メディアグランプリ

笑顔の裏に、涙


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:水月むつみ(ライティング・ゼミ日曜コース)

 

 

私は、子供の頃から、「人の幸せ」について、よく考えていたと思う。

それは、私が「幸せな暮らし」を全くしていなかったからだ。

 

私の家庭が貧乏だったわけではない。

むしろ、田舎にしては、お金はあるほうだったと思う。

両親ともに働いていたし、休みの度に旅行に行っていたのだから、お金がないはずはない。

 

周囲からは、とても恵まれた家庭だと思われていたと思う。

立派な職業についている家族に囲まれ、裕福で、何不自由ない暮らしをしていると。

 

でも、私は自分が幸せだと感じたことも、思ったことも、ほとんどなかった。

 

私は、小学生の頃、穴の空いた靴下を履いて、よく学校に行っていた。

上履きを脱いで、体育館に上がらなければならない時などには、空いている穴を足の下側に隠すのに必死で、早く時が過ぎてくれれば良いのにと願うばかりだった。

 

靴下に穴が空いても、買ってもらえなかったのだ。

それは、靴下を買うお金がなかったからではない。

私の靴下に穴が空いていることに親が気づかない、もしくは、気づいても、それに対して何かをする余裕が親にない、という状態だったから、放っておかれたのだ。

そのことを私が訴えられるような親でもなかった。

 

また、洗濯がされないので、洗濯していない体操着を、着続けなければならず、あせもを作ることもあった。

 

運動会にも、親が来ることはめったになく、隣の家族に混じって、お昼ご飯を食べたりしていた。

 

そんな生活を、一体、誰が「幸せ」と呼ぶだろうか?

 

でも、周囲からは、至極、幸せな家庭だろうと思われていた。

 

そんな状況では、どうしたって「人の幸せって何なのだろう?」と考えざるを得ない。

 

他人から幸せだと思われていること。

でも、自分は全く幸せを感じていないこと。

 

その矛盾。

 

今でも鮮明に記憶に残っているエピソードがある。

 

私は運動神経がよかったので、小学生の時に、陸上の100M走で、県大会に出場した。

 

その時、私は、運動靴ではなく、普通の靴で出場した。

大会の日までに、運動靴を買ってもらえなかったのだ。

 

大会の前日まで、親は、私が陸上の県大会に出ることを知らなかった。

 

前に履いていた運動靴を履きつぶしてしまっていたので、大会に履いていく運動靴がなかったのだが、そのことを親は前日まで知らず、気付いた時には、お店は既に閉まっており、普通の靴を履いていくしかなかったのである。

 

それくらい、私のことを何も知らない親だった。

 

私は、ミッキーの絵が描いてある緑色の、靴底にクッションなどまるでない普段靴で、県大会の100M走に出場し、予選敗退した。

 

その後、同級生の母親が家に訪ねてきて、玄関口で、2人の母親が話している声が聞こえてきた。

彼女は、私が普通の靴で100M走に出ていたことを指摘し、私の母親に異議申し立てをしているような雰囲気だった。

 

私は、彼女のおかげで、運動靴を買ってもらえなかったことに、私が悲しんでもよかったのだと、それはおかしいことだったのだと、気付くことができた。

 

子供にとって、自分の家庭で起きていることは「絶対」だ。

子供が経験できるのは、基本的に、自分が生まれ落ちた1つの家庭だけで、今日は、A家庭を経験して、明日は、B家庭を経験しましょう、などというようなことは、できない。

 

だから、自分の家庭で起きていることは、「普通のこと」、「仕方のないこと」と思うしかない。

それ以外の世界を知らないのだから。

 

そんな閉じた世界を経験しながら、何十年もの時が経って、私にとっての「普通」は、世間の「普通」ではなかったことに気付くまで、ずいぶんと時間がかかった。

 

今思い返せば、信じられないような出来事ばかりだけれど、そういう「奇妙な」生活が、私の毎日だった。

 

でも、その「奇妙さ」にうっすらと気付く感性だけは、ぎりぎりのところで持ち合わせていた私は、周りにいた「不幸な人たち」のような生き方だけはしないと、子供の頃から誓っていた。

 

自分の人生を後悔しないように生きていくこと。

それだけは大事にしていた。

 

そんな私の人生には、たくさんの問題が起きたけれど、問題が起きる度に、本を読んだ。

そして、自分自身と向き合ってきた。

 

そういう生き方ができたのは、皮肉にも、私が生まれ育ったおかしな家庭のおかげだった。

 

私がおかしな家庭で育っていなければ、お金持ちの人と結婚して、世間の言う幸せな家庭を築いて、世間の期待に沿うような生き方をする道を選択していたかもしれない。

 

それで幸せになった可能性もあるけれど、でも、私は、そういう人生は歩まなかった。

そういう人生を歩まずに済んだ、と言ってもいい。

 

私にとって、「お金」は「幸せ」とイコールなものではない。

最低限は必要なものかもしれないけれど、お金があるからといって、幸せになれるわけではない。

そのことが、私は、骨身にしみて分かっている。

 

人の幸せは、もっと別のところにある、と。

 

ささいなことで笑い合える人がいること。

悩みを分かち合える人がいること。

お互いを想い合える人がいること。

 

私が、そういう小さな幸せを大切に思えるのは、おかしな家庭に育って、たくさんの不幸せを目の当たりにしてきたからだ。

 

心の中で、たくさんの涙を流してきたからだ。

 

私が今、人の話を聞くことが上手なのも、毎日、親の愚痴を聞いて育ってきたからだ。

 

私は、おかしな家庭で育ったおかげで、今、幸せに生きることができている。

 

幸せを味わうことができるのは、たくさんの不幸せを味わった人だ。

 

笑顔が素敵な人は……きっと、たくさん泣いた人。

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2017-11-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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