プロフェッショナル・ゼミ

俺のスマホを鳴らした男は、天使なのか、それとも、悪魔なのか……《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:中村 美香(プロフェッショナル・ゼミ) *この話はフィクションです。

コンビニで買った弁当を食べ終わって、腕時計を見ると、遅めにとった昼休みが、あと20分残っているとわかった。
会社の屋上にいる人影がまばらなのを確認して、俺は、ベンチに、横になった。
一応、と、ポケットから、スマホを取り出して、アラームをセットした。すると、すぐに、まるで、タイミングを計ったかのように画面に知らない番号が表示された。
誰だ?
一瞬、電話に出るか迷ったけれど、起き上がって電話に出た。
「もしもし?」
「あ、私、ビハインドユーの柏木と申します。円山真一さんの携帯でしょうか?」
「あ、はい。そうですけど」
そう答えながら、何か、嫌な予感がした。
ビハインドユーなんて知らない。仕事の電話ではなさそうだ。
「円山さん、今、1~2分お時間よろしいでしょうか?」
「あ、今、ちょっと忙しくて……」
「そうですか……」
こんな時は、電話を切るに限る。
「セールスでしょ? 悪いけど、切りますね」
そう言って、受話器から耳を離そうとした時
「あなたスマホを残して……」
と、微かに聞こえた気がした。
「え? 何? スマホがなんだって?」
「あーよかった。電話切られてなくて……。いえね、今、『スマホを残して死ねますか?』と私は申し上げたんですよ」
「どういうことだよ。死ぬって」
「あ、いえ、今すぐにって訳じゃないんですよ。スマホやパソコンに、人に見られたら困るような情報はないですか? っていう注意喚起なんです」
ドキリとした。
そりゃ、このまま死んだら、困る情報はそれなりにある。だからってなんなんだよ!
無性に腹が立ってきた。
「やっぱり、なんかのセールスだろ? もう、仕事の時間だからな。本当に、電話切るからな!」
俺は、今度こそ、電話を切った。
なんだよ! スマホを残して死ねますかって……。
俺の頭の中を、さっき、初めて話した柏木というやつの声がこだました。
すると、急に、携帯が震えた。
ビクッとして、画面を見ると、電話ではなく、さっきセットしたアラームだった。
俺は、コンビニのビニール袋を掴むと、ベンチを立った。
なんだって言うんだよ……。
あの柏木ってやつ、なんで、俺の電話番号を知ってるんだ?
何かしらの個人情報が漏れたのか?
それにしても気味が悪い。
確かに、俺には、妻のゆりに対して秘密はある。
それを知って、電話を掛けてきたんだろうか?
そんなことを考えて、午後は、全く、仕事に集中できなかった。
よりによって水曜日に電話を掛けてくるなんて! 今日は、週に一度のエリカとのデートの日なのに……。
いつも、ゆりと娘の遥香に対して、ある種の罪悪感は持ち合わせているつもりだけど、今日は、それを、より感じる。
エリカと会うのを、今日は、止めておこうか?
いや、だけど、今日は、エリカの誕生日だったな、すっぽかす訳にはいかない。

俺は、柏木の言葉を振り払い、定時に職場を出た。

エリカとの待ち合わせはいつも、南新宿にある喫茶店だった。
ここは、駅から少し歩くけれど、人目がぐっと少なくなって過ごしやすい。
しかし、早めに来ているはずのエリカの姿はなかった。
何かあったのかな……。
万が一、スマホを、ゆりや遥香に見られても、大丈夫なように、LINEでのエリカの名前は、「伊達」にしてある。そして、なるべく、他人行儀な文面にするように心がけていた。
5分過ぎてもまだ来ない。エリカが連絡もなく遅刻してくるなんて、珍しく、俺はソワソワして、LINEの「伊達」のメッセージをチェックした。
すると、いつの間にか、エリカからメッセージが入っていて、しかも、俺が返信していた。なんだ、これは!?
メッセージを読んだ記憶も、返信した記憶もない。
しかも、時間を見ると、ついさっきのことらしい。
エリカから(急にお腹が痛くなってしまったから、今日は会うのはやめておきます)と書いてあり、俺からは(了解。お大事に)と返信していた。
おかしいな……、電話をしてみるか! そう思った時に
「こんばんは。円山さん……ですね?」
そう言って、眼鏡の痩せた男が、薄く笑いながら、俺の前に現れた。
「え? あ、はい。どなたです?」
昼間の電話といい、この男といい、今日は、知らないやつに、よく遭遇する日だ。
「申し遅れました。今日、電話させていただいたビハインドユーの柏木です」
男は、笑顔でそう言った。
「え? 何ですか? どうしてここに?」
目の前の男が柏木だとわかって、俺は、戸惑った。
何がなんだかわからなかった。
「お待ち合わせの女性は、今日はいらっしゃらないみたいですね」
「え? っていうか、なんであんたがそれを知ってるんだよ。エリカの何なんだよ」
俺は、柏木を睨んだ。
「いえいえ、私は、こういう者で、エリカさんという女性とは何の関係もありません」
柏木は、慌てたように名刺を差し出した。
俺は、それをひったくった。見ると、【株式会社 BEHIND YOU 柏木聡】と書いてあり、その肩書は【デジタル終活アドバイザー】だった。
「デジタル終活アドバイザー? そんな資格あるの?」
「いえ、似たような名前の資格はあるみたいなんですけれど、私は、わかりやすく名乗っているだけで、資格は持っていないんです」
「は? で、俺に何の用なの? それに、エリカの事情を知ってるのはなんでだよ!」
目の前でいろいろなことが起こりすぎて、俺自身、何に腹が立っているのかわからなくなっていた。
「それなんですけれどね、あ、ちょっと、座らせてもらっていいですか?」
柏木が俺の向かいの椅子を指さして言った。
「え? あ、いいけど」
今、俺が持っている疑問をそのままにして、柏木と別れることもできずに、不本意ながら、承知した。
なんで、今、俺は、こいつと、向かい合ってるんだ?
数分前まで、全く予期していなかった展開に、気持ちが落ち着かなかった。 
「では、失礼します」
柏木は、椅子を引いて、座った。

「まずは、私が、円山さんに電話を掛けた理由なんですが、それは、円山さんこそ【デジタル終活】をするべきだとお見受けしたからなんです」
柏木は、自信満々といったように、笑顔でそう言った。
「あのさ、その【デジタル終活】とやらが何なのかよくわからないんだけどさ、なんで、それが、俺に必要だと思ったの? 俺の個人情報は、誰から聞いたの?」
俺は、イライラを隠さずに、柏木にぶつけた。
柏木は、俺の、そういった、不躾な対応は織り込み済みと言わんばかりに、笑顔でうなずいていた。
「ですよね? みなさん、最初は、それを気になさいます。だけど、今は、それを言うわけにはいかないんですよ。まずは、私の話を聞いてください。円山さんにとって悪い話ではないはずですから……」

柏木はそう言って、話し始めた。
それは、まさかとは思うが、考えられないことでもない、俺の身にも起こりうるある出来事の話だった。

柏木の知り合いに、俺と同年代の40歳くらいの男が居たそうだ。
仮に、Aとされた、そいつの身に起こった出来事らしいんだが……。

Aは、いわゆるエリートサラリーマンで、かなりの高給取りだった。
妻と娘が居て、家族の仲も悪くなかった。仕事もまあ順調。何不自由ない生活に、魔が刺したというか、誘惑に負けたというか、会社にアルバイトで来ていた、20代前半のとある美女と親しくなった。
最初は、若く美しい彼女と、お茶を飲んだり、ご飯を食べたりするだけでよかったのだ。だけど、彼女のまっすぐな性格、一生懸命に頑張る姿、時々見せる美しいばかりでない憂うような表情を見ているうちに、愛おしく感じるようになってしまった。
もちろん、そんなことは、きっと、よくある話だと、気持ちに折り合いをつけ、Aも、足長おじさんのようにそっと見守っていこうと思っていたのだ。
しかし、幸か不幸か、彼女もAのことが好きになってしまった。
ある満月の夜、彼女が漏らした言葉から、お互いの気持ちを知ってしまった二人は、恋に落ちてしまった。
Aに、家庭を壊すつもりはなかった。ただ、彼女を愛してしまっただけだったのだ。
彼女に会う時は、家族に対して罪悪感もあったけれど、それ以上に会いたい気持ちでいっぱいになってしまった。もしかすると、罪悪感があったからこそ、より、盛り上がっていたのかもしれない。
Aと彼女は、体の関係も持つようになって、そして、彼女は妊娠した。
Aは、家族も、彼女も、彼女のお腹の中の子も守ろうと決めた。
自分の収入をもってすれば、家族に秘密を打ち明けずに、隠し通せると思っていた。
浮気がばれないように細心の注意を払いながら、過ごした。
全ては、うまくいっていた。あの日までは……。

そこまで、話を聞いて、俺は寒気がした。
このAというやつの状況は、俺にそっくりだ。
柏木は、Aというやつの名前を使って、俺を脅しに来ているのか?
目的は何なんだ!?
「ちょっと、どういうことだよ。あんた、何が言いたいんだ! Aなんて本当は居ないんだろう? Aなんて言いながら、俺を脅しに来たんだろ?」
俺は、自分の中に湧いた不安を悟られまいと思っていたが、それとは裏腹に、俺の声は裏返り動揺を隠しきれなくなってしまった。
「いえ、Aは本当に居ます。 Aのその後、聞きたくないですか?」
「うっ……」
正直言って、気になった。
もし、俺のことじゃなくて、Aというやつが本当に居るんだったら、その後、どうなるか知りたかった。
俺の心の声を察したのか、柏木は、俺の返事を待たずに、話を続けた。

「いつものように、自宅から駅に向かう路地で、Aは、交通事故にあったのです」
「え? マジかよ」
「はい。そして、救急車ですぐに、近くの大学病院へ運ばれました」
「で?」
「Aは……残念ながら……」
「死んだのかよ?」
「いえ、命は取り留めたのですが、昏睡状態になってしまったのです」
俺は、まるで、これから俺自身が、昏睡状態になってしまう運命のような気がしてならなかった。
「で、Aは、今も昏睡状態なのか?」
「いえ」
「じゃあ、死んじまったのか?」
「いえ」
「じゃあ、どうなったんだよ!」
「まあ、そう、焦らずに私の話を聞いてください。喉が渇きました。やはり、コーヒーを注文させていただきますね」
柏木は、やけに落ち着き払って、ウェイトレスを呼んだ。
「円山さんも、もう一杯いかがですか?」
俺は、すっかり冷めてしまったけれど、まだ、半分以上コーヒーが残っていたので、首を横に振った。
「そうですか。じゃあ、私の分だけ、コーヒーをよろしくお願いします」
「かしこまりました」
ウェイトレスが、小さく言って下がった。
「さて、どこまで話しましたっけ?」
「昏睡状態になったところだよ」
「ああ、そうでしたね。実は、その後、大変なことになったのです」

Aが昏睡状態になったことで、Aの家族は、Aの死を覚悟した。
だから、Aが生きているうちに、できる手続きは全てしておこうと思い、Aのスマホやパソコンの情報を見ようとしたのだ。
もちろん、Aだって、バカじゃない。
しっかりロックをかけて、他人が触れられないようにしていた。
しかし、高校生の娘が、Aの手帳を隈なく探し、メモらしき文字配列を発見した。
それを打ち込むと、ロックは解除され、スマホとパソコンの内容は、家族の知るところとなった。
LINEでの「伊達」とのやり取りは分析され、パソコンの秘密のフォルダに保存されていたエリカとの写真の存在も発覚した。
そして、Aの不倫相手の女性とそのお腹の中にいる子のことを、妻と娘が知ったのは、そのすぐ後のことだった。
当然、昏睡状態のAは、自分の身の回りで何が起こっているかわからなかった。
実は、ほぼ意識が戻らないと言われていたのだが、事故から3年後、奇跡的に、Aの意識が回復した。長い眠りから覚めたAは、自分が、とある施設に収容されており、家族を失っていることに気づくことになる。
Aの意識がない間に、成年後見人が選任されて、裁判離婚されていたのだった。
Aの療養費以外の財産のほとんどは、妻と娘が持って行った。
不倫相手の子の養育費については、彼女が請求してこなかったので、金銭的には負担はしなかったものの、縁を切るように連絡もつかなくなっていた。
つまり、意識を失ってから3年後、Aは、仕事も、お金も、家族もなにもかも失ってしまったということになる。

「円山さんが、そうならないように、私は、忠告しに来たのです。いくら、自分がしっかりしていると思っても、意識がなくなったり、ご本人が亡くなってしまえば、コントロールできないんです。だからこそ、生きているうちに、しっかりと、けじめをつけるべきだと思うんです」
柏木の目は潤んでいた。
「あんた……」
本当は、柏木に言ってやりたかった。お前なんかに、指図されてたまるものか! と、だけど、俺は言えなかった。柏木が本気で言っているのがわかったからだ。
「あんたは、いったい誰なんだ……」
「私ですか? 実は、私こそ、Aなんですよ、円山さん。だから、もう、私のような人間を増やしたくないんです」
「柏木……さん」
「円山さんにとって、本当に大切なものって何ですか? もしも、それが、不倫相手の方と、そのお子さんだったら、それはそれでいいんだと思います。だけど、せめて、今、自分が亡くなったとして、いろいろなものを、大切な人や、守るべき人のために整理しておくべきだと思うんです。そのために、【デジタル終活】をお勧めしたいのです。どうしても、人間関係が整理できない場合は、本人の意識が亡くなった場合に、データも自動で消去できるシステムもありますから、そちらも、ご検討ください」
妻と娘、お腹の大きくなった彼女のことが、頭に浮かんだ。
「あんたに……柏木さんに、アドバイスを頼むとしたら、いくらかかるの?」
「お金は、ほんの少しでいいんです。ただ、お願いしたいことがあるんです」
「なんだい? お願いしたいことって?」
「あなたと同じような境遇の人を私に紹介してほしいんです。そして、もうひとつ、その人の個人情報をできるだけ教えてほしいんです。必要であれば、LINEのアカウントの乗っ取りも請け負ってほしい。つまり、共犯者になってほしいんです」
「え? 犯罪? そ、それは、できない」
「なぜです? 結果的に、あなたは、その知り合いを助けることになるんですよ? 実際にあなたは、私にあなたの個人情報を教えてくれたその知り合いのおかげで、【デジタル終活】をすることを決めたではないですか!」
「それはそうけど、いったい、誰が……あ!」
最近、離婚した学生時代の同期の顔が浮かんだ。彼は、多額の慰謝料を、元妻とその子どもたちに残して、自分は、年の離れた女性と再婚したんだった。
「あいつなのか? 田中なのか?」
「その件に関しましては、私の口からは、はっきりしたことは申し上げられません。さあ、円山さんの知り合いの方を教えてください」
「ちょっと待ってくれ。考えさせてくれよ」
「あまり時間がありませんから、できるだけ早くお願いしますね。紹介してくださってから、円山さんへのアドバイスが始まりますから」
「わかったよ」

「そろそろ閉店になります」
もうウェイトレスの女性は帰ったようで、マスターと思われる男性が、俺たちのテーブルの脇に来て言った。
ふたりして店を出た。
「で、柏木さん、今は大丈夫なの?」
「ええ、まあ、細々やっています」
「そう。でもなんだって、自分が不幸に、いや、失礼、大変な思いをしたのに、人の幸せを願うんだい?」
「そうですよね。ええ、自分でもよくわからないんですが、自分みたいな人をひとりでも増やさないことにしか、今は、気持ちが向かないんです。ひとりでも多くの人が、家庭を不本意に失わないことで、私の取り返しのつかない罪が少しは許される気がするんですよ」
「そんなものかな……」
「ええ。では、私に紹介してくれる人の検討と、これから、どうするかについて、一晩考えて、明日、電話をくださいね」
「ああ。わかった」
「ではこれで」
柏木は、また、うっすらと笑って、駅とは反対側の暗闇に消えていった。
彼は、俺にとって、天使なのか、それとも、悪魔なのか、よくわからなかった。
追い詰められた気もするし、助け舟を出されたような気もして、俺は天を仰いだ。

***

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