メディアグランプリ

孤独と安心の相席


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:遠山 涼
 
最近なぜか「相席率」が急上昇している。
なんとなく選んだ店に入ると、まず混んでいるのが一目で分かり、店員が駆け寄ってきて僕に人数を聞く。
1人です、と応えると店員は申し訳なさそうに言う。
「相席でもよろしいですか?」
断るのも何だか申し訳ない気がしてしまい、僕は仕方なく席に座る。
同じテーブルを囲んで、全く知らない他人が食事をしている。
向かい合わせになったり、隣に並んで座っていたり。
お互いに気を遣い合っているような雰囲気のせいで、なんだか落ち着かない。
そんなことが最近、偶然続いていた。
その結果、どうなったか?
驚くことに、僕は相席がむしろ好きになってしまった。
とはいっても、相席の中に新たな魅力を見つけたからではない。もともと僕は、普段から電車の中でイヤフォン越しに音楽を聴く人間だった。そういう人間には、相席を好きになれる素質がある。
 
ある日、僕はとても刺激的な相席に遭遇した。
相席率が特に高いのが、中華料理店だ。チェーン店ではなく個人でやっていて、店員さんも本場中国の方がやっている場合は、僕の経験上、かなり高い確率で相席に案内される。
しかもその日僕が案内されたのは、本格的な中華料理屋によくある回転式の円卓を囲むタイプの相席だった。
 
中華料理屋の円卓で食事をしているのに、そこに座ってる人たちは全員知らない他人。そんな不思議な状況は、いつもの相席以上に周りの人に気を遣ってしまう。
ふつうの相席の場合も、同席する相手には少なからず気を遣う。相手と向かい合って座っていても、視線はなるべく相手に向けないように気を付ける。自分の料理がテーブルに運ばれてきたら、その食器や箸の配置が相手のスペースを狭めていないかにも注意を払ったりする。そうやって、自分の気配を可能な限り消す。相手に余計な気遣いをさせないように努めている。
しかし、その店の円卓では、相手への気遣いがいつも以上に難しかった。
その一番の理由は、円卓の中央部分が回転することだった。
8人掛けの円卓なのに、箸立てや調味料などが1つしか置いていないため、箸を取るときは中央の回る部分をつかんでぐるぐる回さないといけない。
食事中に突然、目の前の円卓が回るとやはり気になる。
それに加えて、円卓特有の座席の微妙な配置。真正面でも、真横でもない。向かい合うでもなく、横に並ぶでもないのに、確かに同じテーブルに座っている他人同士の8人。その人たちの目の前を、ことあるごとに調味料やメニューがぐるぐると通過していく。
その違和感だらけの円卓から、早く離れたいとすら、最初は感じていた。
しかし、だんだんその状況が僕の中で、少しずつ心地よくなってきていることに気付いた。
どうしてだろうか?
食事を終え、その店を出てからもじっくり考え続けたあとで、ようやくその理由がわかった。
その円卓に座っている人たちは、それぞれが自分の食事に専念しながら、周りにも気を遣いつつ同じ席に座っていた。そんな状況が、さっきの店に限らず、全ての相席にはある。そして、それこそが僕が感じた安心感の正体だった。
 
相席は、1人で食事をする人たちの、ある種のわがままを叶えてくれる。
たとえば大抵の場合、1人で食事をするときは自分が食べたいものを自由に選んで食べられる。
一緒に食事をする相手の食べたそうなものや好き嫌いを気にする必要なく、自分がそのとき食べたいものを自由に選ぶことができる。自分の好みだけを優先し、その食事に集中して、思う存分味わうことができる贅沢なひととき。それこそが1人で食事をすることの醍醐味である。
同時に、1人の食事は少し寂しいものでもある。
周りに誰もいなかったり、一人ぼっちで食事をしている自分。そんな状況をふと客観的に考えると、何だかいたたまれない気持ちになることもある。
好きなことだけに集中するために1人で自由に過ごしたい自分と、誰か他人と一緒にいることで安心できるような自分。
その両方の自分が、お互いにわがままを言い合っている。
そして、その両者の言い分を聞き、折衷案を出してくれるのが、まさしく相席での食事なのだ。
 
食べたいものを食べる、自分だけの食事をしっかり楽しみたい。
でも同時に、完全に一人ぼっちではなく、適度な距離感で、誰かに周りにいてほしい。
そんなどっちつかずの気持ちが僕の中にはあった。そして、今までは気付かなかったけど、そういうジレンマのような気持ちはもともとあった。それが表れているのは、たとえば電車の中でイヤフォン越しに音楽を聴いているような時だ。
 
僕はよく、電車に乗っている時も、家のベッドで眠りに就く時も、お気に入りの音楽をイヤフォンをして聞いている。
しかし、一人で家で聴くのと、外で電車の中で聞くのとでは、同じ曲でも全く聴こえ方が違う。
イヤフォンから聴こえてくるのは同じ曲で同じ音なのだが、僕自身が置かれている状況が異なれば、僕の耳や脳みそ、気持ちが置かれている状況も異なる。だから、聴こえ方も変わる。
どのように変わるのかというと、自分の世界に浸るその深さがちょうどいいか、度が過ぎてしまうかが、まるで変わってしまう。
イヤフォンをすれば、周りの音はほとんど聞こえなくなり、自分一人の世界に浸ることになる。それを一人ぼっちの部屋の中でやるのと、他人が大勢いる電車の中でやるのとでは、全く別の行為だ。
すでに一人なのに、さらに自分一人の世界に深く深く浸っていくと、だんだん不安になることがある。自分の頭の中だけでどんどん膨らんでいって、曲によっては暗い気分に落ち込み過ぎたり、力が溢れ過ぎたりしそうで、だんだん怖くなってくることがある。
しかし、それが外出先や他人がたくさんいる電車の中だったら、ちょうどいいバランスを保ったまま自分の世界に浸ることができる。社会の一員として正常に振舞いながら、イヤフォンで塞いだ耳の中では好き勝手に気持ちが暴れている。
誰にも気を遣わないことと、誰かにそばにいてもらうこと。その2つを両立できる状況を、僕はイヤフォンと音楽プレーヤーで作り出していたのかもしれない。
そして偶然にも、同じような状況を僕は相席の中にも見つけたのだった。
 
それに気付いて以来、相席になることが楽しみになってきている自分がいる。
「相席でもよろしいですか?」
店員さんがそう聞いてきたら、そのうちきっと笑顔で快諾するようになる。
 
***

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2017-11-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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