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居場所となったのは


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:chinami(ライティング・ゼミ日曜コース)

 

「お前らはなあ! この黒いバッグを、わしが白であると言うたら! 白ですと答えなあかんときがあるんじゃあ!」

 

この人は理不尽の極みだ。

内心(そんなことあるかー!)と思いながら、私はこの部活動における絶対神に「はい」と言った。「はい!」でないのが、精一杯の抵抗だった。

 

毎日とても居心地が悪かった。バスケ部の仲間とは仲が良かったが、私以外の全員が顧問に従順であることが、唯一分かり合えないところだった。

 

もしかしたらみんなのほうが大人だったのかもしれない。でもとにかく私は、堂々と理不尽としか思えない言動をとったり、その日の機嫌によって練習メニューを変えたり、私のプレーが下手だとはいえ極端に差別したりするような先生のことを、どうしても受け入れることができなかった。

 

今の私なら、いくらバスケットボールや仲間が好きでも、毎日毎日身体的にも精神的にも苦痛でしかない部活動を、すぐにでも辞めたと思う。チームの中で私だけが理系の進学コースにいて、大学受験を控えていたことを考えれば、なおさらだ。

 

しかし高校生の私にその考えはなかった。

なかったと言えば嘘になるが、学校の行き帰りや寝る前に、退部届を突き出す妄想が捗るばかりで、それはちっとも現実味を帯びてはいなかった。

そうするうちに、10代の私の頭の中は、「ここで辞めたらむしろ負けなんじゃないか」という考えを持つようになってしまっていた。

 

練習後の時間で塾に通うこともできたが、よくわからないところでこだわりを発揮する私は、学校の授業と自学だけで乗り切ると腹を決めていた。その謎のこだわりによって、例えば難しい数学の問題を宿題として出されたときは、自分で解決できるまで3日でも4日でも考え続けた。今思えばかなり効率の悪いやり方だとは思うが、安易に先生にヒントを求めに行ったり、わからないまま提出したりするのは絶対に嫌だった。

 

とはいえ、練習は、平日には学校の始業前に1時間、昼休みに30分、放課後に2時間半、土日にはそれぞれ少なくとも4時間。つまり一週間あたり28時間の練習だ。休みはほとんどないから、一年で約1,456時間。

 

部活がなければ、その半分にも満たない体力と精神力で年間1,456時間も勉強できたという事実を計算してしまった私には、焦りだけがどんどん募っていた。

 

そんなとき、予備校の有名な先生が学校の近くに英語塾を開いたという噂が流れてきた。私は友達に連れられて、部活後にしぶしぶ授業を受けるようになったのだが、目からウロコが落ちた。

 

勉強って、こんなにも自由なものだったのか。

 

今までは、暗く、細く、狭い一本道だけが街灯で照らされたところを、脇道に逸れでもすればどこかに落ちるのかもわからない状態で、前だけ見て突き進んでいるような感じだった。

 

それが日に照らされて、狭い道だと思っていたものは案外道幅が広く、まっすぐ歩かなくても大丈夫であることがわかった。一本道だと思っていたものは、街灯こそなかったが、ところどころに楽しそうな分かれ道もあった。

私は自由だったのだ。

 

英語は好きでも嫌いでもなかったし、参考書に書かれた温度のない知識を作業のように受け入れていたが、一気に世界が色づいて見えた。あっちの方はどうなっているんだろう、この道はどこまで逸れても大丈夫なんだろうと、好奇心の解放を許された私は、先生に質問したくて質問したくて、衝動を抑えることができなかった。

ここが私の居場所だった。

 

もとから勉強は嫌いではなかったが、それまで、勉強にかけるエネルギーは消極的なものだった。

学校の補講に出れば、部活動への参加を遅らせることができる。模試を受ければ、日曜日の練習に参加しなくて済む。

それが一気に、楽しいからやる、になった。

 

なんとか高三の夏の引退試合まで部活動に耐え切った私は、水を得た魚のように、勉強に打ち込んだ。塾は相変わらずその英語塾のみだったが、目の前が晴れわたった私はそれまでとは違った。そして無事、第一志望に合格した。

 

先生によって最悪な空間に閉じ込められ、先生によって私の価値観が変わった。

 

先生も結局、一人の人間なのだ。

「先生」だからと言って盲信してはいけないし、また忌避してもいけない。

 

反面教師という言葉があるが、確かにバスケ部の顧問を「反面教師」に、学ぶことは多くあった。だがそれは乗り越えた者が結果的に「反面教師にした」と言ったとき、初めて正当化される言葉だ。

 

世の中は理不尽にまみれている。

いくら気をつけたって、どうしようもない人や出来事にぶち当たることはあるだろう。

でも、先生という立場の人間が、「教育のために」という枕詞をつけて理不尽を体験させるようなことは絶対にあってはならない。人間だから、うっかり生徒に理不尽な思いをさせてしまうことがあるかもしれないが、そのときは素直に謝るべきで、言い訳にでも「反面教師」を使うことは間違っていると思う。

 

一人として同じ人間がいないということは、一人として同じ先生もいない。

どういうわけか予備校で数学を教えている私は、一体、どんな「先生」なのだろうか。

 

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2017-09-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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