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メディアグランプリ

肉嫌いから学んで決まった私のスタンス


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:蒼山明記子(ライティング・ゼミ平日コース)
 

その日の教室には三人だけ残されていた。
他の二人が何を食べられなかったのかは覚えていない。
そして私は、意地で食べなかったわけではない。
食べたら胃から逆流してくるから、なかなか口に入れられないのだ。
 
まだ小学一年で、先生に盾突きたいわけがない。
食べられるものなら食べたい。
でも小さな体の中で、食べ物が異物として胃液とともに逆流してくる感覚がどれだけ辛いか。
食べるのには勇気が必要だった。
しかも一個食べれば終わりではない。
チャーハンとか、豚汁とか、それはそこここに入っている。
地獄だ。
 
物心ついた時から肉が食べられなかった。
母は好き嫌いをなくそうと努力をしてくれたようだけど、口に入れてもペッと出してしまったらしい。
小学校にあがり給食になってから、学校の方針なのか担任の先生の方針だったのか、給食は残さず食べるという規則のもと、食べ切るまで残される羽目になった。
 
このことを親に話した記憶はない。
この窮地をどう切り抜けたのか、毎日の攻防戦は話せば長くなるので割愛するけど、先生には溜息つかれるわ、クラスメートにはいじられるわ、吐き気と戦うわで、私には給食にいい思い出などほとんどないし、むしろ「罪悪感」が残ってしまった。
肉が食べられないのはダメなことなんだと。
 
時は流れて十数年、時代はバブル末期、社会人になっていた私の肉嫌いは相変わらずで、「なんで食べられないの?」と聞かれては子供の頃からの好き嫌いで……と答える日々を送っていた。
肉というのは誰もが好きと決まっているらしい。
人参やピーマンなどとは何か立ち位置が違うようだ。
食べてみなよとすすめてくるあの頃の先生のような人もいて、そういう時はとりあえず食べて見せ、「無理~」と言った。
この頃にはもう胃液が逆流するようなことはなく、体が大人になるってこういうことなのねと思った。
とりあえず飲み込める。
ただ、まずい。
 
こんな私が肉を食べられるようになる日が来るとは思いもしなかった。
ある時、数人で居酒屋に行った。
頼んだ料理の中に焼き鳥の盛り合わせがあり、当然ながら私は手をつけなかった。
すると、それに気づき、私の肉嫌いを知った世話好きが、
「え、肉ダメなの!? なんで? 試しにこれ食べてみなよ、美味しいから!」
と、私に焼き鳥をすすめてきた。
またきた。
仕方ない……と思い、串から一つ外し、エイッと口に入れた。
左手にはビール、すぐに流し込める体制は万全だった。
ところが。
……あれ? 美味しいかも。
 
すすめた世話好きは、
「ほらー! やっぱり食べず嫌いだったんだよ!」
と得意げに言った。
いやいやいや、地獄の給食時間の話、したろーか。
どれだけ胃液を食道で逆流させ肉を上下に躍らせたか。
小一時間じゃ話おさまんないぞ。
 
……実際は、食べず嫌いじゃなく食べ嫌いだった話を、かいつまんで5分ほどで語り尽くしたけど、この日から「私、もしかしたら肉食べられるかも?」という希望の光が射し込んだ。
それからというもの、何か食事会があるたびに少しずつ肉を試すようになった。
 
何も無理して試さなくても、と思われるかもしれない。
でも私には、小学生の時に植え付けられた「罪悪感」があった。
大多数が食べられて、みんなが大好きという肉を食べられないことに対する「罪悪感」を克服できる光が見えてきたのだ。
やらずにはいられない。
 
そんな格闘を続けていた中、私は気づいていた。
世の中で、ある種の人たちが流れを作っていることを。
そう、それはベジタリアン。
有名人で肉を食べない人が結構いることで、その流れは徐々に広がっていっていた。
 
そもそもは天然ベジタリアンの私(魚や卵や乳製品などは食べていたから完全とは言えないけど)、この流れに乗るという手もあった。
でも、私は避けた。
せっかく少しずつ食べられる肉が見つかりつつあった頃だったし、長いこと肉が食べられないことを「なんで?」と聞かれ、答えるのが面倒だった上に、この流れと時代背景のせいで話はさらにややこしくなっていた。
肉が食べられないと知ると、にわかベジタリアンのように言われたり、宗教がからんだ大事件があった頃だったので「宗教的理由?」という怪しい目で見られたり。
いやいやいや、だから子供の頃からの……
あーもう面倒くさいっ!
肉を食べないことは単なる好き嫌いで何ひとつ信念がない私は、食べてみるほうを選択した。
 
そんな日々から20年余りが経った今、ベジタリアンは、マクロビオティック、ヴィーガンなどいろんな形で広がり、意識の高い方々が取り入れていることで、肉を食べないことは珍しいことではなくなり、自然で健康的なイメージが確立された。
私はというと、今ではすっかり「焼き鳥とビール最高!」と言えるようになり、その組み合わせを心から楽しむために5キロダイエットしたいと思う浅はかな女に仕上がった。
 
とはいえ、今でも肉は食べられるものと食べられないものがある。
でも、もう「罪悪感」はない。
 
その他大勢に並べと、肉を食べるまで残されて、辛い思いをした。
時は流れて、今では肉を食べないことも珍しいことではなくなった。
私が変わろうと変わるまいと、世の中が変わっていくのだ。
よくあることだろうけど身を持って知り、なんだか気が抜けた。
あの辛い思いはなんだったのよ……。
 
これがこの世の条理なら、私は私が好きと思うものを受け入れ、嫌いなものは無理して受け入れないとしたほうがいい。
 
本当なら小学一年の時、こんなの食べられないと、はねのけられたら良かった。
でも、あの時は小さすぎて、はむかうことなどできなかった。
いや、大人だったとしても、それが規則ならば、はむかうことはできなかったかもしれない。
ただ、それで一つだけ良かったことは、「食べず嫌い」をしなくなったってこと。
食べられないものは、すべて「食べ嫌い」なのだ。
 
迎合の圧力に疲れ果てた、流されやすい私のスタンスはこれでやっと決まった。
 
食べてみると意外とあの時の「焼き鳥」だったりすることがある。
食べたことで広がる世界は意外と面白いかったりする。
でも嫌ならあえて食べることもない。
食べても食べなくても世の中は流れていき、私は結果を受け入れていくのみだ。
そして食べたことを後悔しないメンタルと、人のせいにしない意志があれば、結果無理だったとしても、「食べず嫌い」を「食べ嫌い」にすることは経験として悪くない。
 
選択が自分の意志ならば、最後には必要なもの、大切なものだけがふるいにかけたように自分の中に残っていく。
 
これは、いつの間にか私の中で、肉に限った話ではなくなっていた。
 
***

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2017-11-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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