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悪魔にタマシイを売って読書する作家志望の男


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:塩 こーじ(ライティング・コース)

 
 
「オレ、死ぬまでにあと何冊の本を読めるんだろうなあ……」
 
「そんなことばかり、しょっちゅう考えてるんだぁ?」
 
僕の気弱なつぶやきに彼女は笑う。
 
市の中心にある広い公園。僕らはベンチに並んで腰をおろし、缶コーヒーを手に安上がりのデートを楽しんでいる。
 
「あなたが無類の読書好きだっていうことは、つきあいだしたころからよく知ってましたけどねー」からかうように彼女。
 
「だけど一生のうちに読める本の数には限界がある」
 
「あったりまえじゃない。バカみたい」
 
「たしかにバカみたいかもしれないけど」
 
僕は真面目な顔で訴える。「新刊書店でも古書店でも図書館でも、本探しに夢中になっているときにふとそんな事実が頭の隅をよぎるんだ。すると急に本を読みたい気持ちがなえてしまう。1冊でも多く本を読むことに何の意味があるのかってね」
 
「だけどあなたがそんなに本を読むのは、目的があるからでしょ。いつか小説家になるために、いろんな本を読んで研究してるんでしょう?」
 
「最初はそのつもりだった。でももうこの年では難しいかもな。文学界はいつでも若い、新しい感性を求めてるからな」
 
「あきらめちゃうの?」
 
彼女は身を乗り出し、問いかけてくる。口ぶりが、どこかうれしそうだった。「ほんとのほんとに、あきらめちゃうの?」
 
「新人賞に出すつもりの作品もなかなか書けないし。なんかもう、いつやめてもいいような気分だな」
 
「じゃ、結婚して」
 
「え?」
 
「作家になるのやめちゃうんでしょ。じゃ、ちゃんと就職して一緒に暮らそうよ。あたしだってもうすぐ三十なんだし」
 
「一緒に暮らすって、オレの部屋でか」
 
「もちろん」
 
「部屋じゅう本であふれてて、オレひとりが寝起きするだけで精いっぱいなの、知ってるだろう」
 
「一度泊まって、もう懲りたからね。もちろん一緒に暮らすときは、蔵書は全部処分してもらいます」
 
「処分? そんなことできるわけないだろ」
 
「できない?」
 
「できない。若いころから集めた、いまじゃ絶版になってる貴重な本もいっぱいだ。あの蔵書は、オレの人生そのものだ!」
 
彼女はじっと僕の顔を見つめていたが、やがてひとこと「あっそ」
 
さっとベンチを立ちあがる。「じゃ、別れましょ」
 
「別れる?」オレは面食らって彼女を見上げた。
 
「作家をめざすって決めてたんでしょ、だからわたしも今までいろいろ我慢してきたんだよ。でもここまできて、作家にはなれません、なおかつ本は処分できませんじゃ、ずいぶん身勝手じゃない?」
 
彼女は最後にとどめをさすように「あんな本、古本屋に持ってったって二束三文よ!」
 
立ちあがり、後ろも見ずに去っていった。
 
一人でベンチに座り続けていても仕方ない。僕は飲み終えたコーヒーの缶を近くのくず入れに放り込んだ。芝生に沿って公園の遊歩道を歩きだす。
 
かくべつ行くところもない。公園に隣接する市立図書館へ足を向けた。
 
市民会館や体育館とともに並ぶ古ぼけた図書館。僕が中学生のころから入りびたっていた場所だ。重厚なおもむきの外観でいかにも文化の蓄積が感じられる。
 
平日の3時過ぎ。館内は人が少なく、静まりかえっている。
 
僕はあてもなく、ゆうに自分の背丈をこえる高い書架と書架のあいだを亡霊のようにさまよった。
 
まったくさまざまな本があるものだ。整然と並ぶ背表紙を眺め、思わずため息をつく。
 
若いころ、友だちにも彼女にもお金にも恵まれていなかった僕は、ここしか居場所がなかった。ひたすら本の中の世界に逃避していた。
 
社会に出てからも職を転々としながら、あらゆるジャンルの本を読みふけった。つねに失業しているに等しい状態だったので、時間はいくらでもあった。
 
好きな作家や好みの本ばかり読んでいたわけではない。あまり気が進まないものにも積極的に手を出した。
 
僕にとって読書は、自分が小説を書くための勉強でもあった。たんなる息抜きや娯楽ではなかったのだ。
 
正直、作家になるつもりがなかったら、いままでこんなに大量の本を読んではこなかったろう。もう少しいろいろ、人生楽しんだはずだ。
 
すべては小説を書くためだ……そんな言いわけをしながら僕は、現実を直視することから逃げ続けてきたのかもしれない。
 
ほかの楽しみを犠牲にして読書に費やした膨大な時間。それがいまではひどく無意味に感じられた。
 
館内の奥深くへ進む。書架をめぐり、さまざまな本を目にするほど、気分はますます沈んでいく。
 
知と娯楽の殿堂のようだった図書館も、最近はあまり楽しい場所ではない。
 
本を読むことじたいが楽しくなくなったわけではない。
 
むしろその反対。年をとるにつれて読みたい本は増えていくいっぽうだ。
 
きっと人生経験が増えていくとともに、若いころは関心のなかったことがらにも興味がわいてくるのだろう。
 
しかし人生の残り時間を考えると、残念ながら自分の読みたい本はほとんど読めそうにない。近ごろのユウウツ感の原因はそれだ。
 
最近手にするのは2時間もあればラクに読みとおせるような、活字が大きくて改行も多い、内容もスカスカの軽い本ばかりだ。
 
ああ、もっと若いうちに読みごたえのある、じっくり時間と手間ひまかけて書かれた名作を読んでおけばよかった。
 
洋邦問わず、古典と呼ばれる名作に触れておけばよかった。
 
完全読破は無理にせよチャレンジしておけばよかった。
 
思想哲学も心理・社会学ももっと読みたかった。いままであまり縁のなかったラノベもコミックもエロ小説も。
 
ああ、あれも読みたい、これも読みたい……書架に並ぶ書物を眺め、ため息をついていると
 
「気が多すぎたるんじゃないか、ちょっと」
 
いきなり後ろから声をかけられた。
 
振り向くとエプロンをかけた三十代ぐらいの図書館員がいた。
 
長身で痩せ型、どことなく不健康な印象だ。顔がとがっていて逆三角形。図書整理ばかりであまり日にあたっていないのか、異常に肌の色が悪かった。
 
「僕、いまなにかしゃべってましたか?」
 
最近、ひとりごとが癖なのだ。考えてることが勝手に口をついて出てしまう。
 
「あなたの心の声が聞こえたよ」図書館員はにこりともせずにいった。
 
「まじめな顔して冗談ですか」
 
「ほんとさ。地獄耳なんだ。なんせ悪魔なのでな」
 
いまどきデーモン小暮でもいわないようなギャグだった。
 
「あなた、悪魔なんですか?」
 
この図書館員、本に埋もれて頭がどうかしてしまったらしい。僕はそれとなくこの場を立ち去ろうと後ずさりし始めた。
 
「待ちなさい。本を読む時間がないとお困りなんでしょ」
 
「そんなことまで僕しゃべってましたか。こっ恥ずかしいなあ」
 
「本を読む時間どころか新人賞への応募作を書く時間もないんだよね」
 
僕は驚いて彼を見つめた。どうしてそんなことまで知っている?
 
もしかして……
 
「もしかしなくても本当に悪魔だよ」男は不敵に笑う。
 
「オレの心を読むのはやめろ!」
 
「なにかお悩みのご様子なのでね。ちょっと読ませてもらった」
 
悪魔だというその男は、駆け引きするように「無限に近い時間を、本を読んで過ごせるとしたら、どうだ?」
 
「は?」
 
「いっただろ、俺は悪魔だ。人間の魂をいただくのが仕事だ」
 
彼は愉快そうに「俺に魂を売り渡してくれたら、永遠の読書時間をやろう」
 
僕の心が動いた。
 
やつは両脇に高くそびえる書架を見上げ「この図書館にある蔵書なんか、かるく全部読破できるんだぞ」
 
「…じゃあ、プルーストの『失われた時を求めて』も全巻読めるかな」
 
「もちろんだとも」
 
「グイン・サーガも宇宙英雄ペリー・ローダン・シリーズも、大菩薩峠も読みとおせるかな?」
 
「カルいカルい」
 
「よし、決めた」俺はいう。「たましい、売った」
 
「そうこなきゃ。話、早いね」悪魔はぞっとするような笑みを浮かべ、
 
「じゃ、待ってるから、よろしくねえ」書架の奥へ去っていった。
 
薄暗い図書館の中、僕はたちつくして、いまの取り引きにていて考える。
 
永遠の読書時間。たしかに魅力的だ。
 
たとえ死んだら魂を売り渡すことになるとしても、それはずっと先の話だろう。
 
生きてるうちに1冊でも多く本を読まなきゃな。少しだけ軽い気分になって図書館を出た。
 
そして通りを渡っていた僕は、車にはねられ、あっけなくこの世を去った。
 
気がつくと、ぎっしりと本が詰まった棚に左右を取り囲まれていた。
 
あおむけに倒れていた僕は、のろのろと半身を起こす。
 
あたりは薄暗い。
 
かたわらに古ぼけたデスクと椅子。デスクの上で年代ものの卓上ライトが、一枚の紙をぼうっと照らしていた。
 
紙にはたった一行、“お命ちょうだいしました。好きなだけ読んでください”
 
悪魔のやつの伝言だ。
 
あらためて俺は周囲を見まわした。
 
広い空間に、天井まで届きそうな巨大な書棚が整然と並んでいた。いったい全部でいくつあるのか、奥の方は闇に溶け込んでいて見当もつかない。
 
並んだ本を眺めながら、出口を探して歩きだした。
 
書棚の陰から、一人の男が現われた。
 
数冊の本を抱えている。長く伸びた髪で表情はよくわからない。
 
「出口を探しているんだね」彼はいった。「そんなものはないよ。ここはレンゴクだから」
 
「レンゴク?」
 
「人が死ぬといちばん最初にやってくる、天国と地獄の中間みたいな場所さ」
 
「煉獄か、聞いたことあるな。天国行きか地獄行きか決まるまで、そこでしばらく過ごすんだろ」
 
「僕らの場合はどっちにも行けない。悪魔に魂を売ったからね」
 
男は感情のない声で「永遠にここで、本を読み続けるんだ」
 
「永遠に?」
 
僕は茫然とした。
 
「たいしたことないよ。これだけ本がありゃ、じゅうぶん時間つぶせるだろ。ほかにやることもないし」
 
彼はぶっきらぼうにいうと、くるりと背を向け、
 
「じゃあね、読書の邪魔だけはしないでね」
 
本を抱え、書棚の向こうへ消えていった。
 
しかたないので手近な一冊を選び、デスクに向かい読み始めた。
 
まずは『完全自殺マニュアル』から読んでみた。いまさら読む必要もないような気もしたが。
 
とにかく活字が並んでいればどんな内容だってかまわない。活字中毒者はそういう人種なのだ。新聞のチラシだろうが電気製品のマニュアルだろうが、隅から隅まで読んでしまう。
 
『完全自殺マニュアル』の次は、キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』を読むことにしよう。
 
もう死んでいるせいか腹も減らない。眠くもならない。ひたすら読み続けた。時間の感覚もやがて消えた。薄暗い煉獄は昼も夜もなかった。
 
もう一人の仲間とはめったに口をきくことはない。たまに読んだ本の感想などを話す程度だ。
 
雑音が入らず集中できるせいか、読書のスピードは現世にいるときの3倍速ぐらいになった。
 
残念ながら内容はまったく頭に残らない。1冊読んだらすぐに忘れる。
 
「あー、読んだ」という満足感がないのですぐ別の本を読みたくなる。禁断症状と同じだ。
 
読み疲れてデスクに本を伏せ、真上を向いて大あくびをする。
 
天井になにかの影がうつっているのに気づいた。
 
天井はどうやら、すりガラス製らしい。そこから弱い光がさしこんでくる。
 
しかも天井の上には誰かいるようだ。ガラス越しに人影がいくつか、下から見える。
 
「あそこにいるのは?」
 
僕は通りがかった読書仲間に、頭上を指さして尋ねる。
 
「あそこは天国。本を書く人たちが住んでる」彼は答えた。
 
「天国かあ」
 
僕の声が少しうらやましそうに聞こえたらしい。読書仲間は
 
「行きたくたって無理さ。この煉獄とはガラスの天井でさえぎられてるからね」
 
僕はあらためて頭上を見上げる。
 
たしかにガラスの天井だ。
 
上にいる人たちの姿は見える。でも自分がそこへ行くことはできない。
 
「……君もさあ、生きてるときは小説書いたりしてたんだろ」
 
読書仲間がいう。「僕も書いてた。でも、どんなにがんばっても作家の人たちの世界には行けなかった。ガラスの天井がしっかりとさえぎってる。下にいるやつらは上がってこれないのさ」
 
「そんなことないだろ」僕はつぶやく。「努力したってムダだってことか」
 
「そういうこと。それが現実だ」
 
黙り込んだ僕を見て、読書仲間はなぐさめのつもりか「まあ僕らだって、この下にいる人たちよりはマシかもな」
 
足元を指さす
 
僕は彼の指先へ視線をおとした。薄暗くていままで気づかなかったが、床もガラス製だったらしい。
 
ガラスの下の闇の中、うごめく無数の人影が見えた。
 
「あそこは地獄。生前、本とは無縁だった人たちが行く場所だ」
 
死後の世界は三層構造らしい。本を書く人たちがいる天国と、本など読まない人たちの地獄、その中間に僕らのような、本好きであわよくば作家になろうともくろんでいた連中が集まっているようだ。
 
「たしかにな」僕は同意する。「地獄よりはよかったかもしれない」
 
「だろ? 高望みはするな」
 
読書仲間は投げやりな口調で「上の人たちとは世界が違うんだよ。俺たちは永久にこのままなのさ」
 
「永久にか? ほんとにか?」
 
彼の負け犬根性にカチンときた。「たいして努力もしないで、あきらめてしまうのか君は」
 
怒りはそのまま天上の世界にも向かう。
 
「くそ、あんな場所」
 
僕は読みかけの本をつかんで、
 
「ちっきしょうぅぅぅぅ!!!!」
 
叫びながら、思いきり天井へ投げつける。
 
本が直撃し、ガラスの天井にひびがはしった。
 
「きゃあああああーーーっっっ!!!」
 
直径1メートルほどの穴があき、ガラスの破片とともに若い女が落ちてくる。大きな音をたてて床にバウンドした。
 
「いたたた……」
 
僕たちの見ている前で女は腰のあたりをさすった。白いレースのような布を全身にまとっている。
 
「天国の住人か。はじめて見たぜ」読書仲間が僕に言う。
 
女は立ち上がり、顔にかかっていた長い黒髪をはらう。
 
若くして新人賞をとり華々しくデビューしたが、その後ぱっとせずアルコールに溺れて世を去った女流作家だった。
 
彼女はあたりを見まわし「ここが煉獄? あたしも堕ちたもんだわね」
 
「あんたにゃ最初からここがお似合いさ」読書仲間がいい放つ。
 
「お似合いとは何さ」
 
「僕のともだちはみんな言ってる。あんたの新人賞なんかビギナーズラックだって」
 
彼は勝ち誇った表情で「くやしきゃここで勉強し直すんだな」
 
巨大な書架が並ぶ煉獄の空間を指さした。
 
――ガラスの天井って意外に薄いんだな。
 
二人のやりとりを聞きながら、僕は思った。
 
見上げると天井の穴から、天国の住人たちがこわごわと下をのぞきこんでいる。
 
あそこにいる人たちも、いつ足元のガラスが割れて下に落ちないか、常にひやひやしているのにちがいない。
 
そう思うと力がわいてきた。
 
「行こう」僕は読書仲間に呼びかけ、そびえたつ書架のひとつに足をかける。
 
棚板をひとつ、またひとつつかみ、天井の上の天国めざしてモルダリング選手のようによじ登りはじめた。
 
 
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2017-06-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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