プロフェッショナル・ゼミ

誰かの愛し方を教えてくれたのは、あの小さなイキモノだった《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:木佐美乃里(プロフェッショナル・ゼミ)

「わたし、誰でもいいから、次に出会った人と付き合うことにする」

それは、悲壮な決意だった。
聞いていた友人たちは、ついにそこまで来たかと深いため息をついていた。「あんたのしたいようにしたらいい」と口々に言ってはくれたけど、誰も本気で取り合ってはくれなかった。
でも、わたしは真剣だった。
これまでどのくらい遠回りしただろう。友達に頼んで、知り合いを紹介してもらったこともあった。もちろん合コンにも行ったし、遠くの街コンにも出かけた。でも、こちらがいいかなと思っても、音信不通になってしまったり、今度は逆に、過度に束縛しようとする人だったりと、ひとことで言えば、合う人がいなかった。国家試験に向けた勉強で忙しかったという言い訳もあるけれど、気がついたら、前の彼氏と別れてから、3年が経とうとしていた。
いつの間にそんなに時間が経っていたんだ! これではすぐに20代が終わってしまうじゃないか!
それでわたしは考えたのだ。こんなにうまくいかないのには、何かワケがあるに違いない。

そりゃあわたしは、胴長短足で、お世辞にも痩せているとはいえないし、目は一重で、わらうと線みたいに細くなって見えなくなるし、不必要におでこが広い。いまが平安時代なら、そこそこモテたかもしれないけれど、残念ながら、今は平成だ。間違っても美人じゃない。性格もネガティブでひねくれているし、優しくて癒し系の女子からは、ほど遠い。
だけれども! 世の中には、美人じゃなくたって、結婚して幸せな(少なくともそう見える)女性はたくさんいるだろう。はっきり言って、うらやましい。わたしだって、絶対そうなれないと決まったわけじゃないと思うのだ。
そして、1つの結論に至った。
きっと、わたしはこれまで条件を付けすぎたのだ。そんなに高望みをしていない、と言っていたけれど、そんなの嘘だ。本心では、誰からも、うらやましがられる恋人がほしかった。
でも、もうそれは全部やめだ。身長? 学歴? 収入? 顔面偏差値? そんなの、くそくらえだ。
わたしはすべての条件を捨てることにした。
誰にだって、いいところも欠点もある。それはわたしも一緒だ。ハラを決めれば、きっと愛せるに違いない。

「みのちゃんは、いつも考えることが極端すぎる」
看護学校でクラスメイトだった、3つ年上の広美ちゃんは、そういいながらも、幼馴染を通して、その後輩を紹介してくれた。
出会ったその人は、全然好みじゃなかった上に、まるで5歳の幼稚園児のようだった。
「僕はみのりちゃんが好き。みのりちゃんは僕が好き」だと、なぜだか信じているようなのだ。子どものような素直さで。まじか! ありえん! 脳内お花畑か! とわたしは思った。
それまでの乏しい経験なりに、わたしにとって、恋愛とは、すなわち駆け引きだった。どちらがより、相手の好きだという気持ちを引き出せるかというゲーム。こちらがあまり好きだと思わせてはいけない。気のないふりをして、相手の関心を引くのだ。それには戦略が必要だし、いつも気を張っていなければならなかった。そうしたゲームをしているうちに、相手に嫌われまいと、機嫌を常にうかがうようになって、しまいに疲れ果てて自滅するのが、いつものわたしのパターンだった。
それが、今度はなんだか勝手が違う。
彼は、それこそ砂遊びに夢中になる幼稚園児のように、放っておけば、一人でいつまでも楽しそうに遊んでいるのだ。たまには、「一緒にあそぼう」と言われるけれど、わたしが好き勝手に遊び回っていても、お構いなしだ。「楽しくてよかったね」と、ニコニコしている。わたしの関心をひくことだとか、恋愛のスリルみたいなことには、まるで興味がないようだった。
わたしはなんだか気が抜けて、そして許されているような安心感を覚えた。
「次に出会った人と、絶対付き合う!」と鼻息荒く言っていた自分が、あほらしく思えた。
そして、「ああこの感じ、何かに似ている」と、しばらく忘れていたはずの、高校生の頃に飼っていたハムスターを思い出した。

そのハムスターは、手乗りだった。
ハムスターといえば、ちょこまかちょこまかと動き回るのがふつうだろう。わたしは小学生に上がる頃から何匹かハムスターを飼ってきたが、みんな寝ている以外はいつもせわしなく動き回っていた。
けれど、その子は違うのだ。わたしの手のひらに乗ると、あるいは寝転んだわたしのおなかの上に乗ると、うっとりした顔をして、しまいには寝息を立てて眠り込んでしまうのだ。しかもそれは、家族の他のだれにでもするわけではなくて、わたしが撫でるときだけだった。
「ジジ」
と名前を呼ぶと、寝ていた小屋から飛び出してきて、わたしの手の上でまた眠る。
可愛くないわけがない。ああ、可愛すぎておかしくなりそう!
一時期「ネコ吸い」といって、猫が好きなあまりに、猫に顔をうずめて吸い込む人たちが話題になったことがあったが、わたしも全く同じことをやっていた。
「ジジはかわいいねえ。もう食べちゃいたいくらいかわいい」といって、
背中や頭に口をつけて大きく息を吸い込むのだ。はじめは「不衛生だし、バカらしいことはやめなさい」と言っていた家族も、わたしが何度言われてもやめないので、そのうち呆れて何も言わなくなった。ジジはわたしに吸い込まれても、気持ちよさそうに目を細めるだけで、いつでもじっとされるがままになっていた。なんて可愛いジジ。

そんな日々は、でもいつまでもは続かない。ジジが我が家にやってきてから、3年近くが経っていた。
ある日、夜遅く予備校から帰ってきて、いつものようにジジの小屋をのぞき込むと、片目が真っ赤に腫れ上がったジジがいた。
「母さん! ジジが!」
わたしの悲鳴のような声に、母もすぐに飛んできてのぞき込んだ。
「大丈夫だよ、きっと治るよ。明日になったら病院に連れて行こう……」
そう言う母の声は震えていた。わたしは、小さくうなずいたけれど、本当はわたしにも、母にも分かっていた。これまでも、何匹もハムスターを飼ってきた。その子たちの最期の様子が脳裏をよぎる。きっと、ジジのこの小さな身体では、一晩は越せない。もう3歳だ。昔に比べて体力も落ちた。もし、病院にいって治療ができたとしても、こんなに小さなジジをそんな怖い目に合わせられない。想像だってしたくない。
「きっと大丈夫、大丈夫」と繰り返しながらも、にじんでくる涙を何度も袖でぬぐった。
その晩は、自分の部屋ではなくて、ジジのケージが置いてあるリビングに布団を敷いた。本当はずっと撫でていたかったけれど、それもいまのジジには苦しいことかもしれない。もしジジが小屋から出てきたら、すぐにわたしが見つけられるように、布団をぴったりにくっつけた。ひまわりの種が散らばったケージは、いつもは臭いと思うのに、その時は何とも思わなかった。

……いつの間に眠ってしまったんだろう。
はっと目を覚ますと、ジジはもう硬く冷たくなっていた。
予想していたはずのことなのに、やっぱり涙が止まらなかった。
なんにもしてやれなかった。ジジは、あんなにたくさん、あったかい気持ちをくれたのに。
いつでも呼べばすぐに顔をのぞかせて、そばにいてくれたのに。

「ジジはわたしが好きだもんね。わたしもジジが大好きだよ」
いつもいつも言っていた。
実はもともとジジは、わたしが自分で望んで飼い始めたわけじゃなかった。
父親がなにかの気まぐれで、受験を控えてぴりぴりしているわたしの気分転換になるようにとでも思ったのだろう、誰にも相談せずに、急に連れて帰ってきたのだった。
他の子たちと比べて、どうしてもキミがいい、と我が家にやってきたわけじゃなかった。なのに、いつのまにか、そんなにまで特別な存在になっていた。
それに、別に、ハムスターなんて、具体的な何かをしてくれるわけじゃないのだ。
ただ、そこにいるだけ。エサも水もあげなくちゃいけないし、ときどきはケージの掃除だってしないといけない。だけど、毎日そこにいてくれるだけで、背中を撫でさせてくれるだけで、わたしはいつだって元気をもらえたのだった。
何より、どれだけ「大好き」って、「愛してる」って思ってもいいし、言ってもいいこと。ジジはわたしの思いを、ハムスターだから当たり前かもしれないけど、いつだってじっと黙って受け止めてくれていた。自分のなかに、こんなにも「大好き」って気持ちがあること、ジジが教えてくれたのだった。

だけど、きっとあまりにつらすぎて、そんなことの全部を、すっかり忘れていた。
あの人に会うまでは。
いつでもコロコロと楽しそうに笑っていて、わたしが「好き」なんて言っても、ちっとも動じないあの人は、ジジのことを大好きだった、あの頃の自分を思い出させた。
はっきり言って、いまや夫になったその人は、何にもしてくれない。ご機嫌にポテトチップスをつまんでゲームをしながら、わたしの話も半分くらいしか聞いていないで、ただ「美乃里なら、できるよ」と笑っているだけだ。なのに、なんでこんなに元気が出るんだろう。
わたしがアンパンマンなら、夫はジャムおじさんだな、と時々思う。アンパンマンであるところのわたしは、敵とまではいかないけれど、ツワモノの女性ばかりの職場で、毎日へとへとになりながら闘っている。たまにバイキンマンのパンチをくらって、「力が出ない……」としょぼくれる。でもそこに、夫というジャムおじさんがあらわれて、「アンパンマン、新しい顔だよ!」とエールをくれれば、不思議と「元気百倍!」とまた飛び出していけるのだ。ジャムおじさんにはジャムおじさんの、せっせとパンを焼く大変さがあると思うけれど、おじさんは黙ってニコニコしながらパンを焼き続けているようだ。夫はわたしを、か弱いお姫様にはしてくれなかったけれど、いつでもヒーローにしてくれる。

ところで、わたしはいろんな条件を捨てて、「誰でもいい」と思ったときに、運よく夫と出会えたわけだけれど、夫のほうはどうだったんだろう。平凡を絵に描いたようなわたしに、そんなに魅力があったとも思えない。
「俺、これにする」
「え、もう決めたの? もうちょっと他のお店も見てみたら? お店のなかにだって、他にもいろいろあるんだよ?」
「いいよ。これにする。別に変じゃないでしょ?」
「もちろん、変じゃないけどさ……」
夫は買い物が早い。服を買いに行くと、15秒くらいで決まる。最初に目についたものをすぐに買うのだ。そして、吟味したわけでもないのに、よほどのことがない限り、それがクタクタになるまで愛用する。靴を捨てるのは、底に穴が開いて履けなくなるときだ。
「この人、わたしのことも、Tシャツと一緒だと思っているな……。なんとなくまあいいか、と思って、とくべつ別れたい理由もないから、ずっと一緒にいるだけなのでは……」と、何度いぶかったことだろう。本当のところ、今でもあやしく思っているのだけれど。

わたしたちは、お互いに、条件をつけて、吟味に吟味を重ねて結びついた二人ではない。
お互いに「だいたい誰でもいい」と思っていた二人だ。だけど一緒にいるうちに、あの頃のジジみたいに、いつしかかけがえのない存在になっていく。特別すてきじゃないけれど、一緒にいるだけで、元気をもらえるひと。そんなのもありかもしれない。
わたしは、夫のこと、あの頃のジジと同じくらい大切に思えているだろうか。
恥ずかしくて、あんなにストレートには、愛の告白はできていないけれど。
いつか夫に、「俺のこと、どれくらい好き?」と聞かれたら、
「そのへんのハムスターくらい」と答えてやろうと、いまは思っている。

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