メディアグランプリ

依存という不自由の中で自由を生きる


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:蒼山明記子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
しまった。
ケータイを忘れてしまった。
 
いつもの朝、いつものように足早に自宅を後にし電車に乗り込んでから、いつものようにケータイをカバンから取り出そうとして、家に置いてきたらしいことに気づいた。
 
どうしよう。
今日一日落ち着かない……。
 
今日一日も落ち着かないけれど、差し当たって今、この電車内での手持無沙汰をどうするか。
いつもならケータイを一度確認し何も連絡等がなければ、そのままケータイで時事ネタを閲覧するか持ち歩いている文庫本を読む。
ケータイがないとなると、文庫本を読むよりほかない。
いつもなら本を読むのも面白いのだけど、ケータイがないことが本を読む行為にも影響してどうにも落ち着かなく、時間があるなら家に戻りたい……なんて考えてしまう。
 
幸い、仕事でケータイを使うことはないし、約束もない日だったので良かったけれど、もしも約束があったなら動揺はこの程度では済まなかった。
大抵お店の名前などは記憶しておらずケータイで確認して行くので、どこに行けばいいのか分からないし、行けないことを連絡する手段も、すべて連絡先がケータイにあるわけだから、もう大変。打つ手なしで何もできない。パニックだ。
 
いつからこんなにケータイに依存してしまったんだろう……。
 
思えば私が初めて手にしたケータイはPHS、20代後半のことだった。
それまでケータイは一般的ではなかったので(何せ重いし大きいし高いし)、一般庶民の私どもは待ち合わせなどをする時は固定電話で事前に打ち合わせし、時間と場所を決めたものだった。
ちゃんと待ち合わせはできたのだ。
ケータイがなくても時間は潰せるし、コミュニケーションもとれたのだ。
 
でも今、世の中はケータイありきになっている。
以前、叔母がケータイを持っていない頃、外出中の叔母に急きょ連絡を取る必要があり、どこに出かけているかは分かっていたので、叔母がいるだろうカフェに電話をかけたことがあった。
そして、取り次いでもらえるよう頼んだ。
すると、なんと断られた。
お取り次ぎすることはできません、と。
びっくりした。
ケータイがなかった頃、待ち合わせに喫茶店を使うことも多くて、それは、もし遅れても座って待てるし、かなり遅くなるか急きょ行けないなんて時には、その喫茶店に電話をして取り次いでもらうこともできるという利点があったからで、その感覚が未だに私の中にあったため、取り次いでもらえないことに驚いてしまった。
 
たまたま、ここのカフェだけの話かもしれない。
でも、もしかしたら個人の名前を呼び出すことになるので、プライベートや個人情報に関わるということで、どこも取り次ぎしなくなっているのかもしれない。
そういえばあの頃は、個人情報という言葉もなかった。
課長の友人という人から電話があって、課長の自宅の電話番号を聞かれて教えたとしても、まったく問題がなかったくらいだ。
今なら大問題になるだろう。たとえ本当に友人の方だったとしても。
 
世の中の常識は、画期的な何かが生まれるとともに変わっていくのは自然の流れということなのかもしれない。
こういう時代なんだからケータイを持って、それで連絡を取り合えってことか……。
ケータイがない人はいないことになっているかのようだ。
 
何だか見慣れた風景が、知らないうちに徐々に変わってしまい、気づくとまったく違う風景になっていたような寂しさを、私は某脳科学者の、画像の一部が徐々に変化していき、どこが変化したかに気づく脳トレをぼんやりと思い出しながら感じていた。
取り次いでもらえなかったことに「アハ」だよ……。
 
PHSをはじめて持った時は確かに嬉しかった。
何か、自由を得たような気持ちだった。
どこにいても、自由に連絡が取りあえる。
誰かとつながれる。
 
でも、もしかしたら手にしたのは自由ではなく、むしろその逆だったのでは?
 
ケータイがない時代をのほほんと生きられていたはずなのに、手にした時からジワジワとケータイに蝕まれ、さまざまな記憶をすべてケータイに任せるようになり、ケータイを忘れた日にはこうしてプチパニックになる。
まるでケータイなしでは生きられないみたいだ。
 
いけない。
この依存度が怖い。
よーし、今日はケータイなしでも気にせず一日を過ごすぞ。
あ、でも急用の連絡が入っていたらどうしよう……。
いやいや、生死に関わるような連絡でもあるまいし。
逆にそんな連絡なら、会社に来るだろう。
身内には会社の連絡先は教えてある。
 
ケータイを忘れた。
たったこれだけのことで、これだけ自問自答になることに辟易し、そんなことをぐるぐると考えているうちに、気づくと電車は会社近くの駅に着いた。
 
下車して、近くのコンビニに立ち寄り、カバンから財布を取り出す。
ふと見ると、いつもとは違うポケットにケータイが鎮座していた。
 
あーー!
ここに……!!
 
レジ前で動揺するわけにはいかず、無表情のまま、この叫びは私の心の中でこだました。
ただ、動きが一瞬止まったので、店員さんが怪訝そうに見ているのを空気では感じたけれど。
 
コンビニを後にし、歩きながら、あんなに今日一日を依存せずに過ごすと決めていたはずなのに、こんなにも喜んでしまっている自分をちょっと恥じた。
でもこれで安心だ。
ケータイを忘れたことによる、いろいろな心配事から自由になり、依存という不自由を手にして、私はケータイを確認した。
 
依存という不自由。
考えてみれば、電気が止まれば、水道が止まれば、私たちはあっという間にパニックになる。
こんなにも自由に、そして一人でも生きていけるような仕組みの中で、何か一つ歯車が狂えば、一気に不自由になる時代を生きている。
分かっていても、もう手放しては生きていけない。
何だかタチの悪いオトコにでも引っかかったみたいじゃないか。
 
あぁでもとりあえず、今日は元気に過ごせそう。
アイラブiPhone。
 
私たちは今日も、仕組まれた自由の中で幸せにやり過ごすのだ。
不自由になることなど、まるでないかのように。
 
***

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2017-12-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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