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死について考えることはありますか


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記事:森永桃子(ライティング・ゼミ平日コース)

死について考えることはありますか?→はい

眠りにつく前や、電車に揺られているとき、授業中に、ふと、死について考えていることがある。
もし、今地震が来たら。
もし、寝ている間に火事が起きたら。
もし、……

修学旅行の前日、第一志望校へ入学する前の春休み、念願だったアルバイトの採用が決まって勤務開始までの間。
比較的大きめの、楽しみな物事の前に、
「それを経験することなくこのまま死んじゃうってこともあり得るんだよなぁ。まだ生きていたいなぁ」と、考える。
この癖は小さい頃からずっとだ。

いつからだろうか、死について考えるようになったのは。
5歳くらいの頃、自分の中でまだ『死』の概念がはっきりとしていなかった頃は、
「今いる世界は夢で、この夢から覚めたら私は大きくて醜い、毛が生えた生き物で、まわりにはだれもいない。ひとりぼっちなんだ」
という妄想をよく、本気でしていて、一人で勝手に悲しくなっていた。
それから少し大人になった今考えると、目が覚めたらそこは別の世界で自分が醜い生き物でいる、という妄想は今の自分の死に対する認識と少しだけ似ていると思う。
夢から覚めるとか、鏡の中に入るみたいな感じ。

生きている人はよく、「死ぬのはこわい」とか「今死んだら思い残すことが山ほどあるから死ねない」とかいうけれど、それは生きている側の人間の発言であって、完了形で死んでしまった者にとっては全く関係がないんじゃないかと思う。当たり前のことだけれど。
「生と死の狭間」という言葉も聞くけれど、そこにいるのってたぶん、ほんのひとときでしょう。ずーっとそこにいることって(例外はあるかもしれないけれど)普通はないと思うのだ。この世界には「生きている」か「死んだ」しか、きっとない。

『今』という言葉の「い」を発するとき、もうすでにそれが過去になっていることが怖いというのをどこかで聞いたか、読んだ。
そんな感じで、なんていうんだろう、死ぬというのは、今いるところから全く別の世界というか、次元というか、に行ってしまうことだという気がしている。
生きている私からすれば死ぬのは怖いけれど、死んでしまえばそれがデフォルトなのだから、怖くもなんともないよね。痛いのは嫌だけれども……。

そもそも、長~い歴史の中で、私という人間が生きている時間の方が短いわけで。
きっと、私がいないことの方が、いることよりも自然なことなんだよな。それってすごく不思議だなぁと思う。なんだか可笑しくなってくる。

というのは、一人称の死の話で。
自分ではない誰かのこととなるとまた話は変わってくる。

12歳の冬に祖母が亡くなったとき、びっくりした。
昨日まで生きていたのに。昨日の夜、「おやすみ、いい夢見てね」と言葉を交わしたのに。
あまりにも身近な人の、あまりにも突然な死。
ショックだった。知っていたはずだったけれど、本当に死は存在するんだと、思い知らされた。
いつも楽しそうな家族が険しい表情で涙をこらえているのを見て、
ただ事ではない、取り返しのつかないことが起こってしまった。本当にばあばは帰ってこないんだ、と感じた。
祖母の死に驚き、ショックを受けた後は悲しみとただならぬ後悔、そして罪悪感が襲った。

祖母は優しく、私たち孫をとてもかわいがってくれていた。
私がいちごが好きだと言うと、いちごをたくさん買ってきてザルいっぱい、飽きるほど食べさせてくれた。
綺麗な洋服をたくさん買ってくれた。
いつも私たちの好きなお菓子を用意してくれていた。
ピアノや踊りを褒めてくれた。
私たちが嬉しそうにしていると本当に嬉しそうだった。

それなのに、私は祖母が大好きだったのに、祖母からの愛情をまっすぐに受けるのがなんだか気恥ずかしくて、素っ気なくしてしまっていた。
とてもありがたいのに、嬉しいのに、好きなのに、気恥ずかしくて素直に「ありがとう」と言えない日々が続いていて、その度に「ちゃんとお礼言わなきゃな、次こそ」と思っていた。
「次こそ」が積み重なって積み重なって、半年くらいになったときに祖母は亡くなってしまった。

しばらくは、私をあんなにかわいがってくれたのに素っ気ない態度を取ってしまって、恨んではいないだろうかとか、申し訳ない気持ちでいっぱいで、毎日夢に出てきた。
少し時が経つと、祖母はそんな人じゃない、優しいから私のことを恨んでなんかいないはずだとか思うようになった。
だけれど、そんなのは自分が楽になるための押しつけ・決めつけをしているに過ぎない。
恨んでいるとか恨んでいないとか、そういうことを考えても仕方がない。

ただ一つ言えるのは、「次」とか「明日」とかいう言葉の不確かさである。
相手に言いたいと思うことは、思ったときに言わないと永遠に伝えられないかもしれない。
会いたいけれど自分から連絡をとることのできない相手に5年後の同窓会で会えることを期待していても、その5年後に会えるとは限らない。
手遅れになってしまってからでは、本当にどうすることもできないし、考えても仕方がない。

最近はそんな風に思う。
もちろん、やっぱり死ぬのはこわいし、まだまだ生きていたいし、家族や友人にもずっと生きていてほしい。
そんな気持ちと折り合いをつけながら、今日も生きていく。死ぬまで生きていく。

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