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プロフェッショナル・ゼミ

日常の中に隠した涙《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《平日コース》

記事:田中望美(プロフェッショナル・ゼミ通常コース)

午前7時30分。いつもの朝。今日はやけに風が強くて気持ちいい。風は強いくらいが心地いいのだ。イヤホンから流れてくる音楽を聴きながら、私は停留所でバスが来るのを待ちながら一人、物思いにふけっていた。いや、それか早朝だから頭がボーっとしているだけかもしれない。

バタンッ

田んぼの広がる静かな朝に、車のドアが閉まる大きな音がそこら中に響いた。当然のごとく私はそちらの方を向いた。
目鼻立ちの整った美人な女性がまだ幼い、おそらく幼稚園児だろう息子を車に乗せているところだった。その女性は銀行員のような制服を着ていた。おそらく出勤前に子供を送っていくのだろう。眠くて少しぐずっている子供を慣れた手つきで、後部座席のチャイルドシートに乗せていた。そこへ、きちっとしたスーツ姿の旦那さんが煙草をスパスパと吸いながら家から出てきた。すでに出発しようとエンジンをかけた妻には何も言わず無言だが、車の窓から、後部座席の息子にむかって顔の横に手を広げながら、「行ってらっちゃ~い」みたいなことを言って、デレデレとあやしているようだった。

そのまま息子を乗せた車は出発し、その後を追うように旦那も車で出勤していった。

ごくごく普通の日常である。

だが、私の心はすでに、何かを感じて泣き叫びそうだった。

たった一つの「違い」が、わたしの心をエグるのだ。

 
 
あの、目鼻立ちの整った美しい女性は、髪の毛が生えていなかった。

後頭部と頭頂部には、髪の毛が薄く生えている。顔も制服姿も完ぺきな彼女は、髪の毛がまだらにしか生えていなかったのだ。

私は、ものすごくショックを感じていた。「えっ……」と、言葉が詰まるような気持ちだ。だが、彼女は帽子などをかぶる様子もなく、堂々と車で去っていった。一瞬だけ見えた彼女の表情は、本当に凛として見えた。何物にも屈しなぞ、そういう表情だ。

なのに、今日は、私の目から涙があふれる。あの家族のことは、毎日のように見ていて、いろいろな想像をめぐらさずにはいられなかった。だが、今日だけはなぜか涙が止まらないのだ。いつも見ていた何気ない日常なのに。

ああ、よかった、朝早いから、周囲にはまだ誰もいない。

そして、こう思った。
みんな心に傷を負って生きている。

彼女は重い病気を患っていて、治療をしながら働いている。通院治療を選んだのは、子供のためだ。家族の時間を大切にしたかったから。多くの人の前に出ない限り、帽子は着けない。これは、彼女が日常を守るためのプライドだ。だから、幼稚園への送り迎えに帽子をつけていくことは、ない。
旦那は、いつ崩れるかわからない自分の心を隠すためにタバコを吸っていたのかもしれない。こういうことは、男性の方が弱いのだ。だが、自分がしっかりしなくては、という思いから、タバコに手を出さずにはいられない。病気の彼女と子供にとって、さらに自分にとってもいいとは絶対に言えないその物は、どうしてか、自分の心を麻痺させ、暗闇から救ってくれるのだ。

みんな、心に傷を負って生きている。
けれど、なんともないように、そのまんま日々を送る。
なぜなら、食べ物や、服や、遊びやキャバクラや、あの旦那のようにタバコが、色んなことによって傷ついた心を隠してくれるからだ。だから人は、娯楽を辞めることができないのかもしれない。

ゴホッゴホッ。ゴホッ、うえっ。

私の父はここ一週間、風邪が長引いているようだった。家にいる間中、ひどい咳をしている。それなのに、朝からタバコを吸いに行っていた。部屋の中で朝ごはんを食べている私のところまで咳の音が聞こえてくる。我が家では家の中ではタバコを吸ってはいけないのがルールだ。父の会社は今の時期、仕事が忙しく、泊まり込みで働いている。それなのに時間が空けば、私をこうしてバス亭まで送り迎えをしてくれている。さすがに父の体のことが心配だ。だが、「大丈夫?」なんて言えるわけがない。父と娘の関係は難しいのだ。幼い頃であれば、泣きながら、「身体に悪いから、お父さんに長生きしてほしいからタバコ辞めて?」と言うことができたのに、今は口を開けば、「キモイ」だ。恥ずかしいのか何なのか、自分でもよくわからない。だけど、心の中では、家族のためを思うなら、タバコをやめて、無理をしないでほしいと心底願っている。

だって、家族の中で、父と言う存在はとても大きい。私が今、こうして不自由なく生活しているのは、経済的にも精神的にも家族に支えられているからだ。もし父が病気で倒れたりなんかしたら、私たち家族はこんなふうに豊かに暮らすことができなくなってしまう。

そして気づく。そんな私は家族に何かできているだろうか? 何もできていない、むしろ迷惑をかけているお荷物じゃないか?

母とは最近、顔を合わせれば言い争いばかりだった。母の考え方が古臭く聞こえ、何をするにも突っかかってくるのがうっとおしく感じたからだ。そのくせ、私は母の作るご飯を食べ、夜遅くに迎えに来てもらっていた。一丁前に反感するくせに面倒は見てもらう。

「そんなことなら、家を出て、一人でやっていかんね」

そう、止めの一言を残して母は、先日、ストレスと睡眠不足がたまって体調を崩した。それでまた、風邪をひいている父の負担も増やしてしまったし、全部全部私のせいだ。私が悪いのだ。私さえちゃんとしていれば。何にもできない自分が悔しくて、悲しくて、情けなくて、少しのことでイライラしてしまっていた。些細なことがたくさん重なって、両親の前で素直になれなくて、私のせいで、我が家の空気が荒んでいるのが目に見えて分かった。こんな私、本当にいない方が家族のためだ。本気でそう思っていたところだった。もっと、役に立ちたいだけなのに。

それだから、朝のバス停で、あの家族を見た瞬間、わたしの目から涙があふれて止まらなかったのだろう。

私は、何もできない自分を変えたいと思っていた。変わらなければ、このままじゃ自分がやばいと思った。これ以上家族や周囲に迷惑をかけないよう、自分一人でできることは自分で何でもやらなければ。ただでさえ迷惑をかけているのだから……私の状況でそう考えるのは、当然のことだと思う。

それから私は、どうしたら自分のためのお金だけでも工面していけるか、考えた。そして思い悩んでいた。

なりふり構わず、働けばいいのだけど……

私は大好きな踊ること、書くことで食べていけるようになるために、日々アルバイトをしながら、レッスンに通い、文章を書いている。稼いだお金は、今でさえ、交通費とレッスン代で消え去ってゆくというのに、それプラスでお金を貯めるのは至難の業。何と言っても、私が今の生活ができているのは、経済的にも精神的にも家族に支えられているから。今の私にとって大切なことは踊り書き続けること。そして自分の体こそ主本。それらができなくなれば、元も子もない。無理して体を壊して何もできなくなれば、本末転倒なのだ。病気にでもなってしまえば、それこそ家族に大きな迷惑をかけてしまうことになる。

私は「できない」ことを「できる」ようにすることに必死だった。一か月ちょっとで10万円貯めなければならないとか、朝が早く夜遅いのに、睡眠時間を削ってでも家事をこなそうだとか。でもその考え方は、勘違いだったことに気づかされた。

私がどうやってお金を稼ぎ、貯めることができるか相談したときのことだ。たくさんの情報と知恵を持っていそうなダンサーの女性は意外にもこう答えた。

親に甘えることは必ずしも悪いことではない。
見えないところでお金じゃない何かを交換してるのだから。

嘘だと思った。そういうのは、甘ったれた人の言い訳だと思ったからだ。しかし、考えてみれば、私は自分がお金ではない何かを対価として家族に届けられている自信がなかったから、気持ちよく甘えられないのかもしれない。そう思った。

案の定、母にも、

お金は自分が稼ぎたいと思っていることで稼ぐことができるようになって返せばいいのだから、今はそのために「自分ができること」を一番にせやんとやないとね?
お金はコツコツと地道にしか貯められんとよ。急に稼げるものでもなか。それなら、今はまだ遠い道のりに思えるかもしれんけど、自分の体のこととか、ダンスとか書くことに専念していくべきやないと? 「自分にできること」を、遠回りに思えるかもしれんけど、やっていって、少しでも早く自分のやりたいことで食べていけるようになることがお母さんたちにとっても一番の近道よ。

つまり、本当に「自分のできること」をしっかりとやって、できないことはしっかりと受け止め、時には頼るということこそ、今もこれからも周囲の人に迷惑をかけずに済む第一の方法だというのだ。

正直、驚いた。
自分のことばかり考えてはダメだ、人には負担をかけないように……そういう行動をとろうとするときほど、こんな風に言われたからだ。

私は、社会に出て、1人じゃ何もできないことをジンジンと感じていた。
大学を卒業して社会に出た今、自分はもっと「できる」と思っていたのだ。
だが、やろうとすることはどれも簡単なことではなかった。
結果的に、私の背伸びや無謀な口だけの「できる」「やる」の主張が周囲にダメージを与えていた。大切な家族の足を引っ張っていた。

新しい世界に飛び込むのだという思いでいっぱいになり、うぬぼれていたのかもしれない。

誰だって、できない自分を認めたくない。

でも、それを受け止めなければ、「できること」と「できないこと」の見極めができなくなる。できないからこれをする、が生まれるのだ。

だから私は「自分にできること」を1つ課すことにした。

いつも手を差し伸べてくれる人、気づきを与えてくれる人、こっちにおいでよと導いてくれる人、一緒にいると笑顔になれる人。

とにかく自分にとってありがたいな、支えられてるな、嬉しいな、素晴らしいな、と思える人に与えてもらったコトを、忘れない。

そして、返すべきタイミングが来た時に、それを何百倍にでもして恩返しをすること。

できない自分を惨めに思うのではなく、こうやって支えてくれる人がたくさんいることに感謝して、そのパワーをお借りして、少しずつ、たくさんの私にしかできない恩返しをすればいい。できないことをして、抜けられない迷路にはまっていくより、ずっといい。そのことに気づきはじめていた。

あの、私の心が傷を負っていた時期、本当はどうすればいいのか、すでにわかっていた。でも、食や遊びに走り、あと一歩が踏み出せずにいた。そんな時、あと一歩を押し出してくれたのが、日常を過ごす、あの家族の風景だったのだ。

いつもの服装で、いつもと変わらない表情で、同じ時間帯に出勤していく。
彼らがいつも通り過ごしてくれていたから。

だから私は、「自分にできること」を一生懸命にやっていくしかないのだと歯を食いしばった。私だけではないんだ。みんなが心に何かしらの傷を負っている。その辺で散歩している呑気なおじいちゃんも、夕方集団で帰ってくる部活動生も、コンビニの店員も。
わたしと同じように、いろんな理由で無力な自分を腹立たしく感じていたり、思い通りにならない自分にむしゃくしゃしたりしてしまうこともあるのだろう。それでも時は流れるから、何事もないふりをして、日々踏ん張って生きているのかもしれないのだ。

タバコだとか、娯楽は私たちの傷ついた心を時に隠してくれている。だけど、私はそんなものがいらなくなるくらいの恩をいつかきっと返したい。
そう思いながら、私は涙の痕に気づかれないよう、顔を手でパタパタと仰ぎ乾かしてバスに乗り込んだ。

***

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