、ちょっと引っ越しを考えていて。良さそうな部屋をネットでみたんですけど」
バタバタとした不動産屋の雰囲気にサツキは少しだけ怖じ気づく。

「あっ、そうですか。ありがとうございます。ちょっといま、ご予約のお客さまが立て込んでいて、ご案内ができないのですが……」

奥にいる他の店員も、慌ただしくファイルを取り出しては、コピーを取ったり、電話の対応をしている。サツキと話している「岸田」とネームプレートをつけた店員はチラチラと腕時計を見ている。

「すみません、お客さま。30分ぐらいでしたらお話できますが。駆け足になりますが、よろしいですか? それとも、また別の日になさいますか?」
岸田は申し訳なさそうな顔をしながら、サツキに言った。
「見たい物件、ひとつは決まってるんで、見せてもらえませんか? 他にも、いいのがあれば、と思ってたんですけど」

不動産屋の慌ただしいペースに巻き込まれながらも、サツキはインターネットの住宅情報サイトに紹介されていた物件をスマホで開いて岸田に見せる。
「ああ、ここですね! この物件は昨日サイトに掲載したばっかりなんですよ! あと、このマンション付近に、もう一件、こちらに似た、お部屋がございます。和室なんですけどね。すぐお調べします。おひとりでお住まいになる、んですよね?」
岸田はちらりとサツキの顔を見て、確認した。
「そうですけど!」
すこしばかり痛いところを突かれてしまい、サツキはつい語気が強めてしまう。

「あ、いえ、誰かと同棲されてね、契約違反だ! ってほかの部屋にお住まいの方から連絡されることもあるもので」
「え、そうなんですか……」
「時々、ですけどね。そういったトラブルは」
そういいながら、岸田は手際よく。物件情報をコピーしてきた。

「物件はこちらです。この2件とも駅から徒歩圏内ですし……。家賃も手頃で、おススメです」
そう言いながら岸田は、物件情報のコピーをサツキに手渡す。
「えーっと、それでですね。大変申し訳ないのですが」
岸田は、またもや腕時計をチラチラ見ながら、申し訳なさそうな口調でサツキに提案してきた。
「もし、今日お部屋を確認されたい、ということでしたら内見におひとりで行っていただくことになるんですけど、構いませんか?」

は? 岸田、何を言ってるんだ? サツキは今言われたことが、とっさには理解できなかった。
「お部屋って、あの、勝手に中に入れないですよね?」
「はい。鍵を隠している場所を、お伝えしますから。お部屋の前についたら、お電話いただければ」
サツキは、そんな内見の方法、いいのだろうか? ひとりで回らせた人がワルイ人で、その鍵を持ち去ってしまったり、誰かを連れ込んでなにか企んだりするとか、考えないのかな? とすこし不安になった。

「そんな内見の方法、問題にならないんですか?」
それとなく、岸田に確認してみる。どう考えても、常識的におかしい気がする。万が一、他の不動産屋さんと鉢合わせでもして、不法侵入者の扱いをうけたらどうしたらいいんだろう? 考えただけでも不安になる。
「いや、大丈夫ですよ。もちろん、誰でも、ってわけじゃないんです。清水様、人が良さそうだし。悪いことできないって、顔に書いてあるから。大丈夫ですって。管理会社にはこちらから伝えておきます」
なんだかバカにされているようにも感じられて、サツキはすこし腹がたってきた。けれど、提示された物件は、どちらも魅力的で、ここで引き下がるのは、もったいないように思えた。
「わかりました。ひとりで物件を回ってきます。回る順番とか、ありますか?」
イライラとした気持ちもあるけれど、このまま引き下がって家に帰りたくない。そもそも、家にいるとイライラするから引っ越ししたいのだ。それならば、もう、ひとりで内見して、さっさと決めてしまえばいいんだ。

「じゃあ、この地図に1、2と印つけておきますので。この順番で内見してくださいね。ひとつめの物件はここから10分ほど歩いたところになりますので。建物の前に着いたら、この番号に電話してください」
テキパキと、岸田は指示をしてくる。手慣れている様子のため、ひとりで内見をさせるのは、はじめてのことじゃないんだろう。

コピーされた物件の案内図と、地図を片手にもって、サツキは不動産屋を後にした。

それにしても、今日はムシムシするな。まだ梅雨入り前だというのに、蒸し暑く、少し歩いただけでもじっとりとした汗がおでこに浮かんでくる。
「ったく! 信じられない!」
ぶつぶつ文句を言いながら、サツキはよく知らない道を歩き始める。

一件目の部屋の地図を見ながら歩いていく。一件目の部屋は川のほとりにあるようだ。大通りから一本は行った場所にある川沿いの道を歩き、途中で細い道を曲がらなくては辿り着けないようだ。サツキは「方向オンチなのに、迷わずに辿り着けるかな?」と心配になっていた。

川にかかる橋を渡って、川沿いの道を歩いていく。蒸し暑さのせいだろうか。川から、なんだか生臭いにおいがしてくる。川で魚が死んでいるのだろうか? 小さい頃に、飼っていた金魚が死んだときも、こんなにおいがしていたような気がする……。川に近い部屋だと、このにおいが漂ってくるのかもしれない。それはいやだな、と思いながらサツキは歩き続ける。しかし、地図を見ながら歩いてきたけれど、すこしコピーがにじんでいるのか道が分かりづらい。どの細い道を曲がるのだろう? 
地図が示していた道は、あまりにも細かった。軽自動車なんて、絶対に通れない。人がすれ違うことすらやっとのように思える。道、というよりも、とても細い路地だった。
なんか、心配だな。岸田に電話してみようかな? そう思って、サツキはスマホを取り出し不動産屋へ電話をかける。
「お電話ありがとうございます。駅前不動産のヒルタです」
岸田ではない、別の店員が電話に出た。どことなく粘り気を帯びた低い声の男だった。
「あの、すみません。担当の岸田さんいらっしゃいますか? さきほどそちらで、物件を紹介してもらって、内見にでている清水ですけど」
「岸田は、ただいま他のお客さまとお話中でして。清水様のことはうかがっております。どうされました? 道に、迷われました?」
ヒルタ、と名乗る店員は、ベタベタとまとわりつく声を電話口から発しながらサツキへの対応をはじめた。なんだか、薄気味悪い声だ。あまり話していたくないけれど、しかたない。サツキはそう感じながらも、いま迷っていることを告げた。
「そうなんです。コピーがにじんでるみたいで、よく見えなくて。一件目の近くに来ていると思うんですけど。すっごく細い道に曲がっていいんですかね?」
「はい。清水様。その、とてもとても細い道で合っております。その細い道に入っていってください」
ヒルタという店員は、なんだか必要以上に丁寧な口調で話していて、それもまた、なんだか気味が悪かった。ヒルタの言う通りに、細い路地におそるおそる足を踏み入れる。建物が密に迫っているためか、薄暗く、じめじめとした空気が肌にふれる。
「清水様、その道をほんの少しばかり歩いていただくと、右側に小さなお社がございます。そこまで、歩いてこられましたか?」
たしかに、右側に、サツキの背丈よりも小さくて、とても古くからあるようなお社が見える。銅板の屋根からは青いサビのようなものが浮かんでいるし、土台の石組みにも苔が生えている。
「はい、たしかにありますね」
「じつは、そのお社の中に、一件目のお部屋の鍵を隠してございます。一件目のお部屋はそのお社のお向かいの『ヤナギハイツ』です。お社の中にある引き出しみたいなもの、を開けて鍵を出していただけますか?」

えっ。この古ぼけたお社の中に物件の鍵を隠してあるなんて。お社に手を突っ込んでいいのかな、なんだか、たたられそうで怖い……。
「大丈夫ですよ、清水様。たたられたりなんて、しませんから」
サツキの心を読んだように、ヒルタはそう言って、電話口でクスクスと笑っているようだった。

……なんか、この物件気味が悪いな。川からの生臭いにおいもずっとしてるし。日当りだって、あんまり良くない。何よりも、目の前にお社のあるアパートなんて、夜遅く帰って来たら、ちょっと怖いじゃないか。
「あのー。ヒルタさん。ここ、あんまり立地が好きじゃないかなーって思うんですよ。なんか雰囲気も暗いし。一件目、内見しないでパスしてもいいですか?」
引っ越ししたいとは思っているけれど、さすがにここはちょっとイヤだ。ここは見ないで、次の物件に行こうかな。サツキはそう思っていた。
「まあ、清水様。そう、おっしゃらずに。せっかくこちらまで足を運んでくださったのですから。せめてお部屋だけでも見てみてください。204号室ですよ」
そういって、ヒルタはクスクスとした笑い声を残して、一方的に電話を切った。

なんなんだ! この不動産屋は!
薄気味悪い担当者だな。岸田はいいかげんだなって思ったけど、ヒルタは何だか気味が悪い。電話番なんて、させないほうが良いんじゃないだろうか?
あんな気味の悪い対応、クレームがきてもおかしくないだろう。

さて、どうしようか。
とりあえず、一度見るだけでも、見てみようかな……。
せっかくここまで来たって言うのは、確かにそうかもしれないし。

そう思って、サツキはお社の中に手をのばした。たしかに、木で作られた、古ぼけた小さな引き出しがあった。その引き出しを壊さないようにあけると、場違いなほど真新しく、ピカリと光ったステンレス製の鍵が入っていた。その鍵をそっとつまみ上げ、引き出しを閉じた。

お社の前に建っている「ヤナギハイツ」は、ジメジメした路地の中にはあるものの、リフォームされたばかりのようで、外見は案外きれいに見えた。
一階にはおそらく誰か住んでいるのだろう。けれど、今は出かけているのか、生活の音はなにひとつ聞こえてこず、しんと静まり返っていた。
ギシギシと音をたてながら階段をのぼる。のぼってすぐの部屋が204号室だった。
他の部屋の人が、前を通るときに、音が響くとうるさくないかな? など、少し気になる。あまりにも静かだけど、他にはどんな人がこのアパートにはすんでいるのだろうか? なんだか無性に気になった。

鍵を鍵穴に差し込んで回すと、がちゃり、と大きな音が響き渡る。
そっと扉を開けると、あたらしい畳の香りがふわりと一瞬ただよった。窓から日が差し込んできているようで、路地からの印象よりは、部屋も明るく感じられた。

「……おじゃましまーす」
だれも、部屋にはいないのだけれど、靴を脱いで知らない部屋に上がるときには、つい、つぶやいてしまう。

カタン。

何かが、倒れるような音が小さく部屋の中に響いた。

「ん? なにか音がした……?」
張替られたばかりの畳のにおいに、もう慣れてしまったのか。なんだか、また急に生臭い川のにおいが強く漂ってきているように感じられた。

ワンルームの部屋の中に入れば入るほど、生臭さが身体全体ににまとわりついてくるようだった。風の通りが悪いわけではないのだけど、川からの生臭いにおいが強すぎる。

やっぱり、ちょっとイヤな感じだ。
なんだか、肌に合ない気がする……。
ここはナシだと、サツキは早々に決めた。でも一応、お風呂場と、トイレがキレイかどうかだけチェックして帰ろうと思った。

サツキがお風呂場の扉に近づき、のぞこうかとした瞬間、電話が鳴った。
通知されている番号は、不動産屋の番号だった。
「はい」
サツキはおそるおそる、電話に出る。
「清水様、ヒルタでございます。お部屋の様子は、いかがですか? お気に召されましたか?」
不動産屋のヒルタからだ。なんだか、この声を聞くだけで肌がざわざわと粟立ってくる。川からの生臭いにおいと、このヒルタの粘つくような声が混ざり合うのが、本当に気持ちわるい。
「やっぱりここはナシですね。雰囲気が、あんまり好きじゃないなって……」
「そうですか……残念ですねえ。部屋のほうは、清水様を、歓迎しているんですけれどねえ」
ヒルタはそう言って、またクスクスと気味の悪い笑い声を、サツキの耳元に残し、電話を切った。

電話を切ったのが、なにかの合図だったのだろうか。
ガチャガチャと風呂場のドアノブが回っている。

……私は、少しも触れていないのに。

全身に鳥肌がたち、逃げださなければ、と思うのだけれど、足が動かない。

はやく、この部屋から逃げ出さないと。
生臭いにおいが、風呂場のほうからも強く漂ってくる。

カタン。

また、どこかで音がした。
その瞬間に、ふと緊張が解かれた。
転がるようにして、その「204」号室を飛び出した。慌てて階段を下りるが、足がもつれてしまって数段踏み外してしまい、尻をぶつけてしまった。
「いったあ……」
痛いけれど、気にしていられない。一刻も早くこの「ヤナギハイツ」の前から立ち去らないと。
なにか、得体の知れない何者かが、「204」号室から追いかけてくるんじゃないかと思うと、恐ろしくて、しかたがなかった。

後ろを振り返らずに夢中で走って、細い路地を抜けた。
川の前の道まで戻ってこられたのだ。ここまでくれば、大丈夫だろう。
慌ててしまい、鍵を返し忘れてしまったけれど、あとで不動産屋に渡せばいいだろう。「204」号室の部屋の鍵を、サツキはポケットにしまい込んだ。今から「ヤナギハイツ」の前にあるお社に鍵を返しにいく勇気は、サツキは持ち合わせていなかった。

プルルルル。
また、電話が鳴った。不動産屋の番号だ。
ヒルタだったら、と思うと怖くて手が震えてしまう。けれど、出ないわけにもいかず、おそるおそるスマホのボタンを押す。
「もしもし?」
「駅前不動産の岸田です! 清水様、どこかで迷ってますかー? 全然お電話くださらないから、心配になってかけてみたんですけど。いまどこですかー?」
岸田の朗らかな声に、ほっと胸をなで下ろす。
「あ、あの! 一件目はいま、行ってきて……。ヒルタさんっていう方が岸田さんの変わりに担当してくれたんですけど」
「ヒルタ? うちにはそんな名前のスタッフ、いませんよ?」
「え、でも、ヤナギハイツの204号室って……」
「え? ヤナギハイツは203号室までしかありませんよ? コピー渡してましたよね? もしかして文字が、ぼやけてました?」

サアッと、サツキの顔から、血の気が引いていく。
今までどこに、迷い込んでいたのだろう……?
ポケットに入ったままの「204」号室の鍵がヒヤリと、冷たく感じられた。

***

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