メディアグランプリ

梅酒におっぱいを見た


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:バタバタ子(ライティング・ゼミ 特講)

 
 
「あー、なくなっちゃった」
素っ頓狂な声に目を向けると、台所では、母が瓶を逆さにして振っていた。
「ごめん、最後だったのに、全部飲みきっちゃった」
「いいよ。そろそろ今年の分、解禁だし」
自家製の梅酒は、今年も、きっかり一年で世代交代だ。
 
6月に漬け始めた梅酒は、3か月の熟成期間を経て、そろそろ飲み頃を迎えている。
壁に沿って並んだ3つの甕は、いずれも、仕込んだ当初は、なんとも爽やかな外見だった。クリスタルのような氷砂糖と初々しい青梅が織りなす縞模様は、涼しげで、まさしく初夏にぴったりだった。
しかし、徐々に砂糖が溶け、梅のエキスが染み出すにつれ、縞模様は崩れ、暗い茶色の液体に変化してしまった。今ではその中を、梅の実が、所在なさげにプカプカ浮かんでいる。
 
「プリプリしてて、美味しそうだね」
「また梅酒ゼリーを作って、その中に入れようよ」
甕を覗き込んで、母と妹が肩をつつき合う。
梅酒に漬かって丸々とした梅は、我々にとってご馳走なのである。
ふっくら柔らかく、歯を立てるとジュワっと濃い汁が広がる。たった一粒でも、とても幸せな気持ちになれるのだ。
 
「でもこっちの甕のは、結構しぼんじゃってるね」
3つの甕の梅酒は、いずれも同じ時期に仕込んだものだ。それなのに、一つの甕だけは、中の梅のほとんどがシワシワになっていた。梅干しよりシワシワなものすらある。
「なんで萎むんだろうね」
非難がましい口調で母がぼやく。その心情には大いに賛同できた。
 
萎んでしまった梅は、同じ「梅酒の梅」とは思えない状態となっている。
まず、見た目がミイラのようで、愛らしさのカケラもない。
噛めば、カリカリ、ゴリゴリとした食感。頑張ってかじっても、硬い皮の下は、スジと種ばかり。
長らく梅酒に漬かっていたのだから、味がしみ込んでいるはずだが、なぜか無味のように感じられる。
辛抱強く煮ればジャムにできるとも聞くが、そこまで手をかけてやる気分にもなれない。
 
萎んだ梅をうらめしく眺めているうち、ふと、脳裏にある光景がよみがえった。
並々と満たされた液体。そこに漂う、シワシワのものや、丸々したもの。
そうだ、先月行った道後温泉で、似たような景色を見たのだ。
 
一度くらい四国に行ってみようと思い、仕事が落ち着く8月末に、道後温泉を訪れた。
かの夏目漱石が『坊ちゃん』で描き、湯船で泳いだという、由緒正しい温泉。
私も漱石と同じお湯に浸かり、文豪気分を味わいたいと、楽しみにしていた。
しかし、失念していた。私は漱石と同じ男湯には入れなかったのだ。
 
パンフレットの写真と比べると、道後温泉の女湯は、男湯よりも大分こじんまりとしているようだった。
石造りの浴室は重厚だが、広さでいえば、合宿所のお風呂くらい。のんびり浸かるには、狭すぎる。
それでも、湯船で泳いだという文豪の気分は、じゅうぶん体験できた。
通常の温泉なら、お湯は、座った状態で胸の高さまで届くように張られている。
だが道後温泉の湯船は、かなり深くお湯が張られていた。
恐る恐る足を差し入れても、なかなか底に届かない。結局は立ったままで、胸の上まで届くお湯を楽しんだ。温泉というより、まるで小さな熱いプールだった。
湯船の真ん中に立っていると、浮力のためか、全身が軽くなったように感じた。
しばらく、お湯に身を任せて、ユラユラと漂っていた。
特に見るものもなく、ぼーっとしていたが、いつしか他人のおっぱいを目で追っていることに気づいた。
 
湯船には、様々なおっぱいが浮かんでいた。
品よく新鮮そうなおっぱいに、すこし萎びてきたおっぱい。ブリっとした迫力満点のおっぱいも。
なかでも一番のインパクトは、推定90代の方のおっぱい。
神社の御神木の年輪や、高村光雲の彫刻「老猿」の毛並みを思わせるような、おっぱいであることを超越したおっぱいだった。
 
そうか、と甕から梅の実をすくい上げながら思った。
この萎んだ梅の実は、あの人のおっぱいと同じなんじゃなかろうか。
 
あの人の人生がどんなものかは知らない。ただ勝手に、戦中戦後の大変な時期に、6人くらいの子どもを苦労して育て上げた母親、というストーリーを思い描いた。
彼女が子どもに、あのおっぱいを吸わせて育てたように、この梅の実も、自身にみなぎっていた梅のエキスを、どんどん酒と砂糖に吸わせてきた。
ようやく梅酒が一人前になった今、梅の実そのものは、シワシワにしぼんでしまっている。まるで彼女の、折り重なった皮と化したおっぱいのように。
 
「なに作ってるの?」
通りかかった妹が、鍋の蓋をあけて覗き込む。
「梅酒の梅の、しぼんだやつを煮てるの。ジャムにできないかと思って」
「へぇ。面倒くさい」
確かに面倒くさい。時間がかかる割に、そんなに量はできないだろう。
いつもなら、シワシワになった梅は、ただ捨ててしまっていた。けれど、彼女のおっぱいと重ねてからは、無下に扱うのは気が引けてしまう。このシワシワの梅も、苦労を乗り越えた老母のように、尊い存在と思えてならないのだった。
「出来上がったら、味見させて」
調子のいいことを言って、妹は部屋に戻ってしまった。
 
私に、この固く萎んだ梅を、どれだけ美味しくできるかは、わからない。
でも、萎んでしまった梅に、感謝と敬意を伝えたいから、私なりのベストを尽くそう。
そう決意して、鍋をかき回した。
 
 
***

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2017-09-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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