プロフェッショナル・ゼミ

「好き」だなんて、言ってやらない。《プロフェッショナル・ゼミ》


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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《平日コース》

記事:松下広美(プロフェッショナル・ゼミ)

お正月前の最後の日曜日。
年が開ける前にと、美容院に来ていた。
ふと携帯を見ると、母からの着信があった。
いつもなら美容院では携帯はカバンの中に入れたままにしているけれど、その日はなぜか目の前に置いていた。
母には美容院に行くことは伝えてあったはず。
なにか、嫌な予感がした。
「ちょっと電話してもいいですか?」
美容師さんに断りを入れて、母に電話をする。

「お父さんが大変! 早く帰ってきて!」

電話の向こうから聞こえてくるのは、叫びのような声。
今までに感じたことのない焦りを感じる。
緊急事態を知らせるには、充分だった。

「すいません、急用ができまして。急いで帰らなきゃいけなくて」
私の口調から、緊急事態だとわかってもらえただろうか。
お願いしたメニューはまだ残っているが、とにかく早く、と二人がかりで髪を乾かしてもらい、店を出て家へ帰る。

何があったんだろう。ヤバいのかな。
家に着くまでの間、車の中で今朝の出来事を思い出す。

「なにやってんの!」
朝、部屋の外で物音がして、目が覚めた。
ドアを開けると、父が廊下に置いてあるお酒の瓶を物色していた。
「なんもしとらんわ!」
何もしてないわけがない。
もう、酔っている口調だった。
だいぶ飲んでいるのは、わかっている。

もう何年になるだろうか。
仕事で店を開けている以外の時間は、ずっとお酒を飲んでいる。
平日は、店を閉めると同時に飲みだす。
休みになると、起きてすぐ飲む準備をし、テレビの前で飲み続ける。
飲んでは寝て、起きては飲んでの繰り返し。
静かに飲み続けてくれているのならいいのだが、そうではない。
飲むと、家族にはケンカ口調。まともに話なんかできやしない。

特に私に対しての暴言は、ひどかった。
「誰のお金で大学まで行けたと思っているんだ」
「女のくせに大学まで行かなくてもよかったんだ」
「だから生意気なことを言いやがって」
父親から次から次へと投げられる暴言は、心を殴られているかのようだった。
私も黙って聞いているだけではないので、言葉の殴り合い状態になる。

父はバイク屋をやっていた。詳しい経済状態はわからないが、子供ながらうちにはお金がないんだなと思っていた。
バイクなんて、趣味のものなので、不景気の煽りをもろに受けていたと思う。
家にお金がないのはわかっていたから、大学へ行くのだって全額ではないけど奨学金を借りて払ったし、授業料以外の教科書代とかはバイトしたお金で払ってきた。おこずかいは親戚からのお年玉で少しずつ使ってなんとかしていたし、バイトを始めてからは「何か買って欲しい」とねだったことだってなかったはずだ。就職してからだって、ずっと家にお金を入れてきたし、両親の携帯代はずっと払ってきてるし。お金のことを30歳を過ぎてからも言われる筋合いないんだけど。
っていうか、そもそも、なんで私だけ言われなきゃならないんだ。下に2人いる弟だって同じように大学へ行ってるし、高校から私立へ行ってるから、お金は私よりかかっているはずじゃないか。なんで男はよくて、女はいけないの?

「誰が生活費を払ってると思ってるんだ!」
「私だって稼いでる! 私が払ってやったっていい!」
何度ケンカを繰り返しただろう。

今日も、朝から飲んでいた。
今朝も、ケンカして家を出てきた。

家の前まで来ると、救急車が停まっていた。
救急隊員の人がいて、伯母がいて。あれ? お母さんは?
いるはずの母を探していた。
救急車の後ろが開いていたので、近づいていくと、名前を呼ばれた。
「娘さんですか? 家を出たのは何時頃? 最後にお父さんを見たのは何時頃?」
矢継ぎ早に質問を投げられる。
最後に見たのは、お風呂に入っていく姿。家を出るちょっと前だった。
いや、そんなことより、お父さんは?
救急車の中を覗くと、母が座っていた。誰かが横で寝ている。あ、お父さんか。何があったんだろう。
冷静になろうという気持ちと、何も考えられなくなる頭と、年末の寒さのせいなのか、血の気が引いて冷えてくる身体と、なんだかよくわからない状況だった。

「今から名市大病院に行きますので!」
私からは何かを聞く暇もなく、救急車が出ていった。
弟には連絡がつかなかったが、とりあえず救急車を車で追いかける。
病院までの車中で、何があったか、伯母が教えてくれた。

朝から出掛けていた、母と伯母が一緒に帰ってきた。
居間には誰もいなかったので2人で録画していた韓流ドラマを見ていた。
父はどうせ飲んで2階で寝ているんだろうと思っていた。
ドラマも終わり、父の様子を見に行ったところ、いるはずの部屋には誰もいない。
ふと、風呂場の電気がついていることに気付く。
父は、お湯に浸かっていた……。

病院に着くと、母が
「もう、いろいろ、チューブとか、外してもらったよ」
と。

あ、だめだったんだ。

いろいろやらなきゃいけないことがあるな。
葬儀屋さんってどうすればいいの? あ、弟がまだ連絡ついてない。親戚のおじさんにも連絡しなきゃ。会社にも連絡しなきゃ。
よく働いていない頭の中で、やらなきゃいけないことは冷静に思い浮かぶ。
思い浮かんではくるけど、何から手をつければいいのかわからない。
軽くパニックになっていた。
でも、心の片隅で、こんな場面では浮かんでくるはずのない感情があった。

私、ちょっと、ホッとしてる。

本当なら悲しみにくれる場面のはずなのに。確かに悲しい。でも……。
いや、こんな場面でホッとしちゃいけない。
父親が亡くなってしまったという現実にホッとするなんて、どういう神経をしてるんだ。
ただ、これでよかったのかもしれないって、思った。

毎日毎日、家に帰って顔を合わせるたびにケンカばかりだった。
日々のことがいくつも折り重なって、「おはよう」「いってきます」「ただいま」「おやすみ」なんていう、単純な挨拶もしなくなっていた。
家に帰るのが憂鬱で仕方なかった。
父に会うのが嫌で、父親のことなんか大っ嫌いで。
いなくなればいいのに。
そう思ったことも、何度もあった。

そんなに嫌だったら、家を出ればよかったのかもしれない。
でも、長年実家で暮らしていて、一度も外で生活をしたことがなくて、家を出るべき理由が見つからなかった。
仕事も変わっていない、結婚もしていない。ましてや恋人らしき影もない。
ギリギリ均衡を保っている家の状態が、私が抜けることでバランスが崩れてしまったら。

違う。そんな綺麗な理由じゃない。
「父親が嫌いだ」なんていう理由で家を出るなんて……私の小さなプライドが許さなかった。
アル中のような状態の父親がいる。
そのことを表に出すことを、私が許さなかった。
「お父さんってさ、ちょっと飲みすぎることがあるんだよねー」
それくらいの状態にしておきたかった。
仲のいい家族だよ、と言いたかった。
毎日、お金のことでケンカばかりで、私自身も家の中で暴言を吐き出さないとやってられない現実を知られなくなかった。

もう、ケンカすることもないんだ。
そう思うと、ホッとした。

自宅で亡くなると、警察が事情聴取やら家を調べたりする。
事件性はないか、調べるらしい。
それに立ち会った。
「店の名前を聞いて、まさかとは思いましたが」
と、入ってきたお巡りさん。
「おやっさんには、バイクのことでいろいろ世話になってねー」
なんて話している。お巡りさんもお客さんだったらしい。
外ヅラはいい人だったから、そんな風に言ってくれるんだろうな。
いろいろ調べてはいて時間はかかったが、なんかお巡りさんが父のことを知っているおかげか、そんなに深くまで調べられることはなかった気がする。気がするだけで、他に経験があるわけではないので、なんとも言えないけれど。
「ほかにも世話になった奴がいるんで、伝えておきますわ」
と言って、そのお巡りさんは帰って行った。

「どの写真にしようか」
遺影にする写真を探していた。
家中の写真を集めて、見ていると、私が小さい時の写真も出てきた。
まだ、1歳になるかならないかくらいで、車のボンネットに座らされて、父と写っている。私はすっとぼけたような顔をしていたが、隣で写っている父は嬉しそうな顔をしていた。
小さい頃は、優しかったのにな。
父の手はとっても大きくて、手をつなぐときは、私が父の人差し指をぎゅっと握って、つないでいた。

お通夜が終わった後、父の友人たちが集まって、いろんな思い出話をしていた。
車のラリーの最中だったか、終わった後だったか、居眠り運転で高速から落ちてしまった話なんかはみんなで笑った。
ほかにも笑える話が多くて、深夜まで盛り上がっていた。

悪いこと、できない人だったんだろうな。
昔話の数々を聞いていて、そう思った。
もちろん、そんな場だから悪いことなんて言わないだろうし、そんな人はこの場に来ないだろうけど、父親ながら「いいひと」だったんだろうなって。

思い出話がいくつもいくつも増えていく。
それと比例して、死という現実に少しずつ実感が出てきて、悲しみも少しずつ増していった。
悲しみは大きくなっていったが、周りの人たちの話や対応が、悲しみを柔らかく包んでくれていた。

そうすると、ホッとしていた気持ちよりも、後悔の気持ちが大きくなっていった。
生前の父と、最後に顔を合わせているのは、私。
あのとき、家を出る前に、「いってきます」とお風呂に入っていた父に言っていたら、どうなっていたんだろう。
私が家を出て、父と距離を置いて、優しく接することができていたら、どうなっていたんだろう。

どんどん後悔の気持ちが湧いてくる。
タイムマシンでもない限り、その時に戻ることはできないし、戻ったところで同じ選択をするだろう。
だから、自分の中で受け入れていくしかない。自分を納得させるしかなかった。

「お前が大学に入ったことは、嬉しそうに話してたな」
いつだったか、父の友人が話してくれた。

そんなの知らなかった。
長年、大学へ行ったことを否定され続けていた。
よく思っていないんだと思っていた。
そんな話をしていたなんて、全く知らなかった。
周りにばかり、そういうこと言って。
金がかかるという愚痴だったんだろうか。
それとも、娘の自慢でもしていたんだろうか。

「よかったな」とか「頑張ったな」って、父の口から聞きたかった。
私はそれだけでよかったのに。

父は、すごく不器用な人だった。
「不器用ですから」と高倉健のように言えばよかったのに。

不器用だから、想いを伝えることは下手な人だった。
ただ、困ったときにはいつでも駆けつけてくれた。

私が小学生の頃、同級生の男の子に定規で腕を怪我させられたことがあった。
怪我といっても、ちょっとした、すり傷くらい。
「お前は女に傷つけて、なにしてくれたんだ!」
と、私の傷を見るなり、小学校に怒鳴り込みに行った。

家に電話をすると、店に常にいるお父さんが出ることが当たり前だった。
原付で事故をしたとき、車のバッテリーが上がってしまったとき、雨が降って傘を持っていないとき、いつでもどんなときでも駆けつけてくれた。

父は私のヒーローだった。

あれから2年半が経ち、父がいないことには慣れた。

いないことには慣れたし、頭に浮かぶのは楽しかった思い出が多い。
だからといって、あの暴言の数々を許すことはできない。
否定ばかりされ続け、何を言っても受け入れてもらえなかった。
いくら周りから、いい話を聞いても、やっぱり許すことができない。
ヒーローだったからといって、テレパシーが使えるわけじゃないんだから。
ちゃんと、思っていることを娘に言ってくれなかったことは、一生許さない。

だから私も、「お父さん大好きだよ」だなんて、死ぬまで言ってやらない。

***

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