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便秘になって生きる意味を考えた


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記事:池田育弥(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
生まれて初めて手術をした36才。2017年5月。
8時間の大手術。
 
闘病記ではないので、簡単な情報だけお伝えする。
大学病院の先生も、あまり経験がないと言う、珍しい病気だった。
骨盤内に9センチ×10センチという、袋状の腫瘍が見つかった。
悪性ではなかったが、腫れて痛みを伴うので、緊急で手術をした。
 
術後の痛みに加えて、私を苦しめたのは、便秘である。
 
そう。これは、便の話である。
お食事中の方、すみません。
よく考えたら、お食事中の方だけに謝るのはおかしいな。
改めて、お食事中の方じゃなくたって、すみません。
 
お尻の筋肉をえぐったからなのか、便意はあるが、便が出ない。
 
便意はある。「あ、うんちしたいな」と思ってトイレに行く、その感覚はある。
しかし、出ない。
つまり、ず〜〜〜〜〜〜っと、「うんちしにトイレに行きたい」状態。
24時間ずっと。
 
医者に相談したら、
「食欲なくても、ちゃんと3食摂って、適度に腸に刺激を与えるために歩いてください」
とアドバイスを受ける。
ご飯食べる。その分おなかが張る。言われた通り、痛いけど頑張って歩く。
出ない。少しも出ない。出る気配すらない。
 
手術の傷が、大腸と直腸に近いからか、便が溜まってくると、傷の痛みが増す。
ただでさえ痛いのに。
痛みを逃すために、いろんな工夫をして1日を過ごしているのに。
ちょっとでも、痛みを感じる時間を減らしたいと、右往左往としているのに。
 
便で押される痛みと、おなかの苦しさが限界だったので、処方された下剤を使った。
便は出たが、今度は下剤で超痛い。
しかも、便は少しずつしか出ない。
10分おきに、ちょっと出る。
つまり、1時間のうち5回も6回もトイレに行く。それが数時間続く。その間お腹がずっと痛い。
下剤の作用時間が終わると、今度は傷の痛みが、じわじわ戻ってくる。
 
下剤飲まないと、溜まった便で押されて、傷が痛い。
下剤を飲むと、下剤の痛みで数時間苦しみ、ずっとトイレにこもる。
そして、便が出た後も、傷の痛みはやっぱり残る。
 
違う種類の不快な状況が繰り返されるだけだった。
実験のためにケースに入れられて、電流を流され、それから逃れたら熱い鉄板の上、そこから逃れたら剣山を踏む。
そんな、実験装置の中をぐるぐると、回っているような気がした。
 
もうぐったりだ。
イライラしてしまうし、このままの状態がいつまで続くのかわからない不安と焦りでどうにもならない。
心が折れそうになっていた。
 
そんなある日のこと。
ある人に状況を説明した。
その人は、ゆっくりした口調でこう言った。
 
「下剤のんで、うんち出している場合じゃないでしょ」
 
冷水をぶっかけられたような衝撃だった。
私にはこう聞こえたのだ。
 
「あなた、いまうんち出すために生きているよ」
 
毎日、毎日、頭の中を占めていたのは、
痛みと便がでない「不快な状態」をいかに脱するかということだけ。
 
自己イメージでは、「病気と果敢に戦っている私」だったけれど、実際やっていることを見たら・・・・・・。
「わたし、いま、毎日をうんちと痛みのことだけで生きているのか・・・・・・」
なんてかっこ悪いのだろう。
目の前の不快を取り除くためだけの毎日。
それは病気に特有の状況なのではなく、自分の癖でやってしまっていた日常生活の表れだった。
 
太っているからやせたい
職場のゴタゴタした人間関係が嫌だ
仕事で正当に評価されないのは嫌だ
人から悪口言われるのは嫌だ
恋人に嫌われるのは嫌だ
面倒くさい事はやりたくない
 
そう思って、日々いろんな行動をとる。
しかしそれは「不快な状況を解消したい」だけのことで、自分の生きている意味じゃない。
「うんちを出したい」と同じ事だ。
 
「がんばってうんちを出すために毎日生きているの?」と聞かれたら
「それ、ダサい!」と思うけど
実はおんなじくらいダサい事を日々やってしまっていた。
 
不快な状況と快適な状態は、ただ交互にやってくるプロセスの一貫にすぎない。
不快なことを減らそう、減らそうとしても、ゼロにはならない。別の不快なことがやってくる。
「快⇔不快」を行ったり来たりするブランコをこいでいるようなもので、どんなに頑張っても、人生が前には進んでいかない。
 
人は、不快な状態を脱するために毎日を生きているのではなく、人生においてやりたい事、生きる目的のために生きているのだ。
そのためだったら、多少不快だろうと、前に進むのだ。
 
私の生きる目的は、便秘の解消じゃない。
やりたい事が山ほどある。
そのために生きているのだった。
便秘だろうが、傷が痛かろうが、時が経てば解決するのだ。
そこに囚われずに、自分がやりたいと思った事で自分を満たして行こう。
 
そう思ったら、生命力が戻ってきた。
身体に血が巡る感じがする。
 
わたしは周りがびっくりするほどの驚異的なスピードで回復した。
大方の予想より1ヶ月早く、身体が動くようになり、痛み止めも最小限になり、活動できるようになった。
そして、病気になる前よりも、「自分を生きる」ことに、真っ正面から向き合うようになった。
 
便秘は人生の縮図だった。
 
今日も、私は自分に問う。
「あなたは、うんち出すために生きているの?」
 
答えは「ノー」だ。
 
 
***

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2017-07-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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