プロフェッショナル・ゼミ

人と人との繋がりは、もしかしたら言葉よりも、「う」の響きにかかっているのかもしれない《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:長谷川 賀子(プロフェッショナル・ゼミ)※このお話は、フィクションです。

「気になってた彼にね、映画行こうって、誘われたんだけど、あんまり嬉しくないんだよね」
ユミコが頬杖をつきながら言った。
「えー、せっかく誘ってもらったんでしょ」
「そうなんだけどさー」
ユミコには1カ月ほど前から気になっている人がいた。新しい取引先で知り合った人らしい。ユミコ曰く、仕事ができて、爽やかで、高そうな時計をしているそうだ。最後の情報は、必要なのかは疑問だけれど、要するにユミコのタイプだったのだろう。最近、4年半も付き合って、結婚間近までいった彼氏に、「好きな人ができた」と残酷に振られたことも相まって、この出会いにユミコは恐ろしいくらいに希望を見出していた。だから私も、さんざん聞かされていたのだ。彼について。彼と食事に行く約束について。けれどそれはいつもユミコからによるもので、「彼から誘われた」という報告は、今まで一切なかった。まあ、相手は取引先の人だし、誘うユミコもいかがなものかとは思って、「なぜ!」と憤慨するユミコを、気長に待とうよとなだめていたのだ。

けれど、憤慨するユミコの日々が1カ月ほど続いたある日、例の彼からお誘いが来たのだ。ユミコ念願のお誘い。待ちに待ったはずなのに、ユミコはどこか、不満そうだった。可愛い顔が、お祭りのひょっとこみたいに歪んでいる。
「ねえ、誘ってもらえるの、待ってたんじゃないの?」
さんざん彼の良さについて語ってきたかと思えば、今度はストローの先っぽで、中の氷をつつきはじめた。ユミコは、すごい勢いでジュースを吸って、口を開いた。
「なんかね、本当に行きたいのか、わかんないのよ」
ユミコは、すごい力で言葉を吐き出して、またジュースを吸った。
「だからね、彼の意思で誘ってるっているより、誘ってやればいいんでしょ、って感じがすごいんだよね。仕方なーく、義務で言ってるみたい。だったら、誘ってこなきゃいいのに。私だって、そんなつもりじゃないのにね!」
ユミコは、一人でしゃべり捨てると、グラスのジュースは、もう殻になっていた。いや、そんなつもりだっただろと突っ込みたいのを抑えてユミコをなだめる。
「えー、でも、行きたくないのにわざわざ誘うのかな?」

「お待たせいたしましたー」
ユミコがふてくされかけた時、目の前に注文したパンケーキが運ばれてきた。
「うわ、おいしそう!」
思わず声が重なる。ユミコと顔を見合わせると、二人の間に、甘い香りが広がった。
「ねえ、早く食べよう!」
ユミコは私にフォークを渡したかと思うと、すでに口にはパンケーキを頬張っている。ユミコは昔っから、そそっかしい。
「ユミコ、はやっ。私も食べるー」
私達いい大人二人は、あまりのおいしさに夢中でパンケーキを口に運んだ。ふわふわのケーキに生クリームが溶け込んで、噛むとラズベリーが楽しそうに弾けた。
「分けっこせずに、一人一個、頼んだらよかったね」
「ねえ、もう一つ頼もう!」
ほんの数分で、大きなパンケーキを食べきった私達は、いつものご褒美、というよくわからない理由をつけて、もう一つパンケーキを頼むことにした。

お店のお姉さんに注文をした後、ユミコが「化粧直してくる」と席を立った。
そういえば、パンケーキ食べてすっかり忘れてたけど、ユミコ、大丈夫かな。私は、静かになった二人席で、一人ぼんやりと考えていた。

「ねえ、おいしそうだねえ。ほら、食べよう」
ぼんやりしていると、隣から声が聞こえてきた。さっきまで席は空いていたはずなのに。人が来ていたことに、全然気が付かなかったな。どれだけ夢中で食べてたんだろうと、内心可笑しくなった。
「お母さんも、食べよう」
お母さんに取り分けてもらった女の子が、今度はお母さんの分を、拙い動きでお皿に取ってあげている。

かわいいな。
心の中で思った時、ふっと何かを思い出した。

いつだったかな。私にも、おんなじように、あったかい、すごく、嬉しかったことが、あった気がした。

あっ、そうだ。

「ねえ、帰ろう」

たった一言だったけれど、ずっと昔に、すごく、嬉しかったことが、あったんだ。

高校生の時だったと思う。私はずっと、バスケをしていた。私の通っていた高校は、バスケ部が強くて、私はバスケをするために、その高校にいったようなものだった。毎年全国大会に出るのは当たり前のチームだった。だから、私たちも、全国大会に行くんだと信じていたし、誓っていたし、そうなるように、練習していた。先輩たちを見て練習をして、そして、自分たちが、先輩になって、試合をする学年になった。

そう、3年生の、全国大会出場が決まる、試合だった。

頭にその時の気持ちが蘇る。
口の中が、何となく渋いように感じてしまった。
さっきまで、甘かったはずなのに。
今でも、その時の感覚を、はっきり思い出せるほど、悔しかった。

残り、数秒。点差1点で、私のチームが負けている。
そんな時、パスが回った。
私のところに。
入れなきゃ。
回してくれたパスを、入れなくちゃ。

あっ。

そう思った時には、空気が止まっていた。知らない声の混じった歓声が、ずっと遠くで響いている。
ああ、負けたんだ。
入らなかったんだ。

私は意識をどこかへとばしたまま、挨拶をして、試合を終えた。
この時のことは、覚えていなくて、ただ、仲間たちの願いが崩れていく音だけが、耳の奥に響いていた。

私はその後、悔しくて、悔しくて、会場の隅っこで泣いていた。入り口の裏側のばれないところ、非常階段まで行って、下唇を、噛んでいた。
こんなに泣くの、いつぶりだろう。
あの時、私がミスをしていなかったら、勝ったんだ。どうして、大事な時に、シュートを決められなかったんだろう。練習してきた日々や自分に対してのやるせない気持ちが、うずうずと、腹の下の方で蠢いている。そして、それより何より、今まで全国大会に出場し続けてきた先輩に申し訳が立たなかった。これから、このバスケ部に憧れて高校に入学してくる後輩たちは、どう思うだろう。そして、一緒に頑張ってきた同期のみんなのこれまでの努力を、踏みにじってしまったような気がした。掌を覗くと、まだ、さっきの感触が残っている。大事な物が、零れてしまう、感覚だった。手から零れて離れていったのは、茶色い、硬い、ボールだったけれど、その時、もっと大切なものが、零れ落ちてしまったみたいだった。

きっと、みんなの、夢だった。

3年間、ううん、みんなそれぞれがバスケと出会った時から、ずっと努力し続けてきた。私一人が、みんなの夢全部を背負っていたなんて、そんな図々しいことは言えない。でも、その一部を共有していたことは、確かなんだ。これからも、みんなのバスケは続いていく。私がシュートを決められなかったくらいで、終わってしまうような、そんな簡単な物じゃない。でも、生徒、として頑張れるのは、この大会が最後だったんだ。この瞬間、この試合をできるのは、今この時、だけだったんだ。今この時、それを少しでも長く続けたくて、頑張ってきたんだ。最後、私にシュートを繋いでくれたんだ。

目を閉じたら、みんなの音が聞こえてくる。必死に走る音。きゅっと素早く動く音。緊張したドリブルの音。シュートが決まった時の、すっ、っとボールがネットを抜ける音。私の心に刻まれた音が、体の中で、こだまする。嬉しかったはずの音たちは、私を脅かすように、溢れてくる。溢れてきた音たちを、私は体の中に留めておくことが、できなくなった。冷たいコンクリートについた足は、そのまま、無機質な闇に、吸い込まれていくみたいだった。

もう、だめだ。

自分の心も、自分の体も、全部、自分のものみたいじゃなくなって、どこかに消えてしまいそうになった時、

頭の上で、声が聞こえた。

「ねえ、帰ろう」

たった一言、たったその一言で、私は、もとの場所に戻ってきた。まるで、闇に吸い込まれそうな私を、「帰ろう」その一言で、引っ張り上げてくれたみたいだった。

「ほら、大丈夫だって」
部長のミホの、聞き慣れた声が、頭の上から降ってくる。私が顔を上げると、そこには真っ赤な目をした顔が、一生懸命笑っていた。

「帰ろう」

そうだ。つらいのは私だけじゃないんだ。戦ったのも、頑張ってきたのも、悔しい思いをしたのだって、みんな同じなんだ。ましてや部長のミホは、もっと大きな責任を背負って、大会に臨んでいたはずだった。私は何を思って、一人で泣いていたんだろう。最後のシュートの失敗は、私のものだったのには変わりはない。でも、試合すべてを私のものにしてもいいはずがなかったのだ。

そして、それに気が付かせてくれたのは、ミホの言った「帰ろう」の響きが、あまりにも、温かかったから。体の距離は離れているのに、体温を感じているみたいだった。ミホの心の温度がそのまんま、伝わってくるみたいだった。帰ろう。最後の「う」があんまり優しく私のところに落ちてきてくれるものだから、また涙が零れてしまった。
「ほら、もう泣かないでよー」
ミホも一緒になって泣きながら、一緒になって笑った。
「みんなのところに帰ろう」

そうか。さっきユミコが嬉しくないといった理由が、高校のことを思い出して、わかったような気がした。
「映画に行こう」
きっと、ユミコのストライクのタイプの彼は、「う」の音がきっと、雑だったんだ。

あの時のミホみたいに、心にそっと手を添えてくれるような、何か大切な物を救い上げてくれるような、そんな響きが、なかったんだ。

隣りの席では、お母さんと女の子が、おいしそうにケーキを食べている。
そう言えば、さっきの「食べよう」、可愛かったな。

だとしたら……。

「お待たせー! あっ、もうパンケーキ来てる?」
考え事をしているうちに、パンケーキが来ていたらしい。ユミコががしゃがしゃと席に着く。
「食べようー!」
相変わらず、ユミコはもう口にパンケーキを頬張っている。
「ねえ、ユミコ」
「なに?」
ユミコはおいしそうに、目を見開いている。あーあ、こんな顔されたら言えなくなっちゃう。
「何でもないよ」
私ははぐらかして、パンケーキを詰め込んだ。
「ほら」
ユミコは急に静かになって、握りしめていたフォークを置いた。
「ほら、言おう」
私を覗き込む目が、あまりにも可愛い。ああ、これは、言ってしまおう。
「それだよ、ユミコ」
「はっ?」
早く言いたい。その気持ちを抑えて、私は丁寧に言葉を探した。
目の前の彼女は不思議そうに首をかしげる。
「ユミコ、さっき、せっかく誘ってもらったのに嬉しくないって言ってたよね。それって、その彼の「う」が、ぶっきらぼうだったんじゃない?」
ユミコは少しの間、斜め上に目を泳がせてから、私のところに戻ってきた。
「確かに、そうかも。信っじっられないくらい、かっこつけてた!」
思い出しながら憤慨する、ユミコが可笑しい。そんなところまで、このそそっかしい友達は、可愛かった。
「でもね、ユミコ」
きっと、伝えた方がいい。たった一文字の響きで、「う」なんていう、可愛くもなんともない言葉のせいで、せっかくの大切なものが、逃げてしまったら、もったいない。それに、「う」なんていうたった一文字に心を込めれば、大切なものと繋がることができるかもしれない。
「今の「言おう」、可愛かったよ」

私達の心は、不安定だ。いろんな気持ちになりながら、いろんなところへ漂っていく。なのに、相手の心は読めなくて、うっかり、もっと遠くに押してしまうことだってある。だけど、ううん、だからこそ、私達は、「食べよう」「帰ろう」「ねえ、行こう」と、相手の心に「う」という見えない手を差し出して、引き寄せたり、エスコートしたり、あるいは溺れそうな誰かを救い上げたり、二人が手を繋ぐきっかけを作っていくのかもしれない。全部を優しく言うことや、いつも綺麗な言葉を紡ぐことは、難しいことかもしれない。ありふれた言葉しか、いうことなんて、できないかもしれない。でも「う」という一文字なら、きっと思いを込められる。ユミコの「う」が、彼に、あるいは運命の誰かと繋がるように願いながら、ぽかんとして、動きの止まったユミコに言った。
「ユミコ、動き止まってる。ほら、食べよう」
小さなことだけど、これでいい。きっと「う」を大事にしたら、毎日がちょっと、楽しくなる。大切な誰かと、一緒にいられる。口に入れたパンケーキが、さっきよりも、甘く感じた。

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