メディアグランプリ

誰よりも美しい蝶になるために、必要なこと


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:小川ゆいこ(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
その夜わたしは、きれいに2つ並んだ三日月を、眺めていた。
おいしそうな料理とお酒が並んだテーブルに両肘をついて、彼はとても楽しそうに話しをしている。
そうですか、それはすごいですね、なんて言いながら、わたしは終始、ニコニコしていた。
ニコニコしながら、三日月のような、優しい彼の目を、ずっと眺めていた。
 
彼は、営業先の社長だ。
はじめて会ったのは、先輩に連れられて行った営業だった。
理路整然と商談を進めながらも、時折、苦労話や冗談を口にして、部屋いっぱいに笑いを起こす。
先輩やわたしのことを立てることを、絶対に忘れなかった。
ビジネスマンとして、また男性として、とても上品な人だ。
また、それ故にこちらが作ってしまう壁を、壊しにいく勇敢さを持った人だった。
「めちゃめちゃかっこいい方ですね!」
商談を終えたエレベーターの中で、つい思っていたことを口にしてしまった。
「いいじゃん、お似合いじゃん! 彼氏と別れたんだろ? もう、付き合っちゃいなよ」
いつも以上にふざけて、先輩が言う。
「何言っているんですか、もう!」
わたしも、ふざけて返した。
まさか、本当に食事に行けるとは思っていなかった。
「今度、美味しいものでも食べに連れて行ってくださいね」
冗談でメールに付け加えて送ってみたら、気さくに応えてくれたのだった。
 
彼氏以外の男性と二人きりでご飯をたべるなんて、久々だ。
彼氏と別れたのは、いつだっけな……。
なんて、耽りそうになったので、慌ててスパークリングワインのごくりと飲んで、微笑む。
彼も、小さく微笑みかえしてくれた。
小さな泡が、喉を通って、気持ちがよい。
もう一口、飲んだ。
もう一口。
今夜の天気は、曇り、なのだろうか。
目の前に浮かぶ、三日月の光が、どんどんとぼやけていく。
 
「大丈夫?水、飲みなね」
ペットボトルを、さりげなく差し出してくれた。
わたしは、ベットの上にいた。
どうやら、お酒を飲みすぎたようだった。
ここはどこなんだっけ?
どうやってここまで、たどり着いたんだっけ?
プカプカ浮かぶタバコの煙と共に、ゆっくり思っては、消えていく……。
そっか。
彼の手が、短くなったタバコをもみ消している。
もしかしたら、忘れられるかもしれない。
このまま、元カレを、忘れられるかもしれない。
多分、わたしはそう思ったのだろう。
彼に、キスをしていた。
彼の大きな手のひらが、わたしの背中をそっと包む。
わたしも腕を、彼の背中にまわした。
分厚くて、あたたかい彼の身体が動く。
一緒に、わたしも動く。
そして、落ちていく。
深く、深く、深く……。
 
いつの間にか、わたしは三日月の光を見失った。
わたしをさわる唇は、指は、いったい誰なのだろう。
一緒に動く身体は、いったい誰なのだろう。
まるで、付き合っていた彼と共にしている感覚を覚える。
最近まで、そうしていたように。
ダメだ。
両目を閉じたら、深い海の中にいるようだった。
地上がどっちで、海底がどっちなのか、わからない。
もがいても、もがいても。
息が、どんどんできなくなっていく。
悪い夢を見ているようだ。
ぎゅっと閉じた目をゆっくりひらいてみると、見失いかけた三日月の光が、浮かんでいた。
なんで今、ここにいるのは、この人なんだろう。
確かわたしは、この人のことを、よく知らない。
なんでこの人なのだろう。
わたしがそばにいて欲しい人は、この人じゃない。
この人じゃ、ない。
 
大きく息を吸って、起き上がる。
一生懸命に、口を開いた。
「ごめんなさい、無理だ…」
やっとの思いで、無人島にひとり、たどり着いたようだった。
自分が、惨めすぎて、悔しすぎて、悲しすぎて、恥ずかしすぎて、どうしようもなかった。
こんなことになるのだったら、はじめから飲みになんて、誘わなきゃよかった。
馬鹿すぎる。
この上なく、最悪な気分だった。
そして、元カレへの未練をぶちまけたこの状況を、一体どうすればよいのか、全然わからなかった。
わたしは子どもがそうするように、思いっきり拗ねた。
彼に背を向け、黙り込んだ。
そうすることしか、できなかった。
 
「いやぁ、俺も昔は、大恋愛したなぁ」
しばらくすると、まるで独り言を呟くように、彼は話しはじめた。
ぽつり、ぽつり。
それが何の話だったのか、全く覚えていないのは、きっと耳に入っていなかったからだろう。
ただ、「だから、大丈夫だよ」と、何度も何度も、言ってくれた。
ボロボロなわたしに何を聞くこともなく、ちゃんと後ろから抱きしめてくれた。
優しい人だ。
トクン、トクン、トクン、トクン。
リズムよく、彼の心臓の音が、聞こえる。
あたたかい体温に包まれて、わたしはいつの間にか眠っていた。
 
朝起きると、彼はいなくなっていた。
「おはよう。先に出ます。ごめんね」
ケータイの画面を、かすんだ目に映してから、ぽっかりと半分あいているベットに放り投げる。
始発で仕事に行ったのだろう。
昨日の夜のことを思い出そうとした。
すぐにやめた。
もう、思い出したくもなかった。
 
あれから確か、1年が経った。
彼から、1通のメールが届いた。
ドキドキしながら開いたら、とても事務的な内容が、シンプルに書かれていた。
少し安心してから、あの夜の景色を、感情を、感覚を、思い出す。
 
よく知らない人に、あんなにもボロボロな自分を見せたのは、はじめてだった。
もうこれから、会うこともないかもしれないだろう人に。
不思議な夜だった。
ただ、あの時、彼の分厚い腕の中は、拗ねることしかできなかったわたしにとって、とても大切な居場所だった。
布団なんていらないくらい、彼はあたたかかった。
まるで、フカフカの繭に包まれている、サナギになったようだった。
 
昔、プラスチック製の虫かごで、アゲハ蝶を幼虫から育てたことがある。
幼虫の時とは一変して、サナギになると、じっと動かない。
本当に蝶になるなんて、にわかに信じがたかった。
だけど、内側では、蝶になるため、とてつもない変態をしているのだそうだ。
一部の蝶は、自らを繭でまとって、守る。
とても賢い生きものだ。
 
キラキラ光る東京のど真ん中で、心を丸裸にして、感情を思い存分ぶちまけた、あの夜。
深い眠りから覚めてホテルから出ると、灰色のビルの隙間から、うすい水色の朝日が、申し訳なさそうにのぞいていた。
まるで、消し去ってしまいたい昨晩の記憶が、そうしているようだった。
そんなことも全て、今は、懐かしく思い出せる。
 
彼宛の返信メールに、わたしも事務的な内容を打ち終えて、手を止めた。
「その節は、申し訳ございませんでした」
いや、おかしいな。
「また食事にでも、いかがでしょうか」
いやいや、それはおかしい。
手を止めたまま、考えた。
 
蝶と違い、人間の変化は、突然やってくる。
新しい未来へ飛び立つのは、もう目前なのに、そんなことを知るすべもなく、落ち込んだり、ないものにしたくなったり、諦めてしまったりする。
わたしたちは、変化に戸惑うばかりで、中々備えられない。
 
だから、彼に対する感謝の気持ちは、この街の出会う、未来の誰かに送ろう。
いつかのわたしのように、あたたかな繭を必要としている人に、送ろう。
その人が心置きなく、蝶になる準備をするための、居場所になれるように。
不思議な出来事だったなぁ、と笑って振り返られる日を、むかえられるように。
 
ああ。
いつか虫かごで育てていたサナギは結局、アゲハ蝶に変身することは、なかったのだけれど。
サナギから、美しい蝶が羽ばたいていく瞬間は、きっと、とても美しい。
 
 
***

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2017-08-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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