千羽鶴を折るように《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:上田光俊(プロフェッショナル・ゼミ)
「入院ですか!?」
もうそろそろかな。
きっと、もうすぐ産まれるはずだ。
とても元気な女の子。
そこにいるだけで周りを明るく照らすことのできる元気な赤ちゃんが、もうすぐ産まれてくる。
もしかしたら、もうすでに産まれているかもしれない。
元気な産声をあげているのかもしれない。
きっと今頃、そこにいる人たちを笑顔にしているんだろうな。
みんな喜んでいるんだろうな。
楽しみだな。
早く会いたいな。
どんな女の子なんだろう。
どんな名前がいいかな。
たくさん笑ってくれるかな。
抱っこしたら、きっと泣かれちゃうね。
やっぱり抱っこはお母さんじゃないとダメだろうね。
仕方がないから、しばらくは遠くから見ていることにするよ。
でも、いつかは慣れてきた時でいいから、抱っこさせてね。
たくさん泣いていいから、それ以上にたくさん笑ってね。
「まだかな……」
僕は出張で名古屋に来ていた。
出張先のホテルで、一人連絡を待っている。
もうすぐ、会社の同僚に二人目の赤ちゃんが産まれるのだ。
お腹の中にいる赤ちゃんは女の子らしい。
きっと、同僚に似て、とても元気な女の子なんだろうなと思う。
僕は、同僚に二人目の赤ちゃんが産まれてくることをとても楽しみにしていた。
そして、おそらく今日、その赤ちゃんが産まれそうだという連絡を、会社にいる他の同僚たちからもらっていた。
その同僚が、出張の予定を早めに切り上げて、そのまま病院に向かうという連絡を会社に入れていたからだ。
僕たち営業マンは、毎週のように全国に出張に出ている。
担当地区によって頻度は違うが、大体月の半分近くは営業で得意先回りをしているため、なかなか家に帰ることができない。
その日も、僕は週初めから出張に出ていて、そのまま得意先回りを続けていた。
ちょうど、僕がその日の仕事を終えてホテルにチェックインした直後に、今日産まれるかもしれないという連絡が僕の携帯に入ったのだ。
僕は期待に胸を膨らませた。
いよいよか……。
もうすぐ産まれてくるんだな……。
こうなったら、嬉しい知らせが来る前に残りの仕事をさっさと片付けてしまおう。
僕はホテルの部屋に入って、早速事務仕事に取り掛かった。
早く終わらせたからといって、どうなるものでもなかったが、今日中にやらなければならない報告書や経費請求、注文書等の伝票作成を急いで終えて、それらをメールで会社に送信した。
あとは、無事に産まれましたという連絡を待つだけだった。
もしかしたら、かなりの難産で、明日にならないとその連絡をもらうことはできないかもしれない。
でも、僕は同僚のところに産まれてくる元気な女の子を想像しては、一人ホテルの部屋で落ち着きなくそわそわしていた。
自分のことではなかったが、居ても立っても居られなかったのだ。
実は、まだ誰にも言っていなかったのだが、僕たち夫婦の間にも待望の赤ちゃんができたのだ。
つい先日、妻に妊娠したということがわかったばかりだった。
結婚して四年。
それほど焦っていたわけではなかったが、僕たちの間にはなかなか赤ちゃんができなかった。
だからこそ、妻から直接赤ちゃんができたと聞いた時はとても嬉しかったし、同僚のところにもうすぐ産まれてくる赤ちゃんのことも、僕にはどうしても他人事とは思えなかったのだ。
僕は、まだ生まれてはいない自分たちの赤ちゃんのことを、もうすぐ産まれてくる同僚の赤ちゃんと重ね合わせていたのかもしれない。
まるで、自分たちのところに産まれてくる赤ちゃんのような気持ちで、心待ちにしていたのだ。
「今日のところはもう寝るか……」
結局、その日のうちに「無事に産まれました」という連絡は来なかった。
出産が長引いているのかもしれない。
無事に産まれていたとしても、もう深夜だったので連絡は明日にするつもりなのかもしれないと思った。
どちらにせよ、とりあえず明日には本人から連絡があることだろうから、僕は何の心配もせず、その日は眠ることにした。
「まだ連絡ないんですか?」
僕は翌日もそのまま出張先で得意先回りを続けていた。
同僚から僕のところに連絡はなかったが、仕事中だからということで気を使っているのかもしれない。
たぶん大丈夫だろうと、僕は自分から連絡することなく仕事を続けた。
正午を過ぎた頃だっただろうか。
僕は昼食を摂るため、名古屋駅構内にあるきし麺屋さんに入ろうとしていた時のことだった。
会社から僕の携帯に連絡が入った。
やっときたかと思った。
やっと無事に産まれましたという連絡がきたかと思ったのだが、実際は違っていた。
「販売員さんから会社の方に、商品の在庫に関する問い合わせがあったので、至急連絡して下さい」
仕事の電話だった。
仕事中だから当たり前だ。
僕は、折り返しどこにかけたらいいか、電話番号を確認しながら、気になっていたことを聞いてみた。
「それはそうと、産まれたっていう連絡ありました?」
僕はてっきり、
「ああ、ありましよ! 無事に産まれましたって! 元気な女の子だって嬉しそうに話していましたよ!」
そんな風に返ってくるものとばかりと思っていたのだが、返ってきた言葉は全く予想外のものだった。
「それがね、まだないんですよね……」
おかしい……。
なんだか、嫌な予感がする。
何かあったんだろうか……。
どんなに遅くても、もうそろそろ連絡があってもおかしくない。
たとえ、思った以上に難産だったとしても、一度くらいは会社の方に連絡を入れてもよさそうなものだ。
それがない……。
何が起きているのだろうか……。
僕は一気に不安になった。
そして、僕の不安は見事に的中してしまっていた。
「専門の設備がある病院に救急搬送されたみたいです」
会社からはそう聞かされた。
詳しいことは全くわからない。
同僚とは、営業部長が主に連絡を取っているようだった。
営業部長の話しによると、どうやら、陣痛がきて産婦人科医院に着いてから、産まれることには産まれたのだが、胎児に何かしらの問題があって、そのまま専門的な設備のある病院に搬送されたようだった。
幸い母体には何の問題もなかったため、同僚の奥さんはそのままその産婦人科医院で治療を受けることになり、産まれたばかりの赤ちゃんと同僚は、大阪にある専門的な設備が整っている病院まで搬送されて一緒に行くことになったと聞かされた。
それもあまり容態が良くないらしい。
もし、無事だったとしても、後遺症が残る可能性が高いという。
まさか、そんな……。
どうしてそんなことに……。
大変なことになったと思った。
嘘であって欲しかった。
僕たちの間にできた待望の赤ちゃんと同じくらい、その誕生を心待ちにしていた同僚の赤ちゃんが、まさかこんなことになるなんて……。
僕は、名古屋のホテルで、誕生の連絡を待っていた時とは違った意味で、居ても立っても居られなくなっていた。
何かできることはないだろか。
力になれることはないだろか。
しかし、いくら考えたところで、僕たちにできることは何もなかった。
僕たちには、同僚の赤ちゃんが何事もなく無事に退院できることを祈ること以外にやれることは何もなさそうだった。
「お前、代わりに出張行ってくれるか?」
翌週になっても事態は何も変わらなかった。
相変わらず、同僚はその病院に付きっきりになっているようで、まだ出社することができないという状態が続いていた。
そんな状態だったので、営業部長から同僚の代役として、僕に出張に行くよう指示があった。
ずっと病院にいるということで、あまりこちらから連絡するのも迷惑だろうと思い、メールをいれることですら控えていたのだが、どんな様子なのか気になっていた僕は、仕事の指示があったついでに営業部長に、それとなく今どんな状態かを聞いてみた。
「それがな、相変わらずみたいでな。本人は落ち着いてきたみたいなんやけど、産まれた直後に電話してきた時は、後遺症が残るかもしれないんですって、かなり取り乱しててな。あいつ、泣いてたわ」
僕は驚いた。
いつもは明るく元気で、社内のムードメーカーのような存在だった同僚が、泣くほどに取り乱していたとは……。
しかし、考えてみれば当然のことだった。
産まれたばかりの自分たちの赤ちゃんの容態があまり良くなかったのだ。
取り乱して当然だろう。
涙を流してしまうのも無理はない。
僕は改めて、何かできることはないかと考えた。
仕事のことだったら、いくらでもフォローするつもりでいた。
でも、それ以上に何かしたいと思った。
力になりたいと思った。
同僚のところに産まれてきた赤ちゃんのために、少しでも僕たちに何かできることはないのだろうかと。
僕は代役として行った出張先のホテルで、色々と考えた。
考えに考え抜いた。
そして、ある事を思い付いた。
「千羽鶴でも折ってみるか……」
具体的に何か力になれるようなことではなく、赤ちゃんの無事を祈るということと、同程度のことしか思い付けなかった自分が情けないとも思ったが、実際に僕にはそれくらいのことしかできなかったし、それでもいいからやってみようと思った。
早速、出張を終えて帰宅した僕は、妻に、同僚のために千羽鶴を折ってみることを提案してみた。
バカにされるかなと思った。
呆れられるかなとも思った。
仕方がない。
バカにされても呆れられても、もうそれでもいい。
何もやらないよりは、よっぽどましだ。
僕はとにかく、彼らのために何かをせずにはいられなかったのだ。
その事を話してみると、意外にも妻は僕の提案に快く乗ってくれた。
「よし! じゃあ、とりあえずやってみよう!」
それから僕たちは、折り紙を千枚以上購入してきて、ひたすら折り鶴を折り続けるという日々が始まった。
平日はお互いに仕事があったから、折り鶴を折るのは帰宅してからになった。
休日は、予定がない日はできるだけ折り鶴を折ることに時間を充てた。
千羽鶴といっても、二人でやれば何とかなる!
そう思っていた。
できるだけ早く千羽鶴を完成させて、同僚に届けよう。
いや、今も病院で必死に頑張っている赤ちゃんのところに届けなければ。
そう意気込んでいたのだが……。
僕は千羽鶴を舐めていた。
舐め切っていた。
千羽鶴を完成させるということはそんなに生半可なことではなかった。
折り鶴を千羽も折るということは、想像していた以上にハードな作業だった。
あまりにたくさん折り過ぎて、折り鶴が脳内でゲシュタルト崩壊を起こしそうになったこともある。
折っても、折っても、千羽にはなかなか届かない。
一日五十羽ずつ折ったとしても、完成までには二十日間もかかってしまう。
だったら、一日百羽を最低ノルマにしてみようか……。
いや、それでも、十日もかかるじゃないか……。
僕は焦っていた。
気持ちばかりが急いていた。
できるだけ早く彼らに届けたい。
早く届けないと、もし万が一にでも同僚の赤ちゃんに、もしものことでもあったら……。
そう思うと、ますます気持ちばかりが先走りして完成を急いでしまう。
千羽鶴を完成させることと、赤ちゃんの容態には何の関係もないということは頭ではわかっていたのだが、どうしてもその二つを結び付けて考えてしまっていた。
僕は必死だった。
なんとか早く完成まで漕ぎつけたい。
僕は折った。
ひたすら折った。
折り続けた。
どうか、赤ちゃんが無事でありますようにとの思いを込めながら。
そして、僕たちはとうとう千羽鶴を完成させることができた。
折り始めてから、すでに十日が過ぎていた。
「ちょっと渡したいものがあるんだけど……」
僕たちは、完成した千羽鶴を持って、同僚の自宅がある最寄り駅まで来ていた。
久しぶりに連絡してみると、今はちょうど自宅にいるという。
久しぶりに見る同僚は意外にも元気そうだった。
何かを吹っ切ったようなスッキリとした表情をしている。
自宅と病院の往復で、さぞかし疲れていることだろうと思っていたから、僕は余計に安心した。
「忙しいところゴメンな。これ、迷惑かもしれないんだけど、二人で千羽鶴折ってみたんだ。赤ちゃん、早く退院できるといいんだけど……」
そう言って、二人で十日間かかって完成させた千羽鶴を同僚に渡そうとした。
すると、同僚は心底驚いた顔をして、
「えっ!? ほんまに!?」
と言った後、言葉を失くしてしまったようだった。
しばらく、その千羽鶴を見つめ続けた後、同僚の口から出てきた言葉に、今度は僕たち二人が言葉を失うことになった。
「ありがとう! ほんまにありがとう! 嬉しいわ。ただな、もう退院してんねん」
……もう退院している……?
もう退院している……。
もう退院している!
赤ちゃんはもう退院していた。
わざわざ千羽鶴折ったのに……。
一生懸命折ったのに……。
こんな大変な思いまでして千羽鶴を折らなくてもよかったんじゃないか?
僕は一瞬、自分がとんでもなく間抜けなことをしてしまったような気分になっていた。
でも、とにかく無事だったんだ!
良かった!
本当に良かった!
僕は自分がどれだけ間抜けな男であっても、本当に良かったと思った。
こんなに嬉しいと思ったのは、久しぶりだった。
僕は、まるで自分のことのように嬉しかった。
同僚の話しによると、三日ほど前に無事に退院することができて、今は奥さんと子供たちと一緒に家にいるようだった。
後遺症のことは何とも言えないが、とりあえずはもう大丈夫ということだった。
「そ、そうか……。それは良かった。無事に退院できて本当に良かったな」
その場ではそう言ってから、同僚とは別れた。
「せっかく頑張って千羽鶴折ったけど、間に合わなかったね。でも、赤ちゃん無事みたいで良かったね」
自宅までの帰り道、妻は僕にそう言った。
「うん、とりあえず良かった。本当に良かった」
僕はそう言ってから、今度は自分たちの番だなと一人心の中で呟いた。
千羽鶴を折っていたこの十日間、僕たちは同僚の赤ちゃんの無事だけを祈っていた。
でも、今度は自分たちの番だと思った。
自分たちの赤ちゃんが無事に産まれてきてくれることだけを祈る番だ。
たしかに、今回、千羽鶴は間に合わなかったけれど、それは決して無駄じゃなかったと思う。
今度は自分たちの赤ちゃんが産まれてくるまでの間、僕は赤ちゃんの無事を祈りながら過ごしていきたいと思った。
同僚の赤ちゃんの無事を祈って折った、あの千羽鶴を折るように。
あれから7年が経ち、僕が会社を辞めてから、その同僚と会うことはなくなった。
でも、僕は時々思い出す。
「あの子は元気にしているかな?」
うちの長女と同級生。
きっと元気にしているよね。
君と同級生のうちの長女は、とても元気です。
毎日、よく泣くけれど、それ以上によく笑っています。
君もそうだったら嬉しいな。
たくさん泣いてもいいから、それ以上にたくさん笑ってね。
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