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働く意味も、生きる意味もわからない。そんな自分が今、生に執着する理由。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:かほり(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
意味がわからない。
どうしてみんな、必死に就活をするのか?
そんなに働こうとするのか?

懲役40年。
大学を卒業したら、40年間牢獄に入れられる。
どうせ日本にはブラック企業が蔓延っている。
やりがいだのワークライフバランスだの、ありとあらゆる就活用語に踊らされ、やがては新入社員として歓迎される。
でも実際は、40年にわたり私たち人間は都合のいいように使い古されて捨てられる。
そんなこと、わかりきっている。
なのに、どうしてみんな必死に就活するのか?
夢を持つのか?
希望を持つのか?
わけがわからない。
みんな頭おかしいのではないか?
これから計り知れないくらい辛くてしんどいことが、待っているというのに。
どうしてみんな、そんな未来のために、
「私は〇〇がしたいです! だからここで働きたいです!」と堂々と言えるのか?
みんなドMなのか?
確かに生きていくためには働かなければならない。
でもそこまでして生きたいか?
40年間ほぼ毎日8時間以上働く。
40年もの長い時間の中で働く時間は7割以上を占める。
自分の時間に使えるのはたったの3割。
なのに、そこまでして働く必要はあるのか?

これが、2年前の私の脳内である。
就活生だった。
こう思ったのは、私の周りの大人たちが苦しそうに仕事をしていたからである。

大学時代のバイト先の社員が辛そうだった。
パン屋で、毎日毎日熱い窯の前に立たされ、吐いていた。
23時終わりの翌朝5時出勤なんてザラだった。
だけどそれだけ懸命に焼いたパンも、余ったら全部捨てた。多いときは500個くらい。

父も毎日辛そうに仕事をしていた。
教師で、昼飯を食べる間もなく授業に走らされ、休日は部活動に駆り出されていた。
公務員だからといって給料を減らされていた。

新聞では毎日当たり前のように目にする。
労災。
過労。
自殺。
電車には憂鬱そうなサラリーマン。
満員電車の中グーで背中を押してくるサラリーマン。
人身事故の遅延で駅員に怒り散らすサラリーマン。

どうして?
どうして、みんな働くの?
憂鬱で辛くてやるせない思いをしてまで。
そこまでして食べていかなければならないのか?
そこまでして生きる必要はあるのか?
本気でそう思っていた。

目前に迫り来る就活。
懲役40年へ開かれる牢獄への扉。
そこに立たされて、私は生きていたくなかった。
もう十分だ。生きるのはもう十分。
生きていく勇気がなかった。
でも死ぬ勇気はもっとなかった。

だから私はおとなしく就活をした。
「楽」な仕事を探した。
私にとって働く条件は、なるだけホワイト企業であること。
いくら牢獄とはいえ、できるだけ鞭打たれずにやり過ごしたい。
定時に帰れて、土日もちゃんと休みがある。
そんな生活を求めた。
就職四季報で注目するのは、休日日数。残業時間。
業界地図で注目するのは、自分が受ける業界の景気は悪い傾向にないか。
厳しい業界に入って、過酷な労働を強いられたくないから。

血眼になって自分が収まるべき牢獄を探した。
探しあてて、必死に自分をアピールした。
やがて、私に内定をくれた会社があった。
残業もそんなに多くない、まあまあホワイトな中小企業である。
仕事内容は事務処理。いわゆる転勤も出世もない、女性向けの一般職であった。

私はそこで働くことに決めた。
この牢獄で40年間生きていく覚悟を決めた。

そして、2年が過ぎた。
私の計画通り、毎日8時間。土日休み。
祝日も休み。ゴールデンウィークだってお盆だって正月だってある。
何の不自由もない条件で働いている。
過労死することなく2年間生き続けた。

しかし、この2年の間、ある感情に襲われることが多くなった。

それはたとえば、ある映画を見ていた時。
余命を告げられた主人公が、病院の清掃員に向かって突っかかっていった。
「そんな顔して床拭いてんじゃねえよ。
つまんなそうな顔して生きてんじゃねえよ」

あるいは、中学卒業時にもらった塾からのメッセージカードを読み返した時。
ワープロの文字で一言、こう書いてあった。
「受験以上に がんばるものが 見つかりますように」

あるいは、大学時代のサークルの先輩と飲みに行った時。
「尊敬する人って誰ですか?」と聞く私に、先輩ははにかみ笑いながらこう答えた。
「やっぱりさ、いないんだよね。自分が一番だ、って思っちゃって」

自分は今何をやっているんだろうか?
私は今、楽をするために生きている。

いかに上司に気に入られるか。
いかに同僚と仲良くできるか。
いかに先方と穏便に交渉が進むか。
いかに早く帰れるか。
いかに早く寝られるか。
いかに早く起きられるか。
いかに電車の席を確保できるか。

全ては、楽して生きるため。
そのために、それだけのために、生きている。

そんな「つまんない」生活を、「つまんない」顔で営んでいる。
どこかの映画に出てくる清掃員みたいに。

もしも、中学時代、死に物狂いで勉強して志望校に合格した自分に会ったら、どんな顔をすればいいのだろうか。「今は、楽するために生きてるんだよ」なんて言えない。

サークルの先輩みたいに、「自分が一番!」なんて言えるわけがない。

悔しい!!!!

それは悔しさだった。
2年間、断続的に私を襲ってきた感情は、他でもなく「悔しさ」であった。

馬鹿みたいに「楽」を求めて必死に生きる自分を目の当たりにして、ただただ悔しいと思った。
社会を牢獄だとみなして、そこで生きていくことに妥協した自分が悔しい!!!!

私には夢がなかった。
やりたいことが全く見つからなかった。
それを社会のせいにしていた。
本当は夢を持つ勇気がなかった。
理不尽な社会の上を、ただただ俯瞰していたかった。

社会なんて牢獄だ。学生を卒業したら、懲役が科せられる。
夢や希望なんて持ったって無駄だ。
そんなもの持ったところで、一瞬にして社会につぶされる。
どうせ世の中は理不尽なことだらけだから。
バイト先の社員だって吐きそうになっている。
父親だって毎日辛い顔をしている。
電車に乗れば憂鬱そうなサラリーマンがいる。

社会のせいで、夢や希望を持つことができないのだ。
自分は悪くない。社会の仕組みが悪いのだ。
そう信じてやまなかった。

でも本当は、社会のせいでも何でもなかった。
私は、自分の気持ちに向き合いたくなかった。
もし万が一、夢に破れたら、かっこ悪い。
誰にも認められなかったら、痛々しい。
だから夢を持つ勇気がなかった。
夢に破れる自分はたしかにかっこ悪い。
でも、社会で楽を求めて生きる自分の方が、もっとかっこ悪い。
理不尽な社会を、理不尽だと認める自分の方がもっともっと痛々しい。
私は今、そんな悔しさによって生かされている。
このままじゃ死んでられない。
悔しいがために、生に固執しているのだ。
だから、私の今の夢は、この悔しさを解消することである。
理不尽な社会を本気で変えたいと思っている。

社会を牢獄だと思うのなら、その牢獄をぶち壊すくらいのことをしてみたらどうか?
当時の就活生の自分に投げかけてやりたい。

 
 
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2017-08-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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