プロフェッショナル・ゼミ

不本意な初犯《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:高浜 裕太郎(プロフェッショナル・ゼミ)
※このお話はフィクションです。

「やってしまった」
私はそう思った。不安という波が、私の心に寄せては引いていった。なんということをしてしまったのだろうか。
いかにも高そうな、柔らかい黒のソファに腰掛けながら、私は頭を抱えている。これからどうするのだろうか。私はどうなってしまうのだろうか。
がっつりと落ち込みたいのに、部屋の明るさが、その気分を邪魔する。電気なんか消してもらいたい。
私の心は、まるで沼にハマるかのように、どんどんと沈んでいった。後悔という沼に沈んでいってしまったのだ。
「コンコン」
扉の向こうからノックをする人がいる。おそらく先生だろう。ここは私の部屋ではないのに、ノックなんてするものなのだろうか。私は「どうぞ」なんて言うのも変だと思って、黙っていた。すると、担任の小沢先生が、顔を覗かせた。
「入るぞ」
感情が読み取れない声でそう言った。まるで、味のしないスープのような声色。普段は優しい先生だったが、この時ばかりは、感情が読み取れなかった。
先生は、私の向かい側にあるソファに、深く腰掛けた。ソファから少し、空気が漏れる音がする。
「はぁーっ」
席に着くとすぐに、先生は深く溜息をついた。その溜息からは、私に対する失望が読み取れた。先生は、だいぶ疲れているようだった。
そして、眉間にしわを寄せて、私にこう言った。
「なんでそんなことしたんだ……」
私は黙ってうつむいていた。

私は、大人しい生徒だった。
中学2年生、14歳にもなると、やんちゃすることを覚え始める時期でもある。例えば、学校のガラスを割ったり、トイレでタバコを吸ってみたり、自転車を盗んでみたり。それまでにしてこなかったような悪さを、やりだす時期でもある。
けれども、私はそういう悪さに対して、無縁の毎日を過ごしていた。クラスでも特に目立つわけでもなく、毎日部活で汗を流して、家に帰ったらゲームをして寝るという生活をおくっていた。
私が入っているサッカー部の奴らも、悪さばっかりしていた。他校のサッカー部と殴り合いの喧嘩をしたり、集団で飲酒をしたりしていた。
そんな奴らを見ていたからか、私の所にも、「一緒に悪さをしよう」なんて誘いが来るようになったのだ。例えば、「今度飲み会をするから来いよ」なんて言ってくるのだ。
そんな誘いに対して、私は断っていた。何回かは、一緒に悪さをしても良いかなという気になった。けれども、結局やらず仕舞いだったのだ。
私は、小心者だったのだ。
悪さをした奴らが、校長室に呼び出されて、長時間説教をされていたのを見たことがある。親まで連れてこられて、説教をされていたのを見たことがある。それを知っているから、私は悪さが出来ないのだ。悪さをすると、校長室に呼び出されてしまう。親にも迷惑がかかってしまうから。
私は、悪さをすることよりも、悪さがばれることを、恐れていたのかもしれない。それは、小心者と言えるだろう。だから私は、悪さに加担しなかったのだ。

「おおい、今日も一緒に帰ろうぜ!」
そんな私は、部活が終わった後、いつも神田と一緒に下校していた。神田とは同じ部活の友人だ。いや、私はそんな関係で留まりたくはないのだが、おそらく神田にとって私は、「同じ部活の友達」くらいの存在だろう。けれども、私にとっては違うのだ。
私にとって神田は、「恩人」である。
私は1度、神田に助けてもらったことがある。あれは、中学1年生の頃だった。私がまだ学校に慣れずに、クラスの誰とも話せない時期があった。その時期に私は、なぜかイジメの対象になったのだ。
おそらく、加害者側は、サンドバックを探していたのだろう。中学生というのは、何に関してもイライラする時期である。まるで、そうプログラミングされているかのように、多くの中学生が、この時期にイライラし始める。「思春期」とも呼ぶらしい。
そして、そのイライラをぶつける対象を、加害者側はおそらく探していたのだろう。そこで、目立っていなかった私に目を付けたのだと思う。
サンドバック役は過酷だった。文字通り、暴力によるイジメを受けた。「肩パン」と呼ばれる、肩をグーで思いっきり殴られるというイジメを受け、肩に青アザが出来たこともあった。
ある日は、習いたての柔道の技の実験台にされ、苦しい思いをしたこともあった。
その日が1ヵ月程続いただろうか。私は心底クラスが嫌になって、「もう学校になんて行きたくない」と思っていた。学校に行くと、悪夢が再生され、家に帰ると一時停止される。そして、学校へ行くと、また再生されるのだ。1ヵ月もの間、その悪夢ばかり何度も見せられた。そんな生活に、もう嫌気が差していたのだ。
けれども、その悪夢も長くは続かなかった。神田が現れたからだ。
私と神田は、そもそも同じクラスだった。そして、同じ部活だった。ちょうどその頃、私は部活で、神田と話し始めたくらいの時期だった。
神田は、体格が良かった。日頃からトレーニングを欠かしていないようで、見るものを圧倒させる筋肉があった。神田の体格を見ると、まるでライオンのたてがみを見て、草食動物が怖れを為すかのように、大抵の中学生なら、恐れおののいてしまうだろう。
その神田が、私をイジメていた奴に向かってこう言ったのだ。
「おいお前、俺の部活の仲間に何するんや。俺が相手になってやるわ」
まるで、息を吐くかのような淡々として物言いに、加害者側も恐れたらしい。ライオンは、相手を威圧しただけで、戦わずにして勝ったのだ。
そして神田は、私を守ってくれるようになった。私は、神田に救われたのだ。
それ以来、私にとって神田はヒーローであり、恩人だった。私に出来ることがあったなら、何でもしようかと思った。それくらい、神田に感謝をしていたのだ。
そして神田は、私をイジメから守る目的もあって、部活後、一緒に帰ってくれるようになった。まるでボディーガードのような扱いだった。けれども私は、神田のその厚意が嬉しかった。
そんな関係が、中学2年生になった今でも続いているのだ。もちろん、今ではイジメられてはいない。けれども、私達2人は、何となく一緒に帰っていたのだ。

「なぁ、お前、今日ちょっと空いてるか?」
ある日、神田が私にこう言った。その日は、いつもと同じく、部活を終えた後の帰り道だった。
「ん? いいよ。暇だし」
私は神田のことを良識のある奴だと思っている。だから、私を連れて夜遊びなんてしない。ちょっとその辺で、買い食いをする程度だろう。私はそんな風に考えていた。
「よし、じゃあちょっと付き合えよ」
私と神田は、2人で帰り道を歩いている。田舎の学校だから、当然道も都会とは全然違う。畑を切り開いて作ったような道だ。街灯も少なく、暗い道だった。けれども、不思議と安心感があった。それは多分、隣に神田というライオンがいるからだろう。
いつもは突き当たって、右に曲がる道を、この日ばかりは左に曲がった。左に曲がると、大通りに出る。そこには、スーパーや、コンビニ等があり、買い食い位なら出来る。
私は、まるで金魚のフンのように、神田について回った。神田は、スタスタと、少し速いペースで歩く。私はそれに合わせるかのように、小走りで、神田に離されないようについていった。
広い駐車場のあるコンビニに着いた。着くと、神田は店には入らずに、駐車場の隅に行った。そこだけ街灯の光が射しこまず、影になっていた。
神田は無言で、その闇の空間へと入った。私も、忠犬のように、神田についていった。
しばらく神田は、ずっと草むらの方を見つめていた。光が射さず、真っ暗な草むらを見ている。真っ暗な中で見る草むらは何だか不気味で、不吉なイメージを抱かせた。神田が無言でそれを見ているのも、何だか怖かった。けれども私は、「そんなのは気のせいだ」と思って、そのイメージを振り払った。
少しの間の後、神田は私の方を振り返って、こう言った。
「お前、悪さをしたことがあるか?」
私は何のことを言われているのか、分からなかった。神田が何を言いたいのか、読めなかった。
「いや、無い。たぶん……」
私は力無くそう答えた。神田に「悪さをしたことがあるか」と聞かれると、何だか、悪さをしたことの無い自分を責められているような気分になる。だから私は、少し落ち込んだ。
すると神田は、「フフッ」と少し笑った後、こう言った。
「今から、悪さをする。ちゃんと見ておけ」
すると神田は、いつもよりも速い足取りで、コンビニの中へと入っていった。私は、これから何が起こるのか分からずに、ただじっと立っていた。けれども、私の内側が、必死に警鐘を鳴らしているのだけは分かった。「あれに付いていってはいけない!」「今すぐそこから逃げろ!」と私の中の誰かが、私に命令をする。理屈は分からないけれども、私もここから離れた方が良いと思っている。けれども、足が動かなかった。まるで、足に釘でも刺されたかのように、動かなかった。
しばらくの後、神田が帰ってきた。手には何も持っていない。通学用のカバンと、部活用のエナメルバッグを肩から下げているだけである。
神田は少し駆け足で、駐車場の隅にやってきた。そして、私に目配せをして、付いてこいと言った。
コンビニから歩いて数分のところに、少し大きな公園がある。神田はそこで足を止めた。私は、「一体何をしてきたのか」と聞こうと思った。けれども、聞けなかった。聞くと、神田を怒らせてしまうそうだったから。ここは、神田のペースに任せようと決めた。
「ほれ」
神田は、何かを話始めるよりも前に、自分のエナメルバッグを漁り始めた。そして、1袋のスナック菓子を取り出した。
「それは……?」
私は思わず聞いてしまった。声は震えていたと思う。1袋のスナック菓子と。「悪さ」という言葉が、私の中で最悪のイメージを作り出す。そのイメージが、言葉が、神田の口から出ないことを、私は密かに祈っていた。
「盗んできた」
けれども神田は、私の希望を打ち砕いた。そう、神田は万引きをしてきたのだ。鮮やかな万引きだった。万引きに対する恐れというものが無かった。おそらく、もう何回も万引きをしているのだろう。
「パンッ」
神田は勢いよくスナック菓子を開けた。パンッと音がした。その音が、私と神田の間に流れている静寂の中で、嫌に響いた。
「食うか?」
神田は私に、開けたばかりのスナック菓子を差し出した。その顔には、何の罪悪感も見られなかった。
「食べたらいけない」と本能が訴えた。食べたら共犯者になると、本能が警鐘を鳴らしていた。けれども、相手はあの神田だ。私の恩人であり、私のヒーローである、あの神田だ。
「共犯者になるな」という声と、「神田をがっかりさせるな」という声が、私の中で戦っていた。まるで天使と悪魔のようだった。けれども、戦う時間は長く設けられてはいない。早く決めてしまわなければならなかった。
私は迷った。どうするべきか。どうするのが1番ベストなのだろうか。

「じゃあ、1個だけ……」
気が付いたら、私はそのスナック菓子を、1つ貰っていた。口に入れると、何とも不思議な味がした。口の中が渇いてしまって、スナック菓子が口の中にへばりついた。それが少し不快だった。
美味しくも、不味くも無いスナック菓子を、ただ噛んでいた。それを見ていた神田は、無表情だった。ただ、私の中には、「これで神田はがっかりしないだろう」という、一種の満足感があった。

それから数日後、私は担任に呼ばれた。
私が担任に呼ばれるなんて、滅多に無いことだった。心当たりがあると言えば、もう神田とのことしかない。
「お前が万引きに加担したと言ってる奴がいるんだけれど、本当か?」
話がよく分からなかった。けれども話をよく聞くと、どこからかの情報で、神田の万引きはバレてしまったらしい。防犯カメラに映ったのだろうか。
そして、「誰か」が、現場に私も居たと証言したらしい。私が、神田の万引きを止めずに、あろうことか盗んだ菓子を一緒に食べていたと、証言した奴がいるらしい。
誰かに見られていたのだろうか。それとも……。
「本当か?」
担任の小沢先生は、私の顔色を伺いながら尋ねてくる。まさか私のような大人しい生徒が、万引きをするなんて、先生にとっても、にわかに信じられる話ではなかったのだろう。
「はい……」
自分でもびっくりするくらい、「はい」という言葉がスラスラと出てきた。吐息のような小さい声だったけれども、「はい」と即答することが出来た。その瞬間、私は自分のしたことの重大さに気付き、大声で泣いてしまった。
涙で見えなかったけれども、きっと、小沢先生も、失望をしていることだろう。

その後は、色々な事が目まぐるしく起こり、あまり覚えていない。ただ、あれ以来、小沢先生が私を見る度に、眉間にしわを寄せて、涙を流すようになった。
今も、黒くて柔らかい、校長室のソファに座りながら、苦悶の表情を浮かべている。
なぜ、神田はあんなことをしたのか。なぜ、私は判断を誤ったのか。考えれば考える程、落ち込んでしまう。まるで、絶望と言う沼に入ってしまったかのようだった。
「なんであんなことを……」
今も私は、そう言いながら、頭を抱えている。

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