プロフェッショナル・ゼミ

とても小さな敏腕コンシェルジュ《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:上田光俊(プロフェッショナル・ゼミ)

「まだ産まれてきたらダメだからね……」
もしかしたらもう無理かもしれない。
妊娠36週を過ぎた辺りから、お腹が張ることが多くなってきていた。
ただでさえ、病院からは妊娠36週を過ぎたら、いつ産まれてきてもおかしくはないと告げられていたのだ。
妊娠36週を過ぎる頃といえば、臨月だ。
そして、今は妊娠38週目に入っている。
出産予定日まであと10日と迫っていた。
もしかしたら、今日産まれてきてしまう可能性だって十分に考えられた。
僕たちにとっての3人目の赤ちゃんが。
「お腹の調子はどう?」
「今のところ、まだ大丈夫……」
「今日、行ける?」
「たぶん……」
「あともう少しだけ待っててね、まだ出てきたらダメだよ」
僕は、妻のお腹にいる赤ちゃんに向かってそう話しかけた。
まだだ。
まだ産まれてきたらダメなんだ。
今日だけは……。
なんとしてでも今日だけは持ちこたえてもらわないと困る。
今日を過ぎたら、もういつ産まれてきてくれてもいいから、今日だけはまだお腹の中でじっとしていてもらわないと困るんだ。
頼むよ。
よろしくお願いします……。
僕たち夫婦には、お腹の中にいる赤ちゃんにどうしてもまだ産まれてきて欲しくはない明確な理由があったのだ。

だって今日は、長女が通う幼稚園の運動会がある日なんだから!

今日は、4歳になる長女にとって初めての運動会で、それは僕たち夫婦にとっても同じことだった。
僕たちは、どうしても長女の初めての運動会を見に行きたかったのだ。
これがもし、何かの間違いで、今日運動会が終わるまでに陣痛がきて病院に行かなければならないような事態になってしまったら、長女の運動会を最後まで見届けてやることができなくなってしまう。
それは困る。
それだけは困る。
甚だ困る。
なんとか今日まで持ちこたえてきたのだから。
必死に耐えてきたのだから。
頼むから、今日だけは乗り切ってくれ。
今日の運動会が終わるまでは。
いや、運動会が終わって、すぐに陣痛がきてしまっても困るから、少なくとも帰宅してからにしてもらえるとありがたい。
できることなら、夕食を食べて、お風呂に入って、何だったら入院の準備とか、そういう諸々のことまで全部できて、ゆっくりお茶でも飲んでくつろいでいる時にでもしてもらえるとさらにありがたい。
わかっている。
随分と自分たちにとって都合の良いことばかり言っていることはよくわかっている。
それは、心得ているつもりだ。
でも、これだけは……。
運動会が終わるまでに産まれてきてしまうということだけは、なんとか避けたいのです!
それだけは、くれぐれもよろしく頼むよ。
「この通りです!」
そう言って、僕は妻のお腹に向かって合掌した。

最初の妊娠は妻が36歳の時だった。
世間的に言えば高齢出産ということになる。
高齢出産で初産ということになると、色々とリスクが伴うと病院からは聞いていた。
しかし、結婚して4年目にしてやっと授かった新しい命だ。
僕たち夫婦にしてみれば、ずっと待ち望んでいた赤ちゃんだったから、たとえリスクがあると聞かされても、産むということに何の迷いも生じなかった。
「順調に育ってきていますよ」
妻のお腹の中に宿った小さな命は、妊娠初期から安定期を過ぎ、もうそろそろ後期に差し掛かろうとしていた頃まで何の問題もなく順調に育っていた。
そう。
お腹の子には何の問題もない。
問題があるのは、妻の身体の方だった。
「ああ、子宮口が開いてきていますね……」
病院からはそう告げられた。
妊娠30週を過ぎた辺りから、通常だったら、まだ開いてくることのない子宮口が開いてきてしまっていたのだ。
子宮口が開いてきてしまうということは、早産のリスクが高くなるということだ。
当初、病院から聞かされていたようなリスクはほとんど生じなかったというのに、もうすぐ臨月を迎えるという段階になって予期せぬ事態になってしまった。
普通なら、出産する時まで子宮口が開いてきてしまうということはない。
臨月と呼ばれる妊娠36週を過ぎた辺りでも、ほとんど開くことはないそうだ。
それが、妻の場合は臨月を迎えるまでもなく、30週を過ぎた段階で開いてきてしまっているというのだ。
「とにかく、臨月を迎える36週までは、絶対安静にしていて下さいね。必要以上に動いたりしたらダメですよ。産まれてきちゃいますからね」
そう病院からは釘を刺された。
それからというもの、妻の負担が少しでも軽くなるように、僕はできるだけ仕事を早く切り上げて帰宅するように心掛けた。
妻が今までやってくれていた洗い物や洗濯、毎日の水回りの掃除なんかも僕がやるようになった。
それもこれも、妻が必要以上に動かないでいいようにするためだった。
妻には安静にしていてもらわなければならない。
早産になってもらっては困る。
僕は、少なくとも妻が臨月を迎えるまで、もしくは出産を迎える時までは、それを続けるつもりでいた。
そのかいあって、なんとか妊娠36週を過ぎる臨月までは何事もなく過ごすことができたのだ。
そして、無事出産。
9月20日の夕方頃から陣痛が来て、そのまま病院に行き、9月21日の深夜に出産するに至った。
予定日は9月末だった。
10日前に陣痛が来て、翌日の深夜に出産したので、予定日よりは9日早かったという計算になる。

ただの偶然かもしれないが、この数字は2人目の長男の時にもピタリと当てはまることになった。

長女の時と同じように、妊娠30週を過ぎた頃から子宮口が開いてきていると病院から告げられ、できるだけ安静にしているようにとの指示があった。
出産予定日は9月21日。
10日前の9月11日頃から妻は異変を感じはじめ、翌日定期健診日だったので病院に行くと、そのまま入院することになり、その日の21時過ぎ頃に無事出産。
予定日よりも9日早い出産だった。
出産予定日より10日前に何かが起こり、9日前に出産に至る。
今、妻のお腹の中にいる3人目の赤ちゃんの出産予定日は10月29日。
長女が通う幼稚園の運動会の日程は10月19日。
つまり、運動会がある今日という日は予定日よりも10日前ということになる。
二度あることは三度ある。
昔の人はうまいことを言ったものだ。
もし、二度あることは三度あるということが本当に起こりうるのだとしたら、今日、10月19日に何かが起こり、翌日の10月20日には無事に赤ちゃんが産まれるという運びになる。
このままいけば、妻は長女の運動会中に身体に何らかの異変を感じはじめ、早ければ陣痛がきてしまうことになるかもしれない。
出産自体は翌日の10月20日になるかもしれないとはいえ、今日という日に、何かが起こることは避けられないような気がしていた。
それは僕だけではなかったと思う。
妻は勿論のこと、僕や妻の両親、それに病院側だってそう感じていたに違いない。
しかも、今回も長女や長男の時と同じように、妊娠30週を過ぎた辺りから、子宮口が開いてきていると告げられていたのだ。

条件は整っている……。
これ以上にないくらい整っている……。
整い過ぎている……。
間違いない!
今日、妻の身体に何らかのアクションが起こるはずだ!

僕は確信した。
おそらく、いや間違いなく、今日陣痛が始まり、明日になれば赤ちゃんが産まれてくることになるに違いない!
そう確信していたからこそ、長女の運動会が終わるまでは、お腹の中にいる赤ちゃんには、なんとか持ちこたえてもらいたいと強く願うことになったのである。

朝、出掛ける前の段階では、今のところ、妻の身体には何の異変も起きていないようだった。
自宅から幼稚園までは、自転車だったら10分もかからない。
歩いていけば15分程度で着いてしまう。
しかし、今日に限っては、自転車はおろか徒歩もダメだ。
よし、タクシーで行こう。
それがいい。
距離が近い! と言ってタクシーの運転手さんに文句を言われることくらいどうでもいい。
若干、不満そうな顔をされるかもしれないとは思ったが、実際にそんなことをされることも言われることもなく、無事に幼稚園まで到着したから、とても助かった。
タクシーの運転手さん、どうもありがとう。

園内に入ると、幼稚園の先生たちや役員をされている保護者の人たちが運動会の準備やら何やらで、とても忙しそうにしていた。
僕たちは、担任の先生や他の関係者の人たちに挨拶を済ませると、何かあった時にはすぐに動けるよう、園の入り口に近い場所に陣取った。
最前列に陣取ってしまうと、なかなか思うように動けそうにはなかったから、若干見にくい場所ではあったが仕方がない。
運動会のスタートは10時。
まず、開会式から始まって、年長組さんの代表による選手宣誓。
それから、園児全員による準備体操から、各学年による種目に入っていった。
年少組である長女が出る種目は、保護者同伴によるリレー競争と、年少組全員によるダンスだった。
長女の初めての運動会ということで、その雄姿を撮影しようと、僕たちはビデオカメラと一眼レフカメラを持ってきていた。
保護者同伴リレーは自動的に僕が出ることになるから、その間は妻と離れることになってしまう。
そのタイミングで、もしものことがあったら困るので、妻の両親に付き添ってもらい、その時の撮影もお願いしていた。

運動会のプログラムは順調に滞りなく進んでいく。
正午を過ぎた辺りでも、妻の身体には何の異変も起きていない。
ましてや陣痛が始まる気配は全くない様子だった。
しかし、安心はできない。
今日は出産予定日の10日前なのだ。
いつ何が起こってもおかしくはない。
運動会が終わるまでは、絶対に気を抜けない状況は続くのだ。
そして、14時。
年少組の長女のダンス種目も終わり、その姿をしっかりとカメラに収めた後、運動会の閉会式が始まった。
これで運動会の全てのプログラムが終わる。
あと少し。
あともう少しだけもってくれ。
僕は、心の底から妻のお腹の中にいる赤ちゃんにそう願っていた。
もうすぐ産まれてくるであろう彼女は、僕のそのリクエストをどうやら聞き入れてくれたようだった。

「なんとか持ちこたえたね」
無事に運動会も終わって、僕たち家族は妻の実家に来ていた。
とりあえず、運動会中に陣痛がくることもなく、こうして全員で帰宅できたことが、何よりもほっとできた瞬間だった。
もういつ産まれてきてくれてもかまわない。
できれば、夕食を食べて、お風呂に入って、何だったら入院の準備とか、そういう諸々のことまで全部できて、ゆっくりお茶でも飲んでくつろいでいる頃合いを見計らって陣痛が来てくれるととてもありがたいのだけれど。
自分たちの都合ばかり言って申し訳ないのだけど、ここまで「もう産まれてくるぞ!」というテンションになってしまっているから、できることなら、もうそろそろ産まれてくる準備をしてくれるととても嬉しいです。
君に早く会いたいしね。
お礼も言わなきゃいけないし。
お姉ちゃんの運動会が終わるまで、お母さんのお腹の中で待っていてくれて本当にありがとう。

「あ、きたかも……」
夕食を終えて、しばらくリビングでくつろいでいた時のことだった。
妻が、僕の隣でそう呟いたのだ。
まさかと思った。
まさか本当に今日産まれてくるのかと。
たしかにそうなって欲しいとは思ったけれど。
実際に確信もあったけれど。
本当に今日産まれてくるの?
僕は信じられなかった。
そうなるかもしれないと思っていたことが、実際に、今目の前で起きている。
僕は、何もかもが出来過ぎているかのように感じていた。
本当に妻の身体に異変が起こり始めたのだ。
ついに妻のお腹から微弱な痛みが出始めたようなのだ。
初めは数十分置きに痛みがきていたようだったが、その間隔は徐々に短くなってきていた。
このままいけば、その痛みはどんどん大きくなっていくに違いない。
長女と長男の出産の時を思い返してみると、妻の場合、陣痛が来て分娩室に入ったら、産まれてくるまでの時間はとても早いであろうということは容易に想像できた。
長女の時は、初産であったにもかかわらず、分娩室に入ってから約1時間半で出産に至った。
長男の時は、約1時間だった。
確実に出産までの時間を縮めてきている妻のことだ。
今回も早くなることは間違いない。
こうなったら、急いで病院に連絡して、入院する手続きを取らなければならない。
妻には病院に連絡してもらって、今どんな状態なのかを説明してから、一緒に病院に向かうことにした。
幸い、入院するための準備はできていたから、特別に何かを慌てて用意する必要はなかった。
妻が初めに痛みを感じ始めてから、しばらくはその痛みの間隔を測りつつ様子をみた。
それから病院に連絡をしたのが22時半頃。
妻の実家からタクシーに乗って、病院に着いたのが23時過ぎだった。
病院に着いてから診察を受けて、分娩室に入ったのが23時半頃。
僕も出産に立ち会った。
「うぅぅ……」
今まで、2回出産に立ち会ったが、何度立ち会っても分娩室内は異様な空間だった。
「ひぃ、ひぃ、ふぅぅ……」
妻はラマーズ法と呼ばれる出産時特有の呼吸法を繰り返していた。
「まだ、いきんじゃダメですよー」
大きな痛みがくると、どうしてもいきんでしまうようで、医者からは何度もそう言われていた。
妻は、その度にラマーズ法を繰り返した。
「もう出てくるよー。頭出てきてるよー」
「オギャー!」
次の瞬間、出産に立ち会う度に耳にしてきた、産まれたての赤ちゃんの鳴き声が僕の耳に飛び込んできた。
僕たちにとっては、3人目となる女の子の赤ちゃんが産まれた瞬間だった。
その小さくて新しい命が誕生したのは、実に、日付が変わった0時8分だった。
僕は、新しい命の誕生に感動すると共に、赤ちゃんに対してこうも思った。

なんというホスピタリティー精神なのだろうかと。

全部が僕たち親側の一方的な都合だった。
長女の運動会が終わるまでは産まれてきて欲しくはないという要望。
運動会が終わったら、諸々の準備が整い次第、早く産まれてきてもらいたいという要望。
そして、できれば長女や長男の時と同じように、予定日よりも10日前に陣痛がきて、9日前には無事出産という形にしてもらえると、3人揃うことになって、なんだか得したような気分になるから、そうしてもらいたいという要望。
最後に、長女と長男の出産に至るまでの時間を超える早さで産まれてきてもらえると母体としてもとても助かるという要望。
そのどれもに完璧に対応した見事なホスピタリティーだった。
まるで、如何なる無理難題にも迅速かつ臨機応変に対応する超一流ホテルの敏腕コンシェルジュかのようだった。
助産師さんに身体中を拭き取られ泣き続けるその小さなコンシェルジュに、僕はまず最初に握手を求めたのは言うまでもない。
そして、こう感謝の意を述べることにした。

「お姉ちゃんの運動会が終わるまで、お母さんのお腹の中で待っていてくれて本当にありがとう」

そのとても小さかったコンシェルジュも、今年でもう3歳になる。
今となっては、立場が逆転し、今度は僕たちが彼女の要望に全て応えなければならないコンシェルジュと化していることだけは、ここに付け加えておきたい。
でも、僕たちからの小さなコンシェルジュに対する本当の要望は、ただ元気に産まれてきてくれることだけだったのだから、無事に産まれてきてくれた時点で、あなたは一流のコンシェルジュでしたよ。
どうもありがとう。
これからもよろしくね。

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