メディアグランプリ

酔っ払いおじさんが探すもの


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:たいらまり(ライティング・ゼミ日曜コース)

 

「ここどこや、ここどこや」

ガタンガタンゴトン。ガタンガタンゴトン。

暗闇の中で、低く荒っぽいおじさんの声が聞こえてくる。

「ここどこや、ここどこや」

ガタンガタンゴトン。ガタンガタンゴトン。

線路を走る列車のリズムと一緒に、何回も、何回も。

「ここどこや、ここどこや」

ゴンッ。痛さで目が覚める。会社に向かう朝の列車の中。窓に頭がぶつかった。

羽犬塚駅の看板が見えた。いつも降りる久留米駅まで、あと3駅。

それにしても、嫌な夢を見た。あの低く荒っぽい声が脳みそにへばりついている

 

私は今日、退職届を提出する。

この快速列車での通勤を続けて12年。大きな売り上げを達成できた日は、世界を制した英雄のように顔を上げ、売り上げが上がらない日は、囚われた罪人のようにうつ向いて、この列車に乗った。営業成績は、私の性格のまま、良い時も悪い時も極端だった。それでも、理解してくれる上司に恵まれて、毎日の仕事はやりがいを感じていた。仕事が好きだった。出産も乗り越え、私はこの理解ある職場でずっと働いていくと思っていた。

突然に辞めようと決断したのは、子どもに手を上げてしまった時。仕事でトラブルを抱えていた私は、常にそのことが頭と心を支配し、目の前の娘に対してちゃんと向き合えていなかった。娘は多感な3歳。私に構ってもらえない寂しさからか、ご飯を拒否したり、暴れたりする。気づいたら怒りにまかせて叩いてしまっていた。泣きじゃくる娘の横で、私は座りこんだまましばらく放心状態だった。

仕事と子育てのバランスが取れなくなっていた。悩んだ末に決断し、今日、退職届けを鞄に入れている。

 

「ここどこや、ここどこや」

夢だと思っていた低くて荒っぽい声がまた聞こえてきた。

この声は現実の声だったんだ。あたりを見回す。対面式のロングシート。座席はほぼ満席だが、立っている人は少なく、そんなに混みあってはいない。

あ、いた。その声の主は、前の方に立って吊革につかまっていた。黄色いネクタイにサングラス、顔は赤くて、足元はフラついている。酔っ払いか……

「ここどこや、ここどこや」

車内を見渡しながら、酔っ払いおじさんは繰り返す。周りの乗客は、みんな関わらないように、うつむいていた。そんな中、親切な婦人が優しく答える。

「もうすぐ羽犬塚駅ですよ」

「ここどこや。博多から新大阪に行くんや。ここは博多か」

「博多駅はまだ先ですよ」

「ここどこや。博多はここか」

全く会話になっていない。親切な婦人から優しさは消え、席を立ち、違う車両へと移動してしまった。

「羽犬塚に到着しました。右側の扉が開きます」

車内アナウンスに続き、扉が開く。おじさんの周りからさーっと人がいなくなった。いつもなら私と同じ駅で降りる人たちもいなくなる。きっと降りたふりをして、違う車両に移ったんだ。みんな逃げていく。残ったのは私を含めて数人。

「ここどこや。ここどこや」

おじさんと目があってしまった。動けない。どうしよう。こっちに向かってくる。

恐怖と興味が入り混じり、心臓を強く打ちつけてくる。怖くて関わりたくないはずなのに、何故かこのおじさんを待っている私がいる。

「ここどこや。ここどこや」

繰り返しながら、おじさんが隣に座った。とても酒臭い。

「名刺やろか」

何も答えられない。おじさんはゴソゴソとバックを漁っている。バックの中にたくさんの薬が入っているのが見えた。

「ほれ。名刺やる」

乱暴に手渡された名刺。名前と電話番号だけが書かれている。

「ほれ」

今度は100円玉。

「本当は商売ができるんや。病気は薬で治った。でも周りが……。お前にわかるか。」

「は、はい」

やっと声を出すことができた。

「商売ができるんや!」

理不尽に怒ってくる。一瞬でもこのおじさんに興味を持った自分を後悔した。逃げたい。でも、体がこわばって動けない。

「間もなく久留米に着きます。お降りのお客様は…」

私が降りる駅を知らせる車内アナウンス。助かった。

「あ、あの、私、次降ります」

「おーそうか」

思いがけず、おじさんはさみしそうな声で返事をした。急に親しい近所のおじさんのような雰囲気になる。そして、一枚の写真を鞄から出してきた。

「ほれ」

ボロボロの写真。手に持ったまま、私の顔の前に突きつけてくる。写真には学生服の青年とその父親らしい中年の男性が写っている。

「いい男だろう? 給料、手取り25万。紹介するぞ」

学生服の青年の方を指差しながらおじさんが言う。あどけない笑顔は中学生ぐらいだろうか。どう見ても、手取り25万のサラリーマンではない。

「おじさんの息子さん?」

しまった。思わず、胸に湧いた疑問が口に出た。考えずに言葉にしてしまう、私の悪い癖だ。おじさんの話しを、正面から嘘だと暴いているようなもんだ。怒らせたらどうしよう。

「わかるか? いい男だろう?」

おじさんの反応は意外にも柔らかだった。むしろ、私が、息子さんだと気づいたことを嬉しそうにしている。

「うん。隣はおじさん?」

「そうだ」

おじさんは誇らしげに写真を上へと掲げる。私たちは写真を見上げるような姿勢になった。好青年と自慢の息子の横に立つ威厳ある父親の写真。

「おーでも、もうおらん。死んだ」

「え……

写真を見上げたまま沈黙が続いた。ほんの数秒だったその沈黙はすごく長くすごく重く感じた。何も言えない私に、おじさんが名残惜しそうにたずねてくる。

「もう降りるんか?」

「あ、うん」

「おーそうか」

「それじゃ」

「おー、気ぃつけてな」

私は立ち上がり、揺れる車内を足を踏ん張りながら、一番遠い扉へ向かって歩いた。胸が、苦しい。

おじさんが、新大阪に行くのか、病気で商売ができなくなったのか、本当のところは分からない。ただ、写真の中のおじさんと息子さんの笑顔は真実だった。その息子さんが死んだことも。失ってしまったその幸せの虚像を探し続けているように見え、切なくなった。

「ここどこや。ここどこや」

また聞こえてくる。

列車は駅に到着し、扉が開く。

私はどこに向かおうとしているのか。娘の顔が浮かび、涙が溢れてきた。会いたい。今すぐ娘のところに行きたい。叩いてしまったあの日、我に返って「ごめんね」と謝る私を、娘は小さい体で抱きしめてくれた。この子の笑顔を大切にできる人生を歩み直したい。そう思いながら、列車を降りた。

***

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2017-08-31 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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