枯葉マークはないよなあ
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記事:岡尾哲兵(ライティング・ゼミ平日コース)
いつのまにか、木々の葉が色づいてきたと、思っていたらあっという間に冬がやってきてしまったようだ。ついこの間まで、真夏だったような気もするのだが、どうやら世間は冬のようである。
紅葉シーズンが終わりかけ、落ち葉が美しいというよりは見苦しくなってくると条件反射的に思い出してしまうことがある。一昔前まで、老人が車に貼っつけていた「枯葉マーク」である。初心者マークが若葉なのは、まあいいとして、高齢者が枯葉ってまずくないか……。と思っていたら、やはり評判が悪かったのか、最近はwindowsロゴもどきのような、高齢者サインに切り替わっているようだ。これは、「四つ葉マーク」と言うらしい。四つ葉のどこで高齢者を表現しているのかイマイチわからないうえに、枯葉マークに比べるとあまりインパクトがないので、高齢者サインだとしばらく気付かなかった。よく見ると「枯葉」的な路線を継承している部分もあるが、これだったら抜本的に路線変更してもよかったのではないだろうか。
そもそも、枯葉は老いているのだろうか?
枯葉をもたらす紅葉は、ざっくり言うと、木が冬に備えるための儀式のようなもので、冬眠に入るために体内(木内?)に栄養を蓄えるために行うものらしい。冬眠中は光合成をしないので、葉っぱは必要ないのだ。葉っぱという観点でみると、老いだという気もするが、木に焦点を当ててみると、動物における毛の生え変わり(動物の場合は冬に生えるので、逆な感じもするが)とか、人でいうところの衣替えとかに近そうである。なにより、年をまたげば、また生えてくるわけで、そのライフサイクルを高齢者にあてはめることもないのではないか、という気がする。
枯葉のイメージと高齢者を結びつけることに問題があると僕が考えている部分についてはなんとなくおわかりいただけたのではないかと思う。
ただ、枯葉のイメージと高齢者を結びつけるのはあまり良くないのではないか、という主張はしたが、当たっていない、連想できないと言っているわけではない。
むしろ、直観的にはよくわかる。枯れていくというイメージもそうだが、やはり、その寂しさであろう。
僕もそうだが、昭和生まれの人間の考える高齢者のイメージには、分かちがたく寂しさが含まれてしまうのかもしれない。特に、こういったマークを考案するのは、まだ高齢者ではない人間だろうから。
しかし、寿命がどんどん伸びて、健康寿命100年時代を迎えようとする今、高齢者に寂しいイメージを投影するのは、時代遅れなのではないか。特に、超高齢化社会のこの国では。
そこで僕が提案したいのが、「回」マークである。
なんのことかわからないと思うので、もちろん解説する。
回という字には、回転したり、物事が巡るようなイメージがあるので、高齢者が次の世代へ経験や知識を伝えたり、継承していく様を喚起できるはずだ。また、高齢者で持っている人はかなりの資産を持っているので、がんがんお金を使ってもらって文字通り日本経済を回していく役割も期待している。
「老い」のイメージは極力廃したいが、高齢であるということは、老いていて、さらに老いていく過程であることは間違いない。そこで、日本人には馴染み深いであろう、輪廻転生のイメージを借りて、生まれ変わる準備をしているという方向のポジティブな言い換えも「回」の文字に含めたいと思う。
と、いろいろと「回」について熱弁してきたが、僕がもっとも訴えたいのは、高齢者には健康なうちに人生を謳歌してもらいながらも、老いるということは、次の世代へのバトンタッチすることだと、ポジティブに考えてもらうように仕向けることができると素敵なのではないか、ということである。
このイメージの定着のためには、下の世代からの適切な尊敬も不可欠になるだろう。
昨今、高齢者のニュースには、「キレる高齢者」問題や、年金や社会保証の格差や資産を溜め込む老人と若者の貧困との対比など、いわゆる現役世代との分断をテーマにしたものが多くなっているように思う。北風と太陽の童話ではないが、心を開いてもらうには、こちらから心を開き、対話をする姿勢も必要になってくる。このような姿勢を持つことは、これから確実に高齢者への道を進んでいくことになる全ての世代が、自分自信を尊敬することにもつながるのではないか。
世代というのは「回」っていくのだということもこのマークによって刷り込めるのではないかと期待している。世代間格差や、それぞれの世代ごとにお互いのイメージをより良きものにしていくのはなかなか難しい課題である。高齢者だけでなく、若者やかつて若者だった世代にも「新人類」「キレる若者」「ゆとり」「さとり」など様々なレッテルが貼られてきた。
お互いのことを否定しあう前に、「枯葉」はないよなあ、くらいの姿勢で少しずつ訂正していくことが、お互いの理解への、割と近道だったりするのかもしれない。
というささやかな青年の主張でした。
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