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プロフェッショナル・ゼミ

私が生き方を教わった、つけ汁のうどん。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:オールイン関谷(プロフェッショナル・ゼミ)※この話はフィクションです。

「課長、課長? どうしました? なんか変なことを僕言いましたかね」

同じ部署の部下である宮下君が怪訝な顔をしてこちらをのぞき込んでいる。
隣にいる、佐藤さんも「課長、お疲れですか?」と心配そうな口調だ。

「あ、ごめん。ちょっと考え事をしていたよ。すまんすまん」
そう答えつつ、私は慌てて宮下君のほうを見る。
宮下君は、細いストライプのYシャツを清潔感良く着こなし、短髪痩躯で、紳士服売り場のポスターから飛び出てきたようなさわやかな青年だ。
そんな彼が
「やっぱ、僕は地元のうどんが一番ですね。課長はどこのうどんが好きですか」
と丼と天ぷらを目に前に置いて無邪気な顔で聞いてきたとき、ふと私は受験生だった頃を思い出していたのだ。

このところ忙しい日々が続き、部下とランチタイムすら取れていなかった。なので今日はコミュニケーションを取ろうと私は彼ら2人をランチに誘っていたのだ。僕は部下をランチに誘うときは、ごちそうすることにしている。
ところが、宮下君は「でも、今日も忙しいですから簡単に済ませられるもので結構ですよ」とこちらの懐事情を察してか、近くのうどんチェーン店を指定してきた。こちらの財布まで気にしてくれるとは、最近の若者は周囲を気遣いすぎる。

まったく良くない傾向だ、と思ってしまう私は、考え方が古いのだろうか。
気配りのできる良い部下だが、会社の先輩としては少々情けない思いもある。
まあ、トッピングの天ぷらは、無制限に乗せることを許した。上司のたしなみだ。

「そうそう、宮下君はうどん好きだったな。毎週どこかしら食べに行ってるもんな」
「まあ、もともと香川の出身ですからね。もう、うどんとともに成長してきたって感じですから」
佐藤さんも口を挟む。
「へえ、さぬきうどんの本場の?」
「だからこのコシのしっかりした、もっちりした麺じゃないとやっぱりダメですね。でも、うどんって凄いですよね。300円もあればおなかいっぱい食べられて、それでいて腹持ちも良いんで。高校の頃は、もう毎日部活帰りに寄って、うどんに醤油かけてすすってましたよ」
いまや、香川県は県庁をあげてうどん県と称してPRを行うなど、さぬきうどんは全国区だ。
安く美味しく食べられるチェーン店は少し大きめの駅前ならどこにでもあるし、専門店もだいぶ増えた。
宮下君は“ゆでたてさぬきうどん”と看板に掲げるチェーン店の釜玉大盛りを実に美味しそうに平らげる。最後の麺を1本をちゅるりと吸い込むと、満足そうに微笑んだ。

「いやぁ、宮下君のソウルフードはうどんってわけだね。私は、やはり地元のうどんだね。今時風に分類するなら、武蔵野うどんってことになるだろうねぇ」

「へえ、課長の出身は東京ですよねぇ。そんなところにもうどんがあるって知りませんでしたよ。そういえば、こっちにきて駅で立ち食いうどんをはじめて頼んだときは驚いたなあ。真っ黒な液体に、うどんが沈んでで、すすったらかなり醤油の味が濃くて。このつゆは飲んで大丈夫か? とびっくり仰天でしたよ」

千葉出身の佐藤さんは「そんなに地方によって、味が違うんですね」と少し驚いたような表情を見せる。
「そうなんだよ、その土地にあった麺があり、つゆがある。うどん一つ取っても、日本は広いねぇ」私は答えた。
「そうですねぇ……、あ、課長そろそろ戻らないと、昼休み終わりますよ」
「おう、では戻ろうか」
「ごちそうさまでした!」
2人の部下は、声をそろえて私に向けお辞儀をした。いつもこの瞬間の気分は悪くはない。
おなじ釜の飯を食う、ならぬ、同じゆで釜のうどんをすする、も立派なコミュニケーションだ。まあ、私が古いタイプの人間なのかもしれないが、これで若い連中が元気に午後も頑張ってくれるのなら安いものじゃないか。

そう思いつつ、仲よさそうに前を歩く2人の部下の背中を見つめながら、私はまた昔のことを思い出していた。

「ソウルフード、か」
宮下君に不意に質問されて思い出したのは、受験生のころ、ばあちゃんが持ってきてくれた、つけ汁のうどんだった。

いまから30年程前、昭和の頃。
勉強も運動もクラスで中程度。容姿もいたって普通でクラスの人気者にもなれなかった。私は至って普通の高校生だった。
両親は毎晩遅くまで共働きで帰ってこなかったため、部活が終わって家に帰ると、ばあちゃんだけが僕の帰りを待っていた。
そして私の家庭は決して裕福ではなかった。

家庭の状況から考えると、学費の高い私立大学に進学するという選択肢はない。
僕はなんとしてでも国立大学に進むためには、少しずつだけれども、勉強していくほかはなかった。
つらい作業だが、少しずつでも続けていけば、なんとかなると思えて頑張れたのは、実はばあちゃんの影響かもしれない。

子供の頃、ばあちゃんがうどんを打っていた姿が鮮明に思い出される。
なんでもないところから、水を入れられ、塩を入れられ、地道に時間を掛けてこねられて、小麦粉はうどん生地へと変貌してゆく。

大きな木の板に、たたきつけられて、伸ばされて。でもって丸められて。
最後は、5センチくらいの厚みに円く伸ばされた生地にビニールが掛けられる。
その上にばあちゃんは乗っかり、かかとを細かく動かしながら何度も何度も足で踏みつけていく。
「こうすると、しっかり麺に腰が入って、ふにゃふにゃじゃなくなるんだよ。
だから、ここはいつも丁寧にやるの。まあ、いらいらしているときは念入りに踏むと美味しくなるわね」
そう言ってばあちゃんは笑っていた。

最後に、生地をおよそ20センチの幅になるように折りたたむと、ばあちゃんは歯の欠けた菜切包丁でトントントンと、それを切って麺にしていったっけ。
ただの小麦粉が、うどんへと形を変えていく過程は子供心にとても凄いことのように思えた。
いつしか僕は、大人になったら何かを作り上げるような仕事がしたいと思うようになっていたのも、あの工程を何度も見ていたからなのだろう。

「はい、おまたせ。お食べ」
底冷えする深夜1時、ばあちゃんは僕が広げた参考書の隣にスペースを見つけ、静かにお盆をコタツの上に置くと、
「あんまり根(こん)を詰めなさんなや」
と言ってまた、台所の方へと去って行った。

コタツの上に置かれたお椀からは、鰹節と干し椎茸と、それから少し醤油の混ざった、とても良いにおいがした。

お盆の上には、つけ汁の入ったお椀とゆであがったばかりのうどんから、湯気が立っている。
付け合わせはいつもの、ほうれん草のおひたしと刻みネギとごま。
ごま入れは、赤いプラスチックのハンドルをくるくる回すとごまがすられて出てくる奴だ。

僕は参考書を閉じると、両手を目の前に合わせて
「いただきます」
とつぶやき、一気にうどんを醤油色のつゆにつけて掻き込んだ。
自分の家で取れた小麦粉、いわゆる地粉ってやつだ。それをばあちゃんが朝のうちにこねて作った麺は、所々太かったり細かったり……。
ほんのりと茶色みがかった麺をすすってかみ砕くと、少し小麦粉の香りがして、本ほのかな甘みが口いっぱいに広がっていく。
「ばあちゃんのうどんはマジで旨いな」
食べ終わった後、ちょっとそんなことを考えながら、また勉強机ならぬコタツに向かう。
外の気温が下がってきたのか、ときどき、ぴしっと言う音が部屋中を走る。たぶん、壁か何かが冷えてゆがんだために音を出したのだろう。
顔のあたりがどんどん冷えてくるような感覚がするなか、うどんを食べたばかりの僕のおなかのあたりはぽかぽかと暖かい感覚が続いていた。

数ヶ月後、
うどんの力で頑張れたおかげか、私はある国立大学の工学部に合格することができた。
大学合格を知ったとき、ばあちゃんは、本当に嬉しそうだった。両親によると、後で自分の部屋でこっそり泣いていたという。

大学に入ってから、私は一人暮らしをはじめ、ばあちゃんのうどんを食べる機会は、年に2度、お盆と正月に帰省するときのみとなった。
でも、私はばあちゃんのうどんが楽しみで、毎年欠かさず帰省した。
ばあちゃんも、私の帰りに合わせていつも打ち立てのうどんを用意してくれていた。
学食で食べるよりも、街のどんな名店よりも、ばあちゃんのうどんの味は上回っていた。

そして私は、あるメーカーに就職する。厳しかったが、物を作り出すと言う喜びを十分に感じられる職場だった。
僕は、充実していた。

そんなある日のことだった。突然実家の両親から連絡が入った。
ばあちゃんが入院し、もうあまり長くないという。

慌てて、病院へ駆けつけると、ばあちゃんはベッドの上に横たわり、手足に何本かの管がつながれていた。

私は、ばあちゃんのかたわらへすわり、手を取った。その手はしわに覆われ、でも指の腹はところどころ固かった。
これで毎日うどんを打っていたのかと思うと、愛おしくなり、ばあちゃんの両手を取ると、私の手のひらで包むように温めた。

ばあちゃんが口を開いた。
「聡史、私はね、あんたが毎晩うどんを美味しそうに食べてくれていたのが忘れられないよ。ほんとうに嬉しかった。ほんと寒いときもよく頑張っていたね」
「ばあちゃん、元気になってまたあの、美味しいうどんを食べさせてくれよ。楽しみに待ってるからさ」
「そうだね、あたしゃ、頑張らないといけないねぇ」
そう言って少しこちらに顔を向けて、微笑んでくれたような気がした。

その2週間と少し後、ばあちゃんは天国へと旅だった。

私の実家の地域では、冠婚葬祭の集まりの最後には必ず、うどんが出てくるという風習がある。
初七日の集まりでも、最後にうどんがでてきた。
椎茸と鰹だしのつけ汁、あのうどんだ。麺だけは違っていたけれど。

親戚と話しながら、ばあちゃんの思い出がポツポツと出てくる。
みんな、ばあちゃんのうどんを懐かしんでいた。

思えば、僕のためにほぼ毎日のようにうどんを打つのは、大変なことだったろうなと思う。
粉をこねながら、ばあちゃんはどんなことを思っていたのだろうか。
うどんを打つことは、ひたすら地味な行程の繰り返しだ。
でも、最初は粉だったものが、少しずつまとまり、形を変えていく。
その光景を僕の成長に置き換えてくれていたのかな、なんて、勝手なことを考える。
ぼくはばあちゃんの期待に添えるような、変身を見せられていただろうか。

私は今も、うどんは好きで良く食べ歩く。もちろん讃岐うどんはもちもちの麺が美味しいし、色白美人の首筋を彷彿とさせるような、白くて細い麺が器に美しく並べられている稲庭うどんも美味しいと思う。

でも、私は、全国的には全く知られていない、東京都西部の多摩地区に伝わるうどん。ばあちゃんの作ってくれた、あの不揃いのうどんが断然好きだ。
素朴で、小麦の芯だけでなくって皮まで一緒に挽いた、茶色みのかかった無骨なうどんが大好きだった。

私のソウルフードは、あの不揃いで茶色みかがったあの、うどん。
あの鰹節と椎茸のだしは、まさに夢を掴もうともがき続けていたあの頃の香りだ。

地味で、無骨で、不揃い。
でも、素朴で、旨い。
僕がたどってきた生き方もこのうどんのようなものだったのかなぁ、とふと思う。
時間を掛けて、すこしずつ形を作っていくもの。
そして、踏まれれば踏まれるほどコシが出て、味が良くなるなんて、ね。

ばあちゃんは、私にうどんを打つ姿を見せていただけでなく、生き方そのものも
その姿を通じて教えてくれていたのかもしれない。

***

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