プロフェッショナル・ゼミ

20年間音信不通だった兄からの頼まれごと《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:中村 美香(プロフェッショナル・ゼミ)
*この話はフィクションです。

「あれ? これって、奈美のお兄さんからじゃない?」
会社から帰ってきた夫の龍之介が、集合ポストから郵便物を持ってくると、そう言った。
「え? まさか! だって兄さんとは、ずっと連絡取ってないもの。今更、手紙なんて来るはずない」
「だって、差出人の名前が、『田所 圭太』になっているよ。お兄さんの名前、確か、『圭太』だったよね?」
「え? そうだけど……」
私は、龍之介から手紙を受け取ると、そこに書かれている文字にハッとした。
「そうね。確かに、兄さんの字だわ」
白い長封筒に、ボールペンで癖のある字が書いてあった。中身が、入っているのかいないのかわからないほどの薄い封書だった。
「なにかしら? 怖いわ」
「怖がることないだろう。大丈夫だよ。とりあえず、読んでみなよ」
「うん……」
私は、恐る恐る、封筒にはさみを入れた。
中身は、便せん1枚だけだった。
そこには、同じく、癖のある字でこう書いてあった。

奈美、ご無沙汰しています。お元気ですか。
突然、手紙なんか出して申し訳ない。
こちらの住所は、実家に行った時に、母さんから聞いたんだ。
実は、奈美に、頼みたいことがあって手紙を書きました。
本当は、俺がそちらに行って直接頼むべきことなんだけど、今、体がきつくて行けないので、近いうちにこちらに来てほしいのです。
今、うちに電話はないので、手紙で来る日を知らせてほしい。
頼みます。

圭太

「なんなの?」
私は、兄に対して懐かしさを感じるよりも、その身勝手さに腹が立った。
「なんだって? お兄さん」
「龍! なんかもう信じられないのよ」
私は、龍之介に、手紙を押し付けるように渡した。龍之介は、一読すると、すぐに私に返してきた。
「なんだろうね? だけど、このままにするわけにもいかないだろ?」
「まあ、そうだけど、また、あれかな? やだな……」
私の脳裏に、20年前の兄との出来事、いや、トラブルと言った方がいいかもしれないものが思い出された。
20年前、兄に頭を下げられて、夫の龍之介に相談し、家計から、20万円を貸したことがあった。それが、未だに返ってきていないのだ。
「お金を貸す時は、あげたと思えば腹が立たないよ」
兄がなかなか返してくれないと、落ち込んでいた私に、そう言ってくれた龍之介には感謝している。
だけど、私は、どうしても許せないのだ。
「いいわ。断りの手紙を書く!」
「まだ、お金のことだと決まったわけじゃないだろ?」
「そうだけど……」
私は、その夜、リビングで手紙の返事を書いた。
あまりに、私が怒りに震えているものだから、龍之介が、心配して、一緒に起きていようかと言ってくれた。
だけど、ひとりで書きたくて、明朝、手紙を出す前に、龍之介に見せると約束して、先に寝てもらったのだ。
ササッと、返事を書くつもりだったけれど、いざ、書こうとすると、言葉が定まらない。
気持ちは、完全に、怒りモードだった。
けれど、兄は、身勝手な割に傷つきやすいという厄介な性格のため、なるべく刺激しないように、丁重に断ろうと意識した。すると、なかなか難しかった。
「もう、いいか、これで……」
何度か、書き直し、ようやく、書き終わった。
便せんに、私は、こう書いた。

兄さん、手紙読みました。
最後に会ってから20年経ちますね。今は、千葉に住んでいるんですね。
最近、実家に行ったんですか? 知りませんでした。
お母さんも、お父さんも、年を取ったでしょう。
聞いたかもしれませんが、半年前に、お母さんがお風呂場で転んでから、寝たきりになり、すっかり老け込んでしまいました。
ふたりの世話もあるし、私の家族のこともあるので、結構、お金もかかります。
だから、兄さんの力になることはできないと思います。
申し訳ないです。
お体に気をつけてお過ごしください。

奈美

翌朝、その便せんを、約束通り、龍之介に見せた。
「うーん。ちょっと、突き放した感じはするけれど、奈美がいいならいいじゃない?」
「うん。もうこれ以上、うまく書けそうにないから、これで出すわ」
私は、むしろ、兄に、突き放されたと思ってほしい気もしていた。

私が、返信を投函してから、4日目に、また、兄から手紙が来ていた。
普通郵便なのに、早い! きっと、手紙を受け取って、すぐに返事を書いたのだ!
「ああ、また、返事を書くのか……」
今回も、また、薄かった。今度は、はさみを使わずに封筒を開けたら、便せんの端の方が少し破れてしまった。

奈美、返事ありがとう。
実家へは、1年前に行ったのです。だから、母さんが、風呂場で倒れたことは知りませんした。だいぶ弱っているのですね。世話もしてくれているんだね。本当にありがとう。
奈美からの手紙を読みながら、自分が、いかに、奈美と龍之介くんに、ひどいことをしたかと反省しました。1通目の手紙に、まず、それを書くべきでした。本当にごめんなさい。
今、奈美が、俺のことを信頼できない気持ちはわかります。お金も確かに借りたままで、未だに、それすら返せるかどうかもわからないのだから。だけど、どうしても、お願いしたいことがあるんだ。お金のことではないんだ。だから、ぜひ、一度、こちらに来てください。お願いします。

圭太

実家に行ったのは1年前? お金は返せるかどうかわからない?
しおらしさの合間合間に書かれた身勝手な理屈に、私は、怒りを通り越して呆れていた。
そんな状態で、よくも、妹にとはいえ、頼みごとをしてくるものだな! もう、返事すら書きたくない!
私は、その手紙をくしゃくしゃに丸めた。そして、ゴミ箱に投げ入れようとして、やめておいた。
龍之介に見せたいと思ったからだった。
さすがに、龍之介も、これを読んだら怒るだろう。

くしゃくしゃになった手紙を伸ばしながら、龍之介は、手紙を読んだ。
これはひどいね……そんな風に同調してくれると思ったのに、龍之介の実際の感想は、思いもよらないものだった。
「お兄さん、相当困っているんだね。やっぱり、行ってあげた方がいいよ」
「え? お金、返せないって言ってるのよ。ひどくない?」
「お金を返せない相手に、本当ならば、手紙なんか出したくないじゃない? それなのに、2回も出してきたんだよ。よっぽどのことなんだよ」
「そうかもしれないけど……」
私は、龍之介が一緒になって怒ってくれると思ったのに、逆にたしなめられてイラついた。
「龍はさ、私と兄さんのどっちの味方なの?」
自分でも、とんだ八つ当たりだと思ったけれど、そんな風に言わなきゃやってられない気分だった。
「どっちの味方っていうかさ、奈美の大切な家族だろ? 奈美も、奈美のお兄さんも両方大切さ」
「もう!」
そうだ! 龍は、いつだって、冷静で正しい。
そこが好きで結婚したけれど、こんな時は、だからこそ、腹が立つ。
「わかった! 行ってみるよ! 行けばいいんでしょ?」
「うん」
龍之介が、満足気に頷いた。
これじゃ、どっちの兄弟のことだかわかんないと、思いながらも、私は、心の奥では龍之介に感謝していた。

私は、「1週間後に、兄の家に行く」という旨の手紙を書いた。
その日しか空いていないと書いた。
もしも、断られたり、返信が間に合わなければ、すっぽかしてもいいだろうという意地悪な気持ちも含んでいた。
だが、4日後に、また、しっかりと返信は来て、私の指定した日で大丈夫ということと、忙しい中、時間を作ってくれてありがとうという旨が、書かれていた。
その律義さが、また私をイラつかせた。
借りたお金は、返さないくせに……。
しかし、兄の指定した場所は、兄の家ではなく、その近くと思われるパチンコ屋の前だった。
お金がないと言いながら、パチンコなんかやるのかしら……。
兄の発言や提案が、いちいち腹立たしく、さっさと訪問を済ませて、縁を切りたい気分だった。

当日、私は在来線に乗って、千葉県の兄の住む街へと向かった。
海が近づくと、潮の香りがしてきた。
そうだ! 東京にだって、千葉にだって、海はあるんだったな。
私は、いつの間にか、行楽というと、山ばかり行くようになっていた。
だから、海には小さい時に、家族で行ったきりだったんだということに、ふと、気がついた。
そうだな、兄さんと、海水浴したっけ……。
あまりきれいでない海で、浮き輪をつけた幼い私と兄が、満面の笑みで写っていた写真が脳裏に浮かんだ。

兄の住む街は、海の見える高台にあった。
駅に着くと、兄の手書きの地図を頼りに、緩やかな上り坂を進んだ。少し息が切れた頃に、かなり年季の入ったパチンコ屋が見えてきて、その前のベンチに白髪交じりの痩せた男性がひとり座っていた。
先客が居る。参ったな。あそこで待つのか。
待ち合わせの時間まで、あと5分ある。
私はできるだけゆっくりと歩みを進めたけれど、立ち止まるのも不自然で、だんだんと、その男性の座るベンチに近づいて行くしかなかった。
「奈美、久しぶりだな。いやあ、変わらないね」
顔をあげて、私の姿に気がついたその男性に話しかけられて、びっくりした。兄だったのだ。
「あ、兄さん? お久しぶり。だいぶ、痩せた……わね」
そして、老けたわね……と言いそうになって、やめておいた。兄は、まるで、別人のようだった。
「遠いところ、ありがとう。今、休み時間なんだ」
「休み時間? ここで働いているの?」
「ああ。時々、社長の厚意で働かせてもらってる」
「時々? 厚意で?」
私の頭の中にたくさんのクエスチョンマークがついた。
「奈美、遠くから来てもらって、こんなところで申し訳ないが、ここで話を聞いてもらっていいかい?」
私は、頷くしかなかった。

兄の説明によると、兄は、今、闘病中らしい。だから、毎日働くことはできずに、都合がいい時にだけ、このパチンコ屋で働かせてもらっているということだった。
「だから、お金のことは、なんとかなっている。といっても、その日暮らしだから、借りたお金は返せてなくて本当に申し訳ないんだけど……」
お金のことはいいよ! と言えばいいのかもしれなかったけれど、私には、どうしてもできなかった。頷きもせずに、黙って話を聞いていた。
「それで、俺の病気なんだけど、胃がんなんだ。で、余命が3か月らしい」
「え? そうなの……」
想像以上に痩せて老けてしまった兄の姿から、あまりよろしくない病状ではあると予測できたけれど、それでも、余命が3か月と聞かされて、私は固まった。
「突然、驚かせてごめんな。それから、驚かせ続けで申し訳ないが、俺には、息子が居るんだ。実は10年前に結婚したんだ。奥さんは、息子を産んだ時に亡くなってしまったんだけどな」
「え? どういうこと?」
「そうだよな。びっくりしたよな」
兄は、10年前に、ある女性と、この街で恋に落ち、子どもができたことをきっかけに籍を入れたらしい。それまで、フラフラとして定職にも付いていなかった兄が、その女性と出会ったことによって生き直す力をもらったらしかった。しかし、再起を誓ったすぐ後、その女性は、赤ん坊を産むと同時に亡くなってしまい、赤ん坊と兄だけが残されてしまったそうなのだ。
兄は、シングルファーザーとして、この街で、頑張っていたのだけれど、1年前に、胃がんが見つかり、だんだんと体が蝕まれて行った。1年前に、実家に行ったのは、子どものために手術をして生き延びたいと思い、そのお金を借りるためだったらしい。
両親は、お金を貸す代わりに、私のところへは絶対に迷惑を掛けないようにと言ったそうだった。
母が、兄に、私の住所を教えたというのは嘘で、兄は、私から両親へ送った年賀状の住所をこっそりメモして帰ったということもわかった。
「こそこそして申し訳なかったんだけど、どうしても、最後の最後で、頼めるのは、奈美しかいないと思って」
10年前に生まれ変わったという、目の前の、痩せて老けてしまった兄に、これから、何か重大なことを頼まれるんだと思ったら、自然と背筋が伸びた。
「俺が死んだら、息子の後見人になってほしいんだ」
「え? 後見人?」
「ああ。今、息子は10歳になんだけど、1年前から、近くの児童養護施設に入っているんだ」
「児童養護施設?」
「そう。俺がもうすでに、育てることができないから、仕方ないんだ」
「うん」
「後見人になったからといって、引き取る義務が、自動的に発生するわけではないらしいんだ。だから、何もしなくていい。ただ、あいつに、血のつながった身内がいるんだということを教えてやりたいんだ」
「兄さん……」
「ごめんな。こんな遠くに来させて、驚かせることばかり言って、おまけにへんな頼みごとするなんてな。奈美に、俺、ひとつも、兄さんらしいことしてやれなくてごめんな」
そう言って、兄は、声を殺して泣いた。
「わかった……というか、考えてみる、前向きに」
何を頼まれても、断るつもりだった。
だけど、これは、断ってはいけないような気がした。
「ほんとか? ありがとうな!」
兄は、私の両手を、自分の骨ばった両手で包んで揺すった。
「だけど、悪いけれど、引き取ることができるかどうかは、約束はまだできないよ」
「うん。もちろん、そこまでは望まない」
兄は、目を潤ませながら、笑っていた。
その顔が、あの海水浴で、一緒に笑って写っていた笑顔の写真と重なって見えた。

何度も、ありがとうと繰り返して、手を振っていた兄を残して、私は、緩やかな坂を下って行った。

帰りの電車で、窓から海を見ていたら、兄の余命が3か月という厳しい現実を聞かされた上に、あんなに重大な頼みごとをされたはずなのに、行きの電車よりも、心が軽くなっていることに気がついた。
それは、嬉しいという感情とは違う、寂しいけれど、地に足がついたような安心感と、心が通じ合ったような温かさに包まれたからだった。

龍之介や、小学1年生の息子の康太は、どんな反応をするだろう?
まだ見ぬ、甥っ子と、今後、うまくやっていけるだろうか?
不安はたくさんあった。
だけど、ひとつひとつ乗り越えて行けばいいという思いが、心の底の方から湧き上がってきていた。

龍之介に話をして、賛成してくれたら、今度、施設に甥っ子を訪ねてみよう。
できれば、兄が、まだ、話ができるうちに、安心させてあげたい、そう思った。

すると、不思議なことに、迷惑をかけられっぱなしだと思っていた兄に、小さい頃、優しくしてもらったことが思い出されてきた。
近所の子にいじめられた時、庇ってくれたこと。
外で配っていた頒布品を、私の分まで頼んでもらってくれたこと。
ああ、兄さんは、しっかり「お兄ちゃん」してくれていたんだな。
そうしたら、兄との別れが近づいていることが、急に切なくなって、泣けてきた。

***

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