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メディアグランプリ

カエルになろうと思ったわけじゃない


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:姫蝶(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 

その日は私の人生で最悪の日だった。
 
雨が激しく降っていたその日、私は事故に遭い、救急車で病院に運ばれた。
 
 

私は骨盤を骨折した。骨盤がずれて内臓を損傷すると大出血となる恐れがあったので、骨が再生し、骨盤の状態が落ち着くまでベッドに寝たきりの状態を余儀なくされた。いつベッドから起き上がれるようになるのか検討もつかなかった。
 
人生で初めての入院。それは、ゴールの見えない修行の始まりだった。
 
 
整形外科の入院患者は、一般的に他の科と比較すると元気な人が多い。急性期の患者が集められた介護病棟は、まさにわくわく動物ランドだ。
 
同室に大きな声で看護婦の悪口を言う患者がいた。看護婦が棚から患者の荷物を取り出すために扉をバタンと閉めたり、ベッドを仕切っているカーテンをシャッと閉めたりすると、彼女は「うるさい! 眠れないから静かにして!」と怒鳴る。
 
一晩中ナースコールを押し続ける患者、痛いからといって勝手にコルセットを外す患者、夜になると騒ぐ患者もいた。病室は静かなところだと思っていたが、落ち着いて修行できるところではなさそうである。
 
ベッドの上での修行が進むにつれて、足音で看護婦や主治医、家族の区別がつくようになる。カーテンの閉め方で看護婦のイライラ度合がわかるようになる。どんどん私の感覚は鋭く研ぎ澄まされていく。
 
モンスターな患者の対応に疲れて、ハーッと溜め息をつく看護婦がいた。しかし、それは絶対にNGだ。患者は感覚が鋭くなり、看護婦の心理状態が手に取るようにわかるので、溜め息をつくのは、病室を出るまで我慢しなければならない。
 
病室で毎日繰り広げられるドラマをカーテン越しに観察していると、ノンバーバルなコミュニケーションがいかに大切か、腑に落ちる。
 
 
そうして、気がついたときには、私の両腕はガリガリにやせ細っていた。左鎖骨も骨折し、左腕は使えない状態だったが、左腕はポキッと折れそうな古い木の枝のようになっていた。最近太りぎみで、上腕がぽっちゃりしていたが、痩せるのはあっという間だった。
 
脳トレしなくては!
 
危機感を持った私は、修行中の身であることを忘れ、焦って本を注文した。使わずにいると痩せ衰えるのは手足の筋肉だけじゃない。脳みそも同じではないか? そう考えるとベッドに寝たきりの状態は危険すぎる。
 
 
寝たきりだと三度の食事も大変だった。高齢者には食事介助があったが、悲しいことに、介護病棟で一番若い私は放置された。ベッドから起き上がれないのに、お箸が使えるわけがない。スプーンもフォークも使えない。汁付きのうどんを食べれるわけがない。
 
そうか、手でつかんで食べよう。
 
悟りを得た私は、インドの修行僧のように手でつかんで食べることにした。直接手から口に食べ物が入ると、命をいただいて生きる喜びを感じ、修行僧の気持ちがわかったような気がした。
 
インドでは左手を不浄な手とみなし、食べ物は右手でつかむが、ふと不浄とされる自分の左手を見ると、指と指の間にカエルの手のような「水かき」が出来ていた。
 
水かき!? 私はカエルじゃない!
 
ボロボロの自分の手を見てショックだった。手を清潔に保つために、消毒用としてアロマのスプレーを使っていたが、これが手の荒れた原因かもしれないので、スプレーを使うのを止めた。しかし、指と指の間がボロボロに荒れ、「水かき」にようになっただけでなく、手の平も、手の甲もボロボロ、手の荒れは悪化する一方だった。
 
 
そういえば、小学校のとき「おたま班」だった。
 
「水かき」が出来た手を見て、ふと、小学校のことを思い出した。「おたま班」とは、田んぼからカエルの卵を取ってきて、カエルになるまで世話をする係だ。おたまじゃくしはとても臭かったので、私は「おたま班」が嫌いだった。
 
おたまじゃくしは成長するとカエルになる。
 
そうだ。手がボロボロになったのは、手の細胞が生まれ変わっているからである。ベッドで寝たきりで、自分だけ取り残されたように感じていた。「とき」が止ったように感じたが、おたまじゃくしがカエルになるように、「とき」は止ることはない。
 
 
普通に生活をしていると、洗面、料理など、手を洗う機会が多いので、特に意識して手を洗わなくても、手の細胞は綺麗に生まれ変わるらしい。私はベッドに寝たきりでお風呂に入れず、手を使っていなかったので、手の細胞が綺麗に剥がれ落ちなかっただけなのだ。
 
細胞の生まれ変わりを実感して、とても嬉しかった。入院しなければ気が付くことがなかった当たり前のこと、しかし、当たり前のことが、実はすごいことなのである。
 
痛みは経験した人にしかわからないと言われる。入院していた数ヶ月、細胞は確実に生まれ変わり、骨も再生したが、私も少しは成長できたのだろうか。
 
 

まだ元通りとは言えないが、ようやく杖なしで歩けるようになった。人生で初めての入院という修行が終わり、退院してから、足が不自由な高齢者を見かけることが多くなった。そんな高齢者を見ると、優しく声をかけたくなる。
 
だって、カエルになった経験がある人たちかもしれないから。
 


2017-11-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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