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メディアグランプリ

父はアンパンマンだった。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:山本由紀子(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「今日の夕方から夜が山ですね」主治医はそう告げて病室を出て行った。
私たち家族はそれでも明日が来れば父はまた元気になると信じていた。
3年前に脳梗塞を患って要介護5の認定を受けたものの半年で要介護0。
切符を買って電車を乗り換えて京都へ一人で行けるようになった「奇跡の人」だから。
大切な日を前に旅立ってしまうなんて思いもよらなかった。
 
父は山本呉服店の3代目として生まれた。西陣で創業し成功していた叔父(私の祖父の弟)の家から大学へ通い、卒業すると世話になったからと叔父の会社を手伝った。
父の誠実で飾らない性格は取引先のお客様やメーカーさんにも信用を得て可愛がられた。
女の子しか子供がいなかった叔父は父に会社を任せたかった。
しかし一人っ子だった父は「家へ帰って来い」という祖父に逆らえず後ろ髪を引かれる様な思いで京都から帰ってきた。
 
帰ってきた父を待っていたのは潰れる寸前の山本呉服店だった。祖父は立派な商売人だったが曲がった事が大嫌いだったために戦後の混乱期の「闇市」には全く手を出さなかった。正規に売る商品はなく、挙句に祖父の気持ちは政治に傾いていた。家族の食費にさえ困窮していた。
 
父も母も私の記憶の中では働く姿しか記憶にない。休んでいる時は疲れて体調を崩した時だけだった。小学校の四年生頃だったと思うが「どうして体を壊すまで働くの?」と聞いてみた。
父は「どこが限界でどこまでが大丈夫なんて境なんかないんや、やろうと決めたら全力でやるだけや」と言った。納得はできなかったが、父が命がけで仕事に打ち込んでいることだけは分かり私に出来ることは少しでも手伝おうと思った。
 
父は雑誌「商業界」の主催する商業界ゼミナールで正しい商人のあり方を学んでいた。イオンやイトーヨーカドーの創業者など今は大企業になった名だたる人たちが一緒だった。父はいつも自分は「商業界の落ちこぼれやー」と言っていた。一軒の小売屋から同じようにスタートした彼らは全国誰もが知る大企業に成長させた。一方自分は相変わらず田舎の呉服屋から脱することができずにいた。しかし誠実だった父が正しい考え方で山本呉服店の基礎を作ってくれ、私に渡してくれたことを感謝している。
 
今でも全国ほとんど呉服屋さんで当たり前のように値引きが行われている。
買う前に「いくらにしてもらえる?」「じゃあ、ここまでしておきますわー」なんて会話がなされるのが通常だ。値引き前提の札はその分を含んだ値段がつけてある。
父はそれを止めた。強く値引きを行った人には沢山引き、おとなしい方には少々、なんておかしい。「正直者が馬鹿を見るような商売はしたくない!」もう引けない値段を表示することに踏み切った。
 
ある時、帯を見に来店されたご夫婦があり私がお相手した。奥様が大変高額な帯を気に入られた。そしたらご主人が「それ幾らになるんや」と聞かれ私は札を見せた。「それから幾ら引くんや」と尚も言われるご主人に私は当店の方針を誠意を持って説明した。でも「呉服屋が一銭も負けんなんてありえんやろ!そんなこと通用せん」と怒って帰られてしまった。とても残念で後味の悪い思いをした。
父にその状況を説明したら「よくやった!」と満面の笑顔で褒めてくれた。
 
確かにその帯は買って頂けなくて残念だ。怒られたご主人は知り合いに「山本呉服店はとんでもない奴だ。何十万もするものを一銭も引かなかった!」と喋って歩くだろう。
でもそれを聞いた人はどう思う?「山本呉服店はやっぱり引かないのか」今まで当店を信じて買ってくださった方は安心するだろう。店の信用とはそういうものだ。良かった、良かった、と。
 
女でも一人っ子だった私に後を託すつもりでいた父はいつも言った。
「お父ちゃんの頭の上へ乗ってなあ、ピーーンと伸びよ」
自分はどんな思いをしても私のためなら敷石になってやる。自分の頭を踏みつけてもいいから大きく伸ばしていけと。
私にとって父はアンパンマンだった。
代表を私に譲ってからというもの、私がやることに全く口出ししなかった。でも困った時は必ずアンパンマンのように現れて「お腹が減ったら僕を食べていいよ」と文句も言わず助けてくれた。的確なアドバイスをし、陰で地ならしをしてくれていた。
亡くなる前日の定休日にさえ私の代わりに仕事をしてくれていたのだった。
 
その5日後、私は全国の異業種1600社の参加する勉強会でグランプリを受賞した。
賞をいただけるのを聞いた時、父は素晴らしい笑顔で喜んでくれた。
受賞できたのは父がやってきたことで、本当に受賞すべきだったのは父だった。
「商業界の落ちこぼれ」の父もようやく少しは認めていただけたと思った。
 
でも華やかな受賞の日、父はもうこの世の人ではなかった。
奇しくもその一年を象徴する曲として紹介されたのは「アンパンマンマーチ」だった。その4ヶ月前にやなせたかし氏が亡くなったからだった。
歌を聴きながら父を思い号泣してしまった。が、ふと我に帰ると周りの人たちも涙を流しながら一緒に歌ってくれていた。
その後もアンパンマンマーチを聞くたびにその時の光景が浮かび涙が止まらなかった。
 
ようやく涙を流さずにアンパンマンマーチを聞けるようになった今、娘に代表を変わる。
今度は私が2代目アンパンマンになろうと思う。
自由にのびのびと生きてくれたらいい。
私は文句も意見もせず困った時だけ、どこからともなく現れて「お腹が空いたら僕を食べて元気になりなよ」と言おう。一番必要なのはきっと忍耐だろうな。
 
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2017-10-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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