プロフェッショナル・ゼミ

成長とは、「会いたい」の言葉に鎧を着せることなんだろうか。《映画『月と雷』×天狼院書店コラボ企画》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:松下広美(天狼院ライティング・ゼミ プロフェッショナルコース)

「会いたくて、しょうがなくなったんだよ」

映画『月と雷』で、泰子が「なんで私に会いにきたの?」と智に問う。
智はただ、「会いたくてしょうがなくなった」と答える。

ただ、それだけの言葉なのに、心がざわついた。

「あーそーぼーっ!」
「いま行くねー!」

子供のころ、友達と遊びたくなったら、友達の家の前で「遊ぼうよ」と声をかけた。そのまま友達の家で遊んだり、公園に行って遊んだりした。
ときどきは、「今日はごめんね、遊べないや」と言われることもあったけれど、「じゃあ、またねー」と何も考えずに帰ってきた。
そしてまた、「あそぼー」と声をかける。

成長するにしたがって、「今日、学校から帰ったら遊べる?」という約束になる。
それでもまだ、「遊びたいから誘う」という素直な気持ちを伝えることには変わりはない。
中学や高校になると、「今度の日曜日、遊びに行かない?」と、先の約束になる。
もちろん、遊びに行きたいから誘うのだけど、「もしかしたら、その日は忙しいかもしれないけど、別の日の方がいいかな」とか「嫌だって言われたら、どうしよう」とか、素直な感情に別の感情が加わってくる。

さらに成長すると、その遊びたい相手が、好きな人に変化してくる。
遊びに行こうと誘っても断られてしまったり、誘いたいけれど、OKがもらえないだろうからやめておこうと、誘う前に諦めてしまったりする。

相手に「会いたい」という気持ちは変わらないはずなのに、成長とともに、素直に「会いたい」と言えなくなってしまう。

それなのに、智は何のためらいもなく「会いたくなっちゃった」と泰子に言う。
一緒に過ごした子供のころからは、何年も経っていて、お互いに成長しているはずなのに。

智の素直な「会いたかった」に、私の心がざわついた。

ときどき、会いたいな、と頭に浮かぶ人がいる。
その人は、いつも同じ人、というわけではない。

幼稚園のころにいつも一緒にいた子だったり、小学校で転校してしまったまま連絡を取っていない友達だったり。
中学のときにずっと好きで、ストーカーするように追っかけていた人だったり、高校生になって初めて自分から「好きです」と伝えた人だったり。
大学生のときに恋人未満だった関係の人だったり、大人になってからヒトメボレしたけど連絡先も聞かずに終わった人だったり。

頭に浮かぶ人たちが「どうしているかな?」と思い、会ってみたいな、と思う。

でもそんな人たちに、実際に「会いたくなっちゃった」なんて、私は会いにいけるだろうか。
連絡先もわからないのに、探してまで会いにいくだろうか。

そんな簡単に、行動できない。
恥ずかしいな、と思ったり、そこまでの人じゃない気がするって思ったり。
だから、今、頭に浮かぶ人たちには、たぶん会いにはいかないだろう。

思い出の中には存在しているけれど、今の私の世界には存在するわけではない。
思い出の中にいるからこそ、安心して引っ張り出すことができる。

それならば、なぜ、心がざわついてしまうのだろう。

「会いたくなった」と言われている泰子が羨ましいのか。

もちろん、智を演じる高良健吾みたいなイケメンに「会いたくなった」だなんて言われたら、「私もです!」と即答してしまいそうになるけれど、それよりも大切なのは、誰かに思い出してもらえる存在であること。
そして、その人が実際に行動に移し、会いにきてもらえるくらいの人であること。
自分のことをすごく思ってもらえる人が存在している。
隣に誰かいるんだと感じることで、安心できる。
ひとりじゃないんだ、孤独じゃないんだと、強くなれる。

そして、「会いたくなった」と言われる存在、というだけではなく、「会いたくて、しょうがなくなったんだ」という、純粋な言葉を言うことができるところ、思ったことを素直に行動に移すことができることを羨ましく思った。

成長とともに、素直な感情を隠すことを覚えてきた。
怒りをコントロールすることを学んできたり、泣いてはいけない場面があることを知ってしまった。
「会いたい」という気持ちに、相手が迷惑するんじゃないかと勝手に思い、気持ちにそっとフタをしてしまう。
「好きだ」という気持ちに、自分に気のせいだと思い込ませてしまう。

さまざまな感情に、自分でもわからないうちに引き出しにしまって鍵をかけ、ときには鎧を着せてしまい身動きを取りにくくしてしまう。

感情に鈍感にならないと、社会はちょっと生きにくい。
感情にフタができるようになったり、鎧を着ることを覚えるのは、社会に順応できるようになるための成長なのかもしれない。

実際、映画『月と雷』の中の人たちは、ちょっと普通の社会とは違うところを生きていたりする。
気持ちが子供のままだから、普通じゃないのかもしれない。
成長できていないから、普通じゃないのかもしれない。

ただ感情というものは、フタをして隠してしまったり、鎧を着せて動きにくくしてしまっても、なにかのはずみで漏れてしまったり、抑えられなくなることだってある。
ときどき、本を読んだり、映画を観たりするときに、自分が思ったよりも感情が溢れ出てしまうときがある。

抑えられなくなる前に、ときには、フタを開けて鎧を脱がせて、解放してあげることも必要なんじゃないかと。
私の心がざわついてしまったのも、そろそろ感情がいっぱいになってしまって溢れ出そうだから「ちょっと解放してあげたらどう?」というサインなのかもしれない、と思う。

「会いたくなって、会いにきちゃった」

そう言われる人でありたいし、いつでも言える自分でいたい。
幼い頃に「あそぼー!」と言っていたあの頃のように、ときには、感情の赴くままに行動し、感情に自由に動かされる自分でいるのもいいんじゃないか。

そう、思わせてくれる映画だった。

 
 
 
『月と雷』
出演:初音映莉子、高良健吾 、草刈民代 / 原作:角田光代 / 監督:安藤尋
10月7日(土)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー!
http://tsukitokaminari.com
(C)2012 角田光代/中央公論新社 (C) 2017 「月と雷」製作委員会

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