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夫婦の危機を救う「ネガティブ貯金箱」


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:あさみ(ライティング・ゼミ書塾)

 
 
脳梗塞で倒れてから、夫はひどくネガティブになった。
 
夫が救急車で運ばれたのは、去年の12月17日。私は日付なんてすっかり忘れていたのだが、夫は毎日カレンダーの前に立っては今年の12月17日を睨みつけている。脳梗塞は再発率が高い病気だ。まずは1年を何事もなく乗り越えたいという気持ちが強いのだろう。
後遺症により左半分の視野を失った彼は、視野以外でも、仕事への自信、未来への希望など多くのものを同時に失ったのだと思う。カレンダーを睨みつけるその目の奥にあるのは、これからの未来を病気と共に生きる強い気持ちより、これ以上もう何も失いたくないという不安や怯えの方が強いように見える。1歳になったばかりの娘を含めた家族や、生きがいである仕事を失うことが怖いのだろう。大切なものは増えるほど弱点にもなる。
 
だから、彼がネガティブになる気持ちはよくわかる。
少しの体の不調にも敏感になる。
食べるものに神経質になる。
誰にでもある小さな物忘れや仕事へのミスに過敏に反応する。
自転車に乗ること、ラーメンを食べること、バスに乗り遅れないように走ること、歯医者に行くこと、お風呂に入ること。これまで当たり前にしていた些細なこともひとつひとつ慎重になる。「いつ病気が再発するかわからない」という不安が常に心に同居しているのだ。
さらに、人一倍優しい夫は、自分で精いっぱいでこれまでのように家族のために動けないことで自分を責めてストレスになっているのだと思う。
そんな細い1本の糸の上をギリギリのバランスで歩くような生活の中で、気持ちを前向きに保ち続けるのはよほどの精神力が必要だろう。
寝る前にふと夫の状況を自分に置き換えて考えてみて、怖くてたまらなくなるときがある。こんな気持ちと毎日闘っているのかと思うと気が遠くなる。体力も気力もすり減り消耗するに違いない。
 
妻である私がドンと構えて、不安を打ち消すエネルギー源にならなければいけないのだが、私の器は自分が思った以上に小さかった。
夫は十分に頑張っている。自分の立て直しに必死なのに、家族のこともできる範囲でやろうとしてくれている。わかっているはずなのにそんな夫に冷たく当たってしまうことがあるのだ。家事・育児・仕事のサポート・再発防止のための食事の管理……なんで私ばっかり、と思い始めるともうダメだ。「頭が痛いけど再発したのかな」「こんなことも覚えられなくなって、これも後遺症なのかな」「何もできなくてごめんね」を繰り返す夫に「大丈夫だよ」「一緒にがんばろうね」という言葉も、笑顔も返せなくなってしまう。夫をさらに追い込んでいるのはおそらく私だ。大切な人のはずなのに。
ネガティブな言葉と隣り合わせで暮らすことが、私の気持ちもじわじわとすり減らしていっているように思う。共倒れてしまわないように、私も必死なのだ。
 
「もうネガティブなことを言うのはやめて」
「ため息をつくのはやめて」
「しょうがないじゃない。病気になってしまったんだから」
そう叫ぶことができたら私の気持ちはすっきりするかもしれないけれど、夫は何も言えなくなり、すべてを一人で抱えてしまうだろう。何度ものどの奥まででかけたその言葉は寸でのところでこらえ、のどのつかえたままである。ただでさえ蜘蛛の糸を歩くようなギリギリの生活なのだから、ちょっとしたきっかけで簡単に崩壊してしまいそうで怖かった。
 
わたしも夫も、ネガティブな言葉を食い止める方法はないものか。「頑張ろうよ」とか「大丈夫だよ」とか「もうネガティブに考えるのはやめようよ」とか、そういう精神論じゃない方法で。
 
必死で考えていたときに、ふと仕事中の出来事を思い出す。
いわゆる尻ぬぐい仕事を深夜までやっていたときのことだ。
「なんで私ばっかりこんな目に!」「やりたくない!」という気持ちがおさえられなくて、先輩に電話をかけてブーブー文句を言う。そんな私に先輩は
「そういうときは、“人助けをしている自分すごい!”と思いながら心の中で“チャリーン”と言ってみ。頑張った分を心の中の架空の貯金箱に貯金をするの。やる気がでるから」と提案した。
「えーそんなことで何か変わるの?」と思ったが「チャリーン」と言った瞬間に、胸がスっとして、口からの文句がピタリと止まったのだった。
 
そうだ、貯金箱を買おう。
夫と一緒に「ネガティブ貯金」をしよう。
ネガティブな言葉を言ってしまったとき、その気持ちと一緒に小銭を貯金箱に入れるのだ
ネガティブな気持ちは「チャリーン」と言ってお金に変え、貯金箱の中で浄化させよう。
 
私はすぐにネットでかわいいミッフィーの貯金箱を買った。
突然貯金箱が届き、夫は面食らったようだった。
「貯金を始めるの? 原始的だね……」
「そう! これはネガティブ貯金箱! ネガティブな気持ちをお金に変えて貯金するの。」
?マークがいっぱいの夫に構わずわたしは続ける。
「よし、さっそく、あの仕事の後悔を貯金しよう!」
夫はここ数日、ある仕事での小さなミスを毎日のように後悔していた。「あのときもっと確認していれば。初めての取引先だったのに。昔ならこんなミスしないのに」と。
夫の財布から500円玉を「チャリーン!」とミッフィーちゃんに投入する。
「よし、これでもうあの話はおしまい! 次の仕事はこれでしっかり注意して同じミスをしないようになったよ。」
夫はあっけにとられたままだ。さらに説明を加える。
「こんな感じで、これから、ネガティブな気持ちになったら、この中にお金を入れよう。それでおしまい。お金が貯まったらおいしいものを食べに行こう」
夫は「わかった。うん、そうだね、あの仕事のことはもうこれで終わったことにするよ。次から気を付ければいいんだもんね。なんだか変な貯金箱だけどこういうの面白いかもね」
ああ、夫婦で笑い合えるってなんて素晴らしいのだろう。こんな簡単なことで私たちは久しぶりに無邪気に笑い合えたのだ。
 
今、貯金箱に貯まっているお金はそんなの多くはない。最初の500円プラス数百円ってところだ。
実は、私は心の中で何度かそれ以上に「チャリーン」と言っている。些細なことでイラっとしてしまったとき、お金を入れる前に心の中で「チャリーン」と言えば、気持ちがスっと軽くなる。それだけで不思議と思いやりの言葉をかけたり、たまにはふざけてボケてみたりもできるようになるのだ。のどに小骨のようにずっと詰まっていたひどい言葉たちもいつの間にか消えていた。「ネガティブ貯金箱」は、わたしの胸の中で未来に向かうポジティブな気持ちを貯金してくれている。
夫は私が笑っていれば安心するのだろう。ネガティブな言葉もごめんねの連呼も少なくなった。「ネガティブ貯金箱」に貯まったお金でおいしいご飯を食べに行く日は遠いかもしれない。
 
言葉は気持ちを支配する。
私の器は相変わらず小さいまま。どーんと構えられる強い人間にはなれていない。変わったのは少しの言葉だけだ。
だけど、ポジティブな言葉の中で暮らせればどんなことでも乗り越えられるエネルギーがわいてくる。病気に対する不安や恐怖は今でも夫の胸にこびりついているだろうけれど、何年も何十年もかけて少しずつ消化していければいいと思う。一緒に「チャリーン」と言いながら。
「ネガティブ貯金箱」が、病気に負けてしまいそうな夫婦の危機を救ってくれた。
 
 
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2017-11-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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