プロフェッショナル・ゼミ

その日、私が東京駅で、もらった電話を忘れたことはない《プロフェッショナル・ゼミ》


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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《平日コース》

記事:ノリ(プロフェッショナル・ゼミ)

「あ、もしもし、オレだけど」

ちょうど東京駅にいた私は、急いでいた。何を急いでいたのか忘れたけれど、東京駅にいる時はみんな、急ぐものなんだと、初めて出張に同行させてもらった時、会社の上司に教わった。
バッグのポケットの中で振動する、どこかで見たような、見ていないような11桁の数字が並ぶ携帯電話に出ると、聞き慣れた、そして、聞き飽きた、男の声がした。

マサトだ。

――ああ、忘れてた。そうだった。この番号。
電話帳からは消したものの、着信拒否には設定していなかった。まあいいか、忘れるわけないし。電話が来ても絶対出ないし。そう確信していたのに、うっかり電話に出てしまった。

それは、大学を卒業して2年経った頃。
東京にいる人達だけで集まろうと、友人のナツから連絡がきた。
同窓会、と呼ぶにはカジュアルすぎるけれど、小じゃれた居酒屋に集まった高校の同級生は14人。私たちの母校が岩手県にあることを考えると、東京なのに結構、集まるもんなんだ。そう思ったのを覚えている。

不思議だった。
マサトは、そこにいた一人だった。高校の同級生だった。マサトは高校を卒業して京都の大学に入学し、そのまま大学院に通っていた。私は東京の大学を出て、東京で就職していた。マサトとは高校時代、クラスが同じになることはなく、ほとんど話をしたことがない。ただ、ものすごく頭のいい人がいる。といううわさは聞いていた。だからなおさら、私からは距離を感じる人だった。

けれど、不思議だった。
たまたま再開し、たまたま居酒屋の個室の席が、隣同士だった。それなのに、これまでこの人と話したことがなかったのがおかしいくらい、私たちは意気投合した。
二次会まで行った帰り道、知り合いの家に泊まって、明日京都に帰るというマサトを、私は自分の家に連れて帰り、そのまま私たちのつきあいは始まったのだった。

大学院で博士課程に進んだところだったマサトと、仕事が面白くなってきた会社員3年目の私は、必然的に遠距離恋愛になった。毎月一回くらい、どちらかの家を訪ねたり、長期の休みには一週間ほど泊まったりして、付き合いを続けていた。

「えー! 遠距離なんて、寂しくない?」
「それが……意外と向いてるみたいで。普段会えない方が、かえっていいみたいで」
「何それ! 結婚する時、苦労するよ!」
「そうかなあ」
飲み会の後、付き合い出したことを告げたナツは、遠距離恋愛に反対した。けれど電話は毎日のようにしていたから、不思議と寂しさも感じなかった。むしろ、これまで築き上げてきた毎日の生活をジャマされない関係が、私には心地よかった。しかし、付き合いだして3年が経った3ヶ月前、マサトと私は別れたのだ。

それからずっと、私はどこかで、この電話を待っていたような気がする。
ほらみろ! どうせ寂しくなって、かけてきたんだろう。私は少し自分の気持ちが浮き足立っているのに気がついた。

「何? 結婚でもしたわけ?」

だから、ぶっきらぼうにそう聞いたのは、あくまで、からかったつもりだった。
「何言ってんだよ!」「そんなわけないじゃん」もしくは、「ずっと話したいと思ってて」「声が聞きたくて」とか。それとも「忘れられなくて」か。そんな言葉を期待して。

けれど、それのどれもが、かすりもしなかった。

「……ていうか、『した』んだ」
「えっ? ごめん、今何て?!」
「……結婚、したんだ。オレ」
「はあ?」

それまで電話の彼の声が聞き取りにくいほどだった、人混みの騒がしさがすっと静まり返り、目の前を通り過ぎるたくさんの人々の動きが、スローになっていく。いつの間にか景色は色を失い、私の視界は、フィルムの白黒映画のように、ノイズが混じり始めていた。

「ちょっ、ちょっと待って!! 何それ! ケッコン? した?」
別れた彼に追いかけられて、困ったふりをする女を演じる準備満々だった私は、予想もしないマサトの言葉に、完全に取り乱していた。というのも、マサトは、私の「元カレ」、というだけでなく、もう一つ、肩書きを持っていたからだ。

元、婚約者。

マサトと私は結婚の約束をしていた。

京都にいたマサトは、この春、5年間にも及ぶ大学院生活を終え、晴れて就職が決まっていた。そして東京—京都間300kmを越える私たちの遠距離恋愛も、卒業するタイミングかと思えた。

この歳まで大学内での単発のアルバイト以外に、仕事らしい仕事をしたことのないマサトは、就職ということで、実に気合が入っていた。高校時代に買ったというヨレヨレのTシャツに、さえないチェックのネルシャツを羽織り、ジーパンをはき、雪が降るまでビーチサンダル。唯一、本でパンパンのリュックは、肩ひもが本の重さに耐えられずに千切れ、何度か買い換えざるを得なかった。そんな、これまでの、どこから見ても苦学生だった出で立ちから、スーツを揃え、ネクタイを揃え、カバンを買い、時計を買い、新生活の準備に楽しそうだ。

私は、東京に出てから何度目かのアパートの「更新料」のタイミングが来ていて、どうしても部屋を出たかった。遠距離解消、それだけではない。付き合いだした頃から、結婚願望の強かったマサトは、就職先に希望を出し、少し広めのマンションを仲介してもらっていた。私たちは当たり前のように、結婚の約束をした。

「おめでとう! まさかあなたが寿退社とはね」
「ありがとうございます。もちろん仕事は続けたいんですけど、なんせ遠くて」
「またあっちで探せばいいよ! でもしばらくは新婚、楽しみなさい!」

私は会社の人たちに、温かく送別され、結婚式が未定だという私に、お祝いだからと、夫婦茶碗やペアカップ、エプロンに鍋に、ちょっとエロい下着と、たくさんの贈りものをくれた。

幸せ、というものの真ん中に、私たちはいた。そして私は、京都の彼の家に行く前に、一度、岩手の実家に戻っていた。

「やっぱり私はした方がいいと思う。式」
「オレはやりたくないって、何度も言わせんな!」
「親兄弟だけでもよくない?」
「そんなことに金は使いたくない」
「えー! だって一回しかできないことなんだよ!」
「じゃあ、決めてから報告してこいよ」
「えっ、何それ、ひどい! 二人の話なのに!」
「オレはやりたくないから、勝手にしろ!」
「ちょっと! もしもし! もしもし!」

しかし、いざ結婚となると、二人は少しずつ、すれ違い出した。
何の意味があるかもわからない結婚式なんぞに、お金をかけたくない次男のマサトと、長女だからというわけではないが、両親のためにも、小さくても結婚式をしたい私。毎日電話で言い争っては、何も決まらないまま電話は終わってしまう。

そうするうちに、連絡は途絶えた。久しぶりに来たメールには、別れを告げる内容が書いてあった。予感していた私はあっさり受け入れた。結婚式のするしないで正直疲れていたし、マサトを気に入っていた母親も、次第にマサトの態度に疑問を持ち始めていたところだった。

実家にいてよかった。母親のありがたみをこの時ほど感じたことはなかったかもしれない。マサトとの3年が、長いのか短いのかはわからない。けれど私にとっては結婚を決めた彼だった。
別れた日から私は起き上がることができなくなり、家から一歩も外に出ない日が続いていた。しかし母親がいてくれたおかげで、ご飯を食べられるようになり、なんとか立ち直ることができたのだった。そして今日は気分転換にと、ナツの誘いにのって、東京に遊びに来ていた。やっとのことだった。
それなのに。

――もう結婚って、ショックを受けていたのは私だけなんだろうか?

「結婚って、誰と?」
「ミキだよ。ほら、幼なじみの。就職前に実家帰った時にバッタリ会ってさ」
ミキとは、マサトが小学校の時、好きだったという女の子だ。家が近所で、小学、中学と一緒だったと聞かされていた。
「へえ」
気の無い返事をしてみたけれど、春休みはまだ、私たちの関係は続いていたはずだ。
「それで……付き合いだしたんだ?」
「いや、すぐじゃないよ。だってまだ別れてなかったじゃんか。その場では連絡先交換しただけで」
「へえ……」
マサトは少し取り乱したが、この際、二股かけられていたかどうかなんて、問い詰めても意味ないか。
「で、付き合ってすぐ結婚したんだ?」
「まあね、……なんだかタイミングがよくってさ。この間、式も済ませたとこ」
「式! したんだ……」
あれだけ嫌がっていたのに。しかもこの短期間の中で……。
「もう、大変だったよー! 急いでやったからめんどくさい準備がいっぱいあってさ。でも意外に感動しちゃって、オレ、泣いちゃって泣いちゃって。向こうの両親がさ……」
マサトはせきを切ったかのように話し出した。この人は、私のことを友達か何かと勘違いしているのだろうか。それとも、付き合ってきた頃の記憶がすべて消えてしまっている病気なのだろうか。
「あの、それはいいけどさ、何で連絡してきたわけ?」
私はもう、電話を切りたかった。
「うん。お前のいい時期に長いこと付き合ってきたからさ。ごめんねって言いたくて」
「えっ!」
びっくりした。
――いい時期? どういうこと? 私のいい時期はもう、終わったってこと? 女として終わったってこと? こんな男に振り回されて終わったってこと?
私は結婚を知らされたことよりも、さらに大きな衝撃に包まれていた。
「そんな……」
「ほんとだよ。結婚できなくって、ごめんねって思ってる」
残念ながら、彼には私の本心は伝わっていないようだった。

「あー! お前の声聞いて、ホッとしたわー」
私の気持ちをよそに、懺悔を済ませて安心したのだろう。マサトの声は、ソファにもたれかかるように安堵していた。
――そのセリフ、今、言うんだ。
「あ、風呂上がったみたい。またかけてもいいかな」
どうやらマサトは、ミキさんか何かよく知らないけれど、妻となった女の入浴中に、元カノである私に電話をしてきていた。そして、その上でまだ、私と関係を繋ぎたがっている気持ちが透けて見えた。
「私はあなたと話すことはもうない。だから二度と電話しないで」
私はもう、その言葉を言うのが精一杯だった。

「あっ、すみません!」

電話を切ってから、ずいぶん時間が経っていた。急ぎ足のサラリーマンにぶつかられるまで、私は人混みの脇で突っ立っていたようだ。昔の漫画で、ガーン! と、頭の上に大きな岩が落ちてくる表現を見たことがあるが、現実にガーン! になると、むしろ自分自身が岩になってしまうんだ。そんなことを思った。

「あっ! そういえば」
思い出した。急いでバッグの底を探ってみると、古いレシートや飴に混じって、無造作に入れたまんまの指輪が見つかった。それはマサトからもらった婚約指輪だった。

久しぶりに目にした指輪は、すっかりくすんで、安っぽく見えた。実際、婚約指輪にしては、かなり安い指輪だった。ダイヤモンドどころか、何の宝石もついていない、素材はプラチナでもゴールドでもない、ただのシルバーでできた、大ぶりの太いリングだった。

「指が太いから、あんまり華奢な指輪だと、指輪がかわいそうで」
マサトと行ったジュエリーショップの店頭で店員さんを笑わせてみたけれど、そんなことを言って私は、財布の苦しいマサトを気遣ったつもりだった。

「どうせなら石がついているのにしたらよかったかな」

指輪をもう一度、右手の薬指にはめて前に伸ばして眺めると、ちょうど視線の先に、ゴミ箱が行儀よく並んでいた。私は指輪をはずすと、「新聞・雑誌」でもなく、「カン・ビン」でもなく、「ペットボトル」でもない。「その他のゴミ」の入り口に、ポンと放り投げた。

「カーン!」

ステンレスでできたゴミ箱の底に当たった指輪は、乾いた、そして間抜けな音を立てた。次の瞬間、私の頭の中で、日曜の昼のテレビ、NHKのど自慢の鐘の音が聞こえた。

「カーン!」

気持ちよく歌っていた曲を、無情に終わらせる鐘、一つ。
くやしさをかみ締めた表情で、アナウンサーにマイクを渡すと、そそくさとステージをはけていく出場者。その背中は寂しそうだ。

のど自慢では、合格しなかった出場者に、名前を名乗る権利はない。次の出場者のために、いち早くその場を後にするだけだ。

――そっか。名前もなんにもないただの恋が、終わったのかもしれない。それだけなのかもしれない。

ステージの中央で鐘の音にジタバタする姿を、全国に放送される自分を想像していたら、思わず笑いがこみ上げてきた。私は、小さな小さな「大丈夫」が、心の中に生まれたのを感じた。そして、すれ違う人の目も気にせずニヤニヤしながら、人混みの中へと、帰りを急いだ。

そうして私は雑踏の、中の、ただの、一人になったんだ。

***

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