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台湾のパン屋でわたしが涙を堪えた理由


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記事:前本 希(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
「ねぇ、台湾に旅行に行かない?」
わたしが働き始めて3年経った頃だった。両親の自由になる時間が増え、わたしの仕事が落ち着いてきたので、どこかに旅行しようという話になったのだ。
中国語が話せる娘を連れて行けば、自分たちで好きに見て回れるでしょう? と続けた両親の言葉に誇らしくなった。
「もちろん! わたしが通訳するから!」
だからわたしは調子よく答えたのだった。
 
実は、少しだけ不安があった。
中国語が話せると得意になっていたけれど、留学していたのは5年も前のことだ。仕事で使う機会はほとんどなく、語学力が落ちているのは自分が一番分かっていた。
それなのに自信があるフリをしてしまったのは、両親に頼りにされたことが嬉しくて、格好つけたかったからだった。
 
案の定、台湾での通訳は予想以上に大変だった。
ゆっくり話してもらえますか? とお願いして耳を傾けてもなお、頭の中に組み上がった文章は穴だらけ。そこを補うために状況と場面を想像して単語を推測し、ようやく意味が理解できる。
話そうとするともっと厄介だ。小学生程度のボキャブラリーをこね回し、何とか文の形を作ったら、あとは身振りが頼りになる。言いたいことが伝わらず、相手が申し訳なさそうに「力になれなくてごめんね」と去って行くと、わたしはガックリと肩を落とした。
武器なると思って習得した中国語は、手入れを怠ったせいで錆びてボロボロになっていた。
 
一日中、中国語で会話をすると頭の芯が痛くなるほど疲れて、泥のように眠った。
そして次第に、次から次へと要望を上げてくる両親に対して、苛立つようになってきた。
 
3日目のことだった。
わたしの中にはドロドロした不満が溢れんばかりに溜まっていた。
タクシーを呼ぶくらい、手を上げればいいでしょ?
ホテルの場所くらい、フロントでもらった名刺を見せれば伝わるでしょ?
道を尋ねるとき、せめて話しかけやすそうな人を見つけるくらいしてよ……!
 
「ねぇ、トイレどこか訊いてもらえる?」
「何でホテルで行かなかったのよ。もう……」
決壊した、と気づいたときには口に出していた。
母は驚いたようにわたしを見たが、すぐに表情をつくろい、もう一度同じことを訊いてきた。
 
あれ、怒られなかった……?
その理由に思い至った瞬間、わたしは間違いなく調子に乗った。
中国語を話せるのはわたしだけだから、わたしがどんな態度でいようと両親は下手に出るほかないのだ。わたしを怒らせれば彼らは異国の地で路頭に迷うことになるから、何も言えないのだ、と。
不満が意志を持ったかのように身体に広がっていき、わたしは自分の優位に酔った。
 
「次はここに行かない?」
「好き勝手言うけどさ、道を訊くのはわたしなんだけど」
「これってもう少し安くならないか?」
「わたしだって相場が分かるわけじゃないんだから、自分で考えてよ」
思った通りだった。条件反射のように言い返すようになっても、両親がわたしを非難することはなかった。
だってわたしに頼るしかないのだから。
彼らだけでは何もできないのだから。
 
その日の夕食は簡単なものを買ってホテルで食べよう、ということになった。デパ地下で日本ブランドのパン屋を見つけたわたし達は、嬉々として店内に入り、パンを選んでレジに並んだ。
「これ、三等分してもらえるかしら?」
「三等分って簡単に言わないでよ。言うのはわたしなんだから……」
当たり前のようにわたしが文句を言った瞬間。
母はわたしの前に出て、店員に日本語と身振りで一言、「切って」と言った。
店員は母の意図を理解したらしく笑顔でうなずき、どのくらいの大きさに切るか?というのをパンに刃を当てて尋ねてきた。
 
母が放った短い言葉を聞いたとき、あふれ出た気持ちはどうしようもない後悔だった。
後悔の波が押し寄せて、わたしはその場を動けなくなった。体中に染み渡っていた不満は洗い流されて、残ったのは両親をバカにしてしまった愚かな自分だった。
 
「切って」という一言を言うために、なんでわたしは何倍もの文句を言ったのだろう?
なんでそれくらい快く受けられなかったのだろう?
そもそも……。
通訳をすると言ったのはわたしなのに、どうして投げ出してしまったのだろう?
鼻の奥がツンとした。わたしはまばたきを繰り返し、なんとか涙を引っ込めた。
 
母は何も言わなかった。
得意そうにすることもなかったし、わたしを責めることもなかった。ただお会計を済ませてホテルに戻り、ほっとするねと笑いながらパンを食べたのだった。その様子を見ていた父も、やはり何も言わなかった。
何事もなかったかのように振る舞う両親に、わたしは謝る機会を失った。
 
ベッドの中で、パン屋で流せなかった涙が遅れてやってきた。
両親がわたしを非難しなかったのは、外国の地で見放される不安からだったのだろうか?
違う。絶対に違う。
あれはずっと外国語を話して、疲れていたであろう娘への労りだったのだ。
わたしが立ち位置を誤って不遜な態度をとっても、それもすべて包んでくれていたのだ。
 
家族旅行は残り1日だ。わたしが台無しにてしまった日はもうやり直せないが、せめて最後の1日は両親に楽しんでもらおう。台湾に来て良かった、と思ってもらおう。
朝起きたら、元気良く「おはよう」で始めよう。
 
 
***

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2017-07-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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