メディアグランプリ

「月とバス」


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:山下 斉子(ライティング・ゼミ 平日コース)

 
 
平日の夜のバスは、蛍光灯に照らされていっそう影が深くなった顔の乗客を乗せて山道を進んでいた。
カーブを曲がるたびに運転士のアナウンスが流れる。

「右に、曲がりまぁす」
「カーブで少し、揺れまーす」

のんびりとした、それでいて張りのある声は、車内の色相から浮いて感じるくらいに明るい。
バスの運転士はたいてい不機嫌で不愛想なものなのに、こんなに丁寧にアナウンスを入れる運転士も珍しい。しかも、それが楽しそうなのだ。

運転士さん、ご機嫌だな。
少し疲れていた私は、その明るさにほのかな嫉妬さえ感じた。
いいよね、自分に合った仕事に出会えて。

カーブでの遠心力がいつもよりも優しく感じられる。
揺れを予告されているからかな……違う、運転が絶妙なのだ。

「はい、〇〇橋、〇〇橋でございまぁす。」
おばあさんが、ゆっくりと立ち上がる。
「あ、いいですよ、どうぞ、急がなくていいので、ゆっくり降りてくださーい」
おばあさんが降りて、充分な間があって扉が閉まる。
「はい、出発いたしまぁす!」

私は目を閉じて、座席に深く座りなおして、バスの揺れにゆらゆらと気持ちよく身体を任せた。大切に運ばれている、そんな感じがした。

運転士さん、優しいなあ。
こんなに楽しそうに運転している人のバスに乗れて、嬉しいな。
安心して座っている間に家の近くまで連れて行ってもらえるなんて、ありがたいな。

バスは暗い山道を走り、目的の停留所に着いた。

降り際に
「ありがとうございました!」
思いがけず大きな声が出た。

運転士のおじさんは、日焼けした目尻の笑いじわを深くして、私よりもっと大きな声で
「ありがとうございました!」
と、にっこりした。

ステップを降りたとき、運転席から声がかかった。
「月が、きれいですよ。よかったら見て帰ってくださいね。おやすみなさい!」
私ははっと振り返って、
「はい!」
と返事をしながら、思わず手を「バイバイ」のように振った。
あれ? なんで手を振っちゃうんだろう?
戸惑う私の視界で、運転士さんの白い手袋をした手がひらひらっとすると、バスは行ってしまった。

月、だって!
なんだか急にわくわくしてきた。
歩きながら探すけれど、どこにも月がない。

「運転士のおっちゃん、何かの照明と間違えたんちゃうか?」
「そうかも。でも、もしそうだとしても、あの運転士さんの顔がお月さまみたいだったから、もうそれで充分って感じがしてきたよー」
夫とそんな会話をしながらも、二人でずっと空を見上げて歩いた。
月を探して歩くなんて、長い付き合いで初めてのことだった。

帰宅して、ふと外をみると……あった!
住宅地の隙間から大きな月が昇ってくるところだった。

あの運転士さんが教えてくれたのは、このお月さんかぁ。
きっと、運転しながら
「お、月がきれいだ」
って思ってたんだ。
あの人は毎日そんな風に仕事の中に小さな喜びを見つけて味わっているのだろう。
そしてそれを私たちにお裾分けしてくれたのだ。

喜びから働いている人が提供するものはサービスだけじゃない、もっともっと豊かなもの。
乗車賃と引き換えに運んでもらう、それ以外のもの。

運転士さんが、月が綺麗やなーって思いながら楽しく働くことが、私たちをものすごく幸せにしてくれる。

人が働くって本来そういうことなんだ。

働くことが苦しいことや辛いことで、その我慢料としてお給料がもらえる、なんてことになっているのがおかしいのかもしれない。

そういう風にしか思えなくて、月がきれいなことにも気づけないのなら、
その人がいるはずじゃない所で頑張りすぎて、自分を失くしてしまっているということなのだろう。

その場所では本当の喜びが表現できないだけなのに、自分が悪い、誰かが悪い、って何かを責めずにいられないくらい、疲れてしまっているのだろう。
その場所でも本当はささやかな喜びがあるのに、見つけられないくらい、疲れてしまっているのだろう。

背伸びして何者かにならなくても、すごい人にならなくても、何かを達成しなくても、そのままの自分でご機嫌に仕事をする。

もうそれだけで、ものすごく豊かなものを周りに提供できる。
そして、そんな風に働く人にはどんどん豊かさが巡ってくるのだ。

だってまたあの運転士さんに会いたい。
何十年も経って自動運転になって便利になったとしても、私はまたあの運転士さんのバスに乗って
「月が今夜もきれいですね、おやすみなさい!」
って手を振りたい。

私も運転士さんみたいに、ご機嫌にやりたいことを喜びからやろう。
自分が一番に楽しんじゃおう。
今いる場所でだって、小さな喜びを味わい、快適な場所にできる力が私にもあることを思い出そう。

そうすれば、誰かのために何か価値を提供しなきゃ、なんてしなくても、勝手に価値は生まれるのだ。
喜びからの仕事は、まるで月の光のように、ただ放たれ、周囲を照らす。

疲れると、あの夜のことを思い出す。

月なんて毎日昇っては沈んでいく。
存在を忘れていることだってしょっちゅうだ。
仕事なんてそんなものなのかも。

けれど、あの日の夜、運転士さんが教えてくれた月の光は今も私を照らしている。
夫と月を探した思い出とともに。
私は私のままでいられる場所で光ろうと決めた決意とともに。
 
 
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2017-10-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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