メディアグランプリ

ジンジャーエールの泡が浮かんでは消えるまでに


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【12月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

 
記事:べるる(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
「あ、これだ」
白い壁の建物を見つけて、駐車場に入る。
そのパン屋さんは、ネットで検索して見つけた。美味しいと評判のお店だと言う。
11時少し過ぎの店内には、お客さんがとぎれることなく、パンを買いに来ていた。
店内には沢山のパンが並んでいた。アンパン、クリームパン、サーモンのサンドイッチ、チョリソーのフォカッチャ……端から端までパンを見るけれど、どれが美味しいのか、今どれが食べたいのか、目移りして決められない。甘いパンと、惣菜パンを1つずつ買おうかな。でも、迷う。
雑誌に紹介された切抜きが張ってあり、このお店の一番人気は、マスカルポーネあんぱんだと書いてある。へぇ、変わっているんだなぁ。じゃあ、せっかくだから、1つはこのマスカルポーネあんぱんにしよう。もう1つは、カレーと季節の野菜のフォカッチャにしよう。
店員さんを呼び、パンを注文し、店内で食べたいことを告げる。
「お飲み物はどうでしょうか?」
30代後半ぐらいの、化粧がばっちりでハキハキした女性の店員さんが薦めてくる。
一通りドリンクメニューを眺め、
「じゃあ、ジンジャーエールをお願いします」
と言った。
 
2人がけのテーブルに座り待っていると、店員さんがジンジャーエールを持ってきてくれた。
「ジンジャーエールでございます」
緑の瓶に入ったジンジャーエールとグラスをテーブルに置いた。
ジンジャーエールは150円だった。たぶん、そんなに高くはない値段だった。特に飲み物は欲しくないけど、店内で食べるし、じゃあ買おうかなという程度だった私には少し高いかなと思う値段だった。
でも、瓶のジンジャーエールとグラスを見て、「これは150円以上だな」と思った。
紙コップでもない、グラスに入って運ばれてくるのでもない、瓶と自分で注ぐグラス。
瓶と言うのが予想外の形であったし、自分でグラスに注ぐという一手間が、贅沢な気分にさせてくれたから。
透明なグラスにジンジャーエールを注ぐと、しゅわしゅわしゅわと泡を立てて……
 
ジンジャーエールって、どんな色だと言えばいいのだろう?
淡い黄色? 淡いレモン色? 何か違う。
りんごジュースみたいな色? シャンパンみたいな色?
 
あ。シャンパンゴールド。
シャンパンゴールドって、こんな色ではなかったかな?
ジンジャーエールの色と、シャンパンゴールドという響きは、私の中でベストマッチ!! だけれど、シャンパンゴールドがどんな色か私は知らない。誰かの乗っていた車がシャンパンゴールドって言ってた気がするけれど、あの車の色は本当にシャンパンゴールドかと言われると自信がない。
 
ジンジャーエールが注がれたグラスは、勢いよく飛び出た泡が落ち着き、小さな泡が浮かんでは消えているところだった。
 
ジンジャーエールを飲んで、パンを食べたら、病院にいかなくては。
明るい店内とは裏腹に、私の気持ちは暗く沈んでいた。
 
実母が入院した。
母の体調がよくないので検査入院するという知らせを聞き、子どもと旦那を残し私だけ帰らせてもらった。
私は遠くにお嫁に行ってしまったので、年に2回ほど帰省するだけで頻繁にはあっていなかった。前回会ったのは半年ほど前だった。
でも、久しぶりに会う母は明らかに以前と違っていた。
「え、何で? 何でこんな……」
と、母を見た瞬間、涙が出てきた。それほど、母の病気は進行しているように見えた。
その予想は当たっていて、検査入院だけでなく、本格的な入院になってしまった。
「病気の診断が出来ないと治療が開始できません。それまでもたない可能性があります。ご家族と万が一のことを話し合ってください」
と言われた。
母の病状を受け入れられない父親と、仕事で病院に行けない弟と妹の代わりに、毎日病院に通い、先生の話を聞き、検査の同意書を書き、入院の準備や洗濯、必要なものの買出しをしていた。
今までそばにはいなかったかもしれない。でも、入院してから、私が一番母のそばにいた。子どもも旦那も遠くに残し、私は母のことを一番に考えていた。
母もそれは分かってくれていると思っていた。
 
でも、違っていた。
 
母が入院して一週間後、父はようやく母の病院へ行き、先生から話を聞いた。
父が病室に行くと、母はいつもの母よりよくしゃべった。
父の手をとり「ここに泊まっていけ」と言ったり、他のお客さんにお茶を出すように言ったり、とにかくよくしゃべった。
……結局、夫婦なのだな。
母と父はなんだかんだ言っても夫婦であり、一番自然に反応してしまう人なのだと思った。
 
父なんて、母の病気から目を背け、全然病院に来れなかったのに……と思うけれど、仕方がないかなと思った。
 
でも、それだけではなかった。
母の記憶はしっかりしている。今日の日付も自分の生年月日も、ここがどこだかも言える。先生も看護師さんも頭はしっかりしていますね、という。
なのに、私のことだけ、忘れていってしまう。
毎日病室に行っている私に「久しぶり、珍しい人が来た」と言ったり、昨日私が見せた子どもの写真を見てないと言ったり、私の記憶だけ抜け落ちてしまうのだ。
なのに、妹のことは元気? なんて話題に出すのだ。何しているのか、心配でねって。
 
私は、どうでもいいのだ。
そのことが、悲しかった。
確かに私は関西に嫁に行き、あまり帰ってこない。
でも、病院にいってから私がずっと近くにいた。毎日通っていた。なのに、母にとっての私は、記憶できないぐらいどうでもいい存在だったのだ。
 
ジンジャーエールの色とシャンパンゴールドはベストマッチ! と私は思ったけれど、本当は分からないみたいに、私と母も気持ちは同じ、ベストマッチ! だと思っていたけれど、本当は分からない。
 
母の病気は脳にも及んでいるので、その影響なのかもしれない。違うかもしれない。
 
でも、悲しんでばかりはいられない。
 
母が病気のため検査入院するとなった時、義母と義父は、「とにかくすぐに帰りな」と、私を送り出してくれた。
そして「こういったらあれだけれど、べるるちゃんが納得できるように、しなね。こっちのことは大丈夫だから。あの時ああしていればよかったという後悔だけはしないように」
と。
 
母は、治療が開始するまで持ちこたえることが出来た。
それでも、ジンジャーエールの炭酸の泡が無限ではないように、母の命も有限で、たぶんもう残りは少ない。
 
先生は「元の生活に戻れる可能性があります。大丈夫です。頑張りましょう」と言ってくれていて、母も「早く家に帰って洗濯や掃除をしたい」と、意欲を見せている。
 
私がここで、泣いている場合ではないのだ。
私がここで、負けている場合ではないのだ。
 
今日も私のこと、分からないのかな。しんどそうな母をみるのが辛いなんて、言っている場合ではないのだ。
今日という日が最後になるかもしれないのだ。
後悔しないように、しなくては。
 
今まで、私達こどものことや、父のこと、祖父母のことで、母はたくさん苦労してきた。その母が、ようやく自分の好きなことだけ出来るようになるのだ。その願いは「掃除や洗濯を自分の思うようにしたい」というささやかなものだけれど、叶えてあげたい。
 
私は医師でもなく看護師でもなく、医療のことは何も出来ない。でも、母の望みを叶えるために出来ることを積み上げよう。いつかジンジャーエールの瓶みたいに、予想以上の形で私達の前に現れて欲しい、なんて期待をしてしまいながら。
 
 
ジンジャーエールを飲み干して、グラスを置く。
空になったグラスは窓から入る光を受け、机にまぁるい影をつくり、グラスの中にはジンジャーエールの水滴が少し残っていた。
 
「ごちそうさまでした」
店員さんにそう告げて、パン屋さんを後にする。
病院まではここから車で10分程度。
外にはすがすがしい程の、秋晴れの青い空が広がっていた。
 
***

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2017-11-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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