プロフェッショナル・ゼミ

寿明、まだまだ待ってろよ!《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:山田THX将治(ライティング・ゼミ プロフェッショナルコース)

年が明けると、必ず行う行動が誰にもあるだろう。初詣に行くとか、御節料理を食べるとか、年賀状を書くとか。
小生はその他に、手帳の転記をすることにしている。普段使用する手帳は、遅くとも前年の11月には選び購入している。入手したら、既に決まっている用事や、記念日、ガールフレンド(女友達)の誕生日とかは、早目に書き込んでおく。
では新年早々、何を書き込むかというと、友人知人の命日である。一人一人書き写しながら、もう来ることが無い年賀状を拝見している様子を想像し、一人一人の想い出を思い返してみる。

小生は、齢の割には友人の葬式に多く列席している。理由は不明だが、若くして鬼籍に入ってしまった友人が多い。たまたまなのか、はたまた小生に負の運命が有るのか不明のままだ。
人生で初めて、友人を失ったのは5歳の時である。交通事故だった。それも、小生に目の前で。小学生の時にも、一人の級友を失った。今度は病気だ。
それからいうもの、数年に一度は友人の葬儀案内が届く様に成ってしまった。
しかし、御祓いに行こうと思った事は無い。逝ってしまった友人たちの無念に応え、残していった希望や夢を小生が背負っていこうと、いつの頃からか心に決めたからだ。

人それぞれ、多様な人生観がある様に、同じく多様な死生観を持ち合わせる。誰からも批判されないし、批判してはいけないものと思う。
他人より多く友人を失ってきた小生は、比較的冷淡な死生観を持っている。
葬儀の席でも、涙する事はあまり無い。寂しさは人一倍あるが、悲しがっても生き返る訳ではないと考えるに至ったからだ。
でも、年配の方が亡くなった時は、冷静にお礼の気持ちが出て来るが、同年配の友人が亡くなると涙が出て来る。時には号泣してしまうことも有る。
小生にも、赤い血が流れ体温を維持している証拠なのだろう。

そんな、逝ってしまった友人の中で、葬儀の時に最も号泣してしまったのが、佐武寿明という男が亡くなった時である。享年39歳だった。寿明との出会いは、御互いに学生だった時で、故・淀川長治先生が主宰する映画サークルで出会った。
映画サークルという、いわば文化系の典型のような場所で、寿明と小生は異質な存在だった。共に図体がデカく、夏場などすぐにダラダラと汗をかき出すような体質だった。体育会系の特徴だ。当然、物を考える前に体が反応する。
寿明を一目見た時、自分と同じ体臭を感じた。思わず、眼が合った時にどちらともなく、頷いた。この頷きの訳を後日、寿明に確認したところ、小生の直感が当たっていた。
「ここは上品な方の集まりだ。温厚な性格の、体力自慢では無い方が多い。体力が有り余っている二人が、ケンカでも始めようものなら、誰も止められる筈がない。どんなに意見が違っても、手を出すことだけは止めよう。その代わり、誰かがケンカを始めたら、必ず二人で止めに入ろう」
こう、二人で確認したものだった。
早生まれの小生は、寿明とは同い年だったが、学年は一年上だった。体育会系の常で、一年違うと殿と家来になってしまうが、折角スポーツ以外で出会ったのだから、
「“タメ口(ぐち)”でいこうぜ」
小生は提案した。寿明も、気軽に応じてくれた。

寿明は、小生と同じくラグビー選手だった。180㎝を越える身長と、小生より一回り大きな体躯が自慢だった。しかも出身高校は、神奈川県の文武両道で有名な名門校だった。そこでレギュラー選手だったのだから、草ラグビー選手の小生とは、体力も脚力も段違いだった。ただ、心肺能力に若干の不安が有った。息の戻りが、遅いのだ。一度、出会ってすぐに寿明に誘われて、助っ人としてラグビーの試合に出た事が有る。寿明が通う、大学のラグビー“サークル”チームだった。互いに、体力的には問題無い試合だったが、寿明の息が常に上がっている様に感じていた。多分小生より、心臓の容量が小さかったのだろう。

寿明とは、出会いのきっかけとなった映画を始め、数々のスポーツの好みが合った。ラグビーを始め、アメリカンフットボール・ボクシング・MLB(野球)そしてNBL(バスケットボール)といった具合だ。試合観戦にも行ったが、テレビの中継もよく一緒に観た。その内、互いの自宅に、週に一度は顔を出す間柄になった。

そうした共通点とは逆に、正確にいうと共通点以外は、ことごとく二人は違っていた。優しい寿明と、冷たい小生。物にこだわらない寿明と、めちゃくちゃ物欲が強い小生。車の運転が下手な寿明と、運転が大好きな小生。底なしの酒呑みな寿明と、全く下戸な小生。
それでも、互いの違いを認め合い楽しんでいた。
ある映画を観た時に「これ、寿明が泣いて喜ぶ作品だろうな」なんて考えることも有った。例え小生には、面白くなかったとしても。

寿明が大学二年の時、突然アメリカに渡ると告げて来た。後で聞いた事だったが、寿明が通う大学は、彼の希望して居た大学ではなく、卒業するつもりはそもそもなかったらしい。そんな大学生活に見切りを付け、アメリカで何かチャンスを掴んで来ると言い残していった。英会話が心許無い寿明を、‘大丈夫かなぁ’と心配したものだった。
寿明からの連絡は、極たまに国際電話が掛かって来る位だった。それも、生で観たボクシングやフットボールの試合のことが殆どだった。何の事は無い。寿明が掴みたいチャンスとは、本場で生の試合を観たかった事に違いない。現に、どこに住んで(シカゴ近郊に居るとは知っていたが)いて、何をしているのか知らせてこなかった。

数年後、何事も無かった様に寿明は帰国した。そして、ある映像プロダクションで働きだした。理由は一切聞かなかった。寿明が、全く語らなかったからだ。
‘奴が言わないのなら、放っておいた方が良い’と、小生は判断した。

二人の仲は、相変わらずだった。

こんな事が有った。今から20年程前の事だ。例の映画サークルの開催日、二次会で談笑していると突然、寿明が叫び出した
「ヤバい!今日の試合の録画を忘れた!!」
その日に行われる、ボクシングの世界タイトルマッチ“オスカー・デ・ラ・ホーヤ対フリオ・セザール・チャベス”の世紀の一戦の事だ。当時、WOWOWでの有料放送でボクシングの大試合が、同時生中継が行われていた。
仕方が無いので、会合を二人で中座し、その頃借りたばかりの寿明のアパートに向かった。ろくに家具も無い一室で、二人のいい歳の大人が、手に汗握りながらテレビ画面を見詰めていた。
次の年には、映画『インビクタス』の舞台になったラグビー・ワールドカップの決勝戦も、一緒の場で観戦した。
やはり寿明とは、一緒に何かをするのが楽しい。この決勝戦直後も、
「これ、映画になるよな。誰に撮ってもらいたい?」
などと、語り合ったものだった。

2000年を迎えると、寿明は突然「脚本の勉強をしたい」と言い出し、仕事を辞め、風呂も無い安アパートに引っ越し、ディスカウントストアーのバックヤードのアルバイトをしながら、脚本の書き方を教える学校に通いだした。
思い込んだら一途な男だった。小生と真逆で、ストイックさを好む傾向にあった。
生存していれば、天狼院のゼミに誘ったことだろう。
多分、ピッタリとハマったことだろう。
バズを起こす、記事も書けたであろう。
寿明の文章は、大変読み易かった。

暫く音信が無くなった頃、小生は寿明を想い出していた。
デンゼル・ワシントン主演の映画『ザ・ハリケーン』を観た直後である。
学生時代、ボブ・ディランが歌にもした、無実の殺人囚ルーヴィン・“ハリケーン”・カーター(ハリケーンはニックネーム)の釈放が報じられた。
寿明と小生は「いつか映画になるよな?」と確認し合っていた。その当時は、有名黒人俳優(カーターは黒人)でミドル級チャンピオンを演じられるような、大柄な男優は居なかった。誰が演じるかが、二人の話題になっていた。
時が経ち、D・ワシントンという立派な体躯の男優が出現し、二人の予想通りの展開で映画化されたのだ。

久し振りに、寿明に連絡を取ろうかと考えていた時だった。2000年8月11日の暑い昼頃、寿明の妹さんから電話をもらった。寿明の訃報だった。
40を前にしても独り身だった寿明は、例の安アパートの玄関で倒れているところを隣の住人に見付けられたらしい。玄関に鍵が掛かっておらず、扉も半開きだったことから事件性は無いが、立派な体躯の健康な男の突然死だったので、遺体は司法解剖に回されたそうだ。
死因は、心筋梗塞と診断された。ラグビーのプレー中、彼の息がなかなか戻らなかったのも、そこに原因があったのかも知れないと思った。小生は、何で早く検査に行かせなかったのかと悔やんだ。悔やんでも悔やみきれなかった。
最も信頼する親友を、一瞬で失ったのだから。

通夜の日、悲しみをこらえて明るく振る舞う御母堂が痛々しかった。
御挨拶で、こんなことを仰っていた。
「現在、夫が病床に臥せっています。寿明の死は報告してきましたが、自分が代わればよかったと申しておりました。御近所の皆様には、寿明の事は言っておりませんので、骨壺を持ち帰れば皆さん夫の事と思われるでしょう」

解剖後だったのと、多分苦しんで死んでいった表情が残っていたのだろう、御母堂からは御棺の寿明には会わないでほしいと懇願された。小生は、素直に従った。
霊柩車へ納棺を頼まれたが、辞退させて頂いた。涙が止まらなくなるからだ。
火葬場へも、わがままを言って友人達と小生の車で向かった。車内では、寿明の笑えるエピソードを言い合いながら向かった。黙ってしまうと、瞬時に号泣してしまうからだ。

寿明の遺骨は、針金でつなげれば立派に理科室に置ける位、完全な形を残して火葬炉から出て来た。立派な体躯を支えた大腿骨や、一度も骨折したことが無い肋骨(ラグビー選手は日常的に肋骨を骨折する)、スクラムを組んだ時に嚙み締めたであろう頑丈そうな顎の骨、グローブの様な手の骨、どれもきれいな原形を留めていた。
幾つかに砕かれ、今まで見たことも無いような大きさの骨壺に収まった寿明は、御母堂には持って頂くことが出来ず、妹さんが抱えていた。第一声は「重い!」だった。

お清めの席で、御母堂から寿明との想い出を聞かれた。喪の席なので、当たり障りのないことだけ話させて頂いた。
だいぶ経ったので、御母堂に話すのを躊躇ったことをここに二つ記します。
亡くなる少し前、仲間と一緒にカラオケで唄っていると、寿明はなぜかその当時流行り始めた韓国の歌ばかり唄っていた。それもハングル語で。上手い上手いと煽てて聞いたところ、コリアン・パブで知り合ったホステスと付き合っているとのことだった。両親は厳しいので、内緒にしてほしいとも言っていた。
もう一つは、寿明がアメリカに居た時の事だ。普段はコレクトコールでしか電話をしてこない彼が、珍しく自己負担でかけて来た時の事だ。
しかも、電話を掛けて来たのがシカゴの留置場からだったのだ。映画でよく見る、一回だけ外部に電話を掛けていいというアレである。なんでも、アルバイトの帰り道でプエルトリカンの若者二人に、恐喝されたらしい。たまたま、虫の居所が悪かった寿明は、小柄なその二人を“ボコボコ”にしてしまったそうだ。運悪くパトカーが通り掛り、寿明がノシた若者二人と共に連行されたと言っていた。本来なら、弁護士を呼ぶべき時だが、日本に掛けても無料だし、小生に自慢したかったのであろう。実際、
「本場の留置場に入った奴なんて居ないだろう」
と自慢していたことを思い出す。このエピソードも、御母堂の預かり知らない事だったので、黙って置いた。寿明への貸しにしておく為に。

今年の元日、手帳に佐武寿明の命日(8月11日)を記しながら、改めてこんなことを考えた。

「寿明。
お前が逝ってしまってから、だいぶ経ったな。

あれから、お前と一緒に楽みたかったことが沢山起こったよ。
『ザ・ハリケーン』は現世で観たのかな?感想を語り合えなかったのが、無念でならないけど。

もう、あの世で淀川先生に逢ったかな?
“早すぎる!”って叱られただろう。お前はデカいから、俺がそちらへ行ったら先生を探すときに便利だから、必ず傍に居てくれよ。

お前が見聞きし損ねたことを、沢山沢山体験していくから、楽しみにしていてくれ。お前の無念が残っている分、まだまだそちらには行かないから、首を長くして待っていてくれよ!」

今年の元日は、何故か例年よりも多く涙が出て来た。
寿明に会えない寂しさが、だいぶ募ってきた様だ。

***

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