メディアグランプリ

反面教師


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記事:森田裕子(ライティング・ゼミ 日曜コース)

 
 
絶対にこんな人にはならない。
結婚するまで一緒に暮らしていた母に対して思っていたこと。

母が嫌いだった訳ではない。だが、他人であったとしても友人にはならないと思っていた。

小学校一年生の時の思い出といえば、学校から帰ると勉強をさせられたこと。
リビングの窓にもたれ、嫌々ながら算数ドリルをしている私。その傍には母がいて、その日にやると決めたページを私が終わらせるのを待っている。
あー、嫌やなあ。鉛筆で遊んだり、ノートの端に落書きをし始めるから中々進まない。
夏休みになると、母が新しく買ってきたドリルで猛特訓の日々。
兎に角、勉強が嫌で嫌で窮屈で大嫌い!
その頃の記憶が私の中にしみ込んだせいか、中学でも高校でも成績を上げる為に頑張ろうなんて気持ちは全く生まれなかった。

ピアノにしてもそうだ。習い始めた時に、その週の課題曲を毎日20回練習するように言われた。
最初はピアノを弾けることが嬉しくて、一回、二回と数えながら練習していたが、慣れてくるとテンションも下がってくる。その上、毎日20回の練習なのだ。段々とピアノを弾くことが苦痛になり、小学校卒業と同時に「中学に入ったら勉強しなあかん」ことを理由にレッスンを辞めた。勿論、勉強をする気はないが。

母はとても教育熱心な人だ。今の私が、一般教養レベルの教育を身に付けることが出来、音符が読めるのもそのおかげだとは思う。
母は高い学歴を付けること、経済力の高い人と結婚することが私の幸せと考え、私の為に心を鬼にして、教育しようとしたのだとも思う。
ただ、二十歳くらいまで私は母の考え方の型に嵌められ、そこに私の気持ちの自由はほとんど無かったように思う。

また、母は謝らない人なのだ。
最近でこそ人間が丸くなり、「ごめんね」と言うことばを聞けるようになったが、父が生きていた頃、もしくは私が結婚して家を出るまで、母は「ごめん」を言わない人という印象を持っていた。

記憶にあるのは、私がまだ学生だった頃、家族で旅行に出かけた時のこと。
旅館に泊まり、和室に父母妹私の四人が頭を真ん中にして、二人ずつ布団を並べて寝た。朝方、朝風呂から戻ってきた母は、出入り口から一番遠い自分の布団に戻ろうと私の枕元を通った。
「メキッ!」
その音に、慌てて枕のすぐ傍、敷布団の際に置いていたはずの眼鏡を見た。鼻を支えるプラスチックが折れている。
「ちょっとお母さん、眼鏡壊れたやん!」日常から眼鏡をかける生活をしていた私は、腹立たし気に言った。すると母は「そんなとこに置いてるのが悪いねん。だいたい、壊れたら私がお金払うんやん!」と言って謝らない。「確かに置いていたのは良くなかった。でも、お金払うから謝らないなんて無い」と、父と妹を巻き込んでの大喧嘩となってしまった。
そして、「私は、こんな人には絶対にならない!」と強く心に誓ったのだ。

別に母が嫌いな訳ではない。二人で旅行に行ったり、買い物に出かけたりもした。
父が他界した時も、阪神大震災が起きた時もふたりだから乗り越えられたと思っている。
ただ母に対して、自分自身をとても大切にしている人だと思っていた。

その後何年か経ち、私も母親となった。
私は幼い頃の経験から、学び続ける為、技術を高める為には、それを好きになることが一番だと思っていたので、子供に対しては楽しんで学べるように、私が厳しく強要することはしないようにしようと思っていた。

だが、現実的にこれが難しい。
やる気にならない子をやる気にさせるにはどうしたらよいのか?
私に出せる答えは、私自身が幼き頃に経験したことしか無かった。
教育に関する本で読んでも、先生方の話を聞いても、それらの素晴らしい話を信じる事が出来ないので実行することが出来ない。
私が体験してきたことは頭の中に心の中に深くインプットされており、それらが一番の正解なのだ。
こと勉強に関しては、「今、この子が学校の授業についていけるようにするのは、親である私しかいない」と責任を感じ、ついつい強要し、誘導し、子供自身を変えようとした。

特に第一子である長男には、厳しかったと思う。
私自身、親として初めての経験ばかりで、心に余裕も無く一般常識から外れないように育てなければという責任感を持って接していた。勉強嫌いな所やマイペースな所は、全く幼き頃の私にそっくりで、それが余計にイライラしたのだと思う。
長男に聞いたことは無いが、高校を卒業するまで窮屈だったのではないだろうか。

第二子、三子に関しては、細かにみる事が私自身段々面倒になり、それほどヤイヤイと言ったつもりは無い。
長男と同じような道を二回、三回と通るのだから、その子の性格と周りの環境で判断する方法も解ってきて、離れて見守ることが出来るようになったのだと思う。

それに下の子達は、長男の様子を見ているので、何が私をイライラさせるのかもわかっており、上手い具合にかわしている。私が長男に10言っていたことを第二子である次男には8くらい伝えれば、同じような結果を得ることが出来た。

結局のところ、少し緩和もあるかもしれないが、長男を育てるにあたっては、私自身が絶対にしないと思っていたやり方で子育てをしてしまったことになる。
何度も言うが、少し緩和しているとは思うが……。

そして、その長男が私によく言った言葉は、「母さんは謝らへん」だ。

あー、何時からこんな私になったのだろう。
前からそうだったのかと思い返してみると、そうでも無いように思う。
ある時、自分が悪くないのに「ごめん」と謝っていることが多いのに気付き、「本当に悪いと思った時だけ謝ろう」と思った記憶がある。それは、たぶん子供が生まれる前のこと。

子供が生まれて親になったら、謝らない人になったのだろうか。
家事、子育て、仕事に手一杯となり、いつの間にか「私は頑張っているから謝らなくていい」という意味の分からない傲慢な考えが湧いてきたのだろうか。
更に、私自身謝らないのは家だけではないことに気付いていた。職場でも「私、今のこと謝らないとあかんのと違うやろか」なんて思うことがあったのだ。

大体、簡単なことは謝るが、責められそうだと思うことについて謝れない。
謝れない理由を考えていた時に思い出したのが、かつての母のことだった。
母と暮らした中で、無意識的にこんな風に染まってしまったのだろうかと思ったりした。
謝れないことが私の欠点として、自分の中でいつも気になっていた。

一年程前、心理療法家の先生と会う機会があり、「私、ありがとうは言えるけど、ごめんなさいが言えないです」と話してみた。
すると先生は、「ありがとうの後には、あなたを受け入れましたという言葉が隠れています。ごめんなさいの後には、こんな私を受け入れてくださいという言葉が続くのです。だから、ごめんなさいが言えないということは、相手に受け入れてもらえないことになります」とおっしゃった。
なるほどと思った。この言葉は私の心に響いた。
受け入れてもらえないということばに、一人ぼっちの寂しさを感じた。
それ以降、私は受け入れてもらうことを意識して謝るようにしている。

母に対して「絶対にこんな人にならない」と思ったのは母の性格のほんの一部分に対して。
私にとって都合が悪いところをクローズアップし、母の大きな愛で包まれていることを忘れ、その愛を当たり前のように受け取ってきたのだ。

今、老いた母を見ていると、あの時の母とは別人のように感じる。
昔ほどの頑固さも厳しさもなく、心配性で優しいばかりの母。

残りの人生を、優しく温かい気持ちで楽しんで生きてほしいと心から願う。

 
 
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2017-06-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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