プロフェッショナル・ゼミ

58歳のわたしは、この春12年かけて小学校を卒業した《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:西部直樹(プロフェッショナル・ゼミ)

「ねえ、こっちじゃない」
少女の声が聞こえる。
子どもたちが駆けてくる。
小学校の校舎の裏の小さな畑に、今年も種を撒くのだろう。
フェンス越しに子どもたちがはしゃぐ姿が見える。
低学年の子どもたちだ。
思わず、この子たちの中にいないかと探してしまう。

道に面したグランドが目に入る。
高学年生だろうか、先ほどの子どもたちよりずいぶん大きい。
体育の授業なのだろう、白の半袖の運動着、下は半ズボンだ。頭には紅白帽を被っている。
同じ格好なので、誰が誰だか……。
つい、息子がいないか、娘がいないかと探してしまう。
習い性なのだ。

息子は、紫外線に弱かった。だから紅白帽はうしろ垂れというのか、首筋を隠すような垂れの付いた帽子を被っていた。ただ一人。
保育園の頃から、そのうしろ垂れのある帽子だった。口さがない友達からは「○○士みたい」とからかわれていた。他と違うことが多々ある息子だが、他と違うことはあまり気にせず、マイペースで過ごしていた。
そんな、マイペースな姿の息子はすぐにわかった。

グラウンドに散らばる子どもたちは同じ紅白帽だ。
これではわからない。
娘もちょっと紫外線に弱かったので、長袖長ズボンだった。それをずいぶん娘は嫌がっていたっけ。
他と違うことを嫌っていた。いや、不安に思っていたのかな。

わたしも「他と同じ」でないと、不安になるたちだった。
小学校低学年の頃は母が選んだのを着ていた。
服装などは何でも良かった、普通なら。
ある時、少し寒くなってきたのでと、いろいろと重ね着をさせられたことがある。
その様子を見ていた姉が、
「へん!」と笑いはじめてしまった。
とりあえずの重ね着だったので、あまりのもちぐはぐになっていたのだろう。
母も、着せ終わったわたしを見て、笑うのである。
あんまりではないか、家族にも笑われるような格好で、学校には行けない。
わたしは泣き出してしまった。
その後、どうしたのか忘れてしまった。
けれど、何十年も忘れていないのは、
「へん!」といわれることを恐れていたからなのだろう。
みんなと同じでいること。そこには安心がある。

なのだけれど、まったく同じでいるのは、嫌だった。
やれやれ、我ながらめんどくさい性格である。
中学高校と目立たないように、浮かないように、皆と同じような感じで生きていた。
目立たないようにしながら、年少者向けの文芸賞に応募したりしていた。
その他大勢の中に混じって、みんなが南を向いているときに、南東あたりに目をやるような少年だった。
平均的な異端児になりたかったのかもしれない。

息子や娘は、なにになりたかったのだろう。
まだ、小学校でなりたかったものを求め続けているのだろうか。

校庭では、組み体操の練習がはじまっていた。
ということは、6年生か。
この学校では、学年によって運動会での出し物が決まっているのだ。
6年生は、組み体操。5年生はソーラン節だ。
他には、徒競走もあったな。
この小学校は、しっかりと本当に徒競走をする。

息子は無残なほど足が遅かった。
いつもビリでそれを気に病んでいた。
人と違う服装でも気にしないのに、ビリは気になるのだ。
あまりに遅いので、その頃はやっていたスポーツ家庭教師をお願いしたこともある。
普通の家庭教師と同じように、教師が我が家までやってくるのだ。
爽やかなスポーツマン氏がきて、縄跳び(これもできなかった)を教えてもらい、走り方も習った。
スポーツ家庭教師に習っている様子は、その珍しさからテレビの報道番組の取材も受けた。
息子は覚えているだろうか。
走り方を習ったためか、その年の運動会はビリではなかった。

息子に比べると、娘の足は速い。
あまりビリにならなかった。
娘にはスポーツ家庭教師は必要なかったな。

校庭の片隅には、雲梯がある。
休み時間になると一輪車に乗ろうとする子たちが集まっていた。
まだ何かに捕まっていないと乗れないようだ。

息子も娘も一輪車には乗れる。
息子は講習会に通って、片足乗りとかができるようになった。
娘も通っていたけれど、乗れるようになるまで、近所で何度も練習をしていた。
歩道のガードレールに捕まり、何度も何度も、付き合うこちらが飽きてしまったけれど。

自転車も、息子は小学校に上がる前に乗れるようになった。
緩い坂をスケートボードで下ってバランス感覚を掴み、それから自転車に乗ったら、ほんの1時間くらいで乗れるようになった。
娘は、ペダルに脚をかけないで漕ぐこと数日、それで乗れるようになった。3歳くらいの頃だ。
要領のいい息子と根性の娘といったところか。

校庭を右手に見ながら、右に曲がれば、蔦に覆われた壁に囲まれたプールがある。
プールの様子を覗き見られないようになっているのだ。
そして、体育館が見える。
屋内での体育をしているのか、上履きが床をこする甲高い音が聞こえてくる。

入学式も、音楽祭も、作品展示会もこの体育館でしたのだった。
音楽祭と作品展示会 を交互に開催していた。
最終学年の年が、音楽発表会だと何となく盛り上がり、作品展示会 だと少し残念だったな。

音楽といえば、息子は、なにを思ったのか金管クラブに入って、ホルンの親戚のようなユーホニュームを吹いていた。揃いのTシャツなんか着て頑張っていた。
息子は、そのまま音楽を少しやるのかと思ったら、中学では美術部で、高専ではワンダーフォーゲル部と、関連性のない部活をしている。やれやれ。

娘は、ピアノをやりたいというので、ピアノの家庭教師を捜した。
なかなか美しい先生で、娘は姉ができたように楽しんでいた。
わたしもいささか嬉しかったが、妻からはおじさんが近寄ると、若い女性は嫌がるからね、と接近には釘を刺されていた。残念だった。
娘は、先生が来たときだけピアノに触れていた。一輪車や自転車のように根性を入れて練習はしなかった。ピアノを習っている自分が好きだったのかな。
そして、ピアノの先生が結婚して遠方にいってしまうことになって、ピアノは開けられることがなくなってしまった。
娘は、最後の学年ではお囃子クラブで太鼓を叩いていた。鍵盤はどうした! と思ったけど太鼓はなかなか良かったな。
そして、次の学校では散々迷った挙げ句、バトミントン部だ。
音楽やスポーツと、いろいろと体験できるのは羨ましい。
自分は小学校から、高校までずっと剣道部だった。都合8年間、防具の汗の臭い嗅ぎながら過ごした。
陸上部とか、文芸部とかもやりたかったな。
一度はじめたら、やり続けなければならない、と思い込んでいた。
その呪縛がとれたのは、故郷から離れて生活をはじめた大学になってからだった。
その時々の思いで、クラブ活動を選んでいる子どもたちに、頑なになることはない、と教えられるようだ。

体育館を過ぎると、学校の裏門が見える。
裏門に向かって駈けていく少女がいる。
遅刻したのだろうか。
赤いランドセルが揺れている。

わずかに見える校舎の中、息子も娘も、もういない。
息子は6年前に卒業し、息子より6歳下の娘は今年の春に卒業したのだ。

12年間子どもたちが通った小学校に、わたしも何度も足を運んだ。
二度の入学式、二度の卒業式を経て、わたしも小学校を終えたのだ。

息子はひげ面の高専4年生になり、娘は制服に身を包んだ中学生になった。
もう、小学校のグランドにいる姿を探すこともない、
授業の見学も、音楽の発表会もないのだ。
わずかに惜別の思いを抱きながら、わたしは、見慣れた小学校の校舎を背に、仕事に向かった。

***

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