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プロフェッショナル・ゼミ

母がしんどいので、もう娘をやめてもいいですか? 《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

園藤ふみ(プロフェッショナル・ゼミ)
※フィクションです

走れ! 走れ、もっとはやく!
逃げろ、今ならまだ間に合う。
自由になるには今しかない!

まわりの景色がどんどん変わっていく。
電柱の横に乗り捨てられた自転車も、角にあるカラス除けの網がかかったゴミ置き場も、公園の入り口にある看板も、すごい速さで後ろに遠ざかっていく。

もう、あの人の元にはもどらない。
二度とあの家には帰らない。
そう決めて、私は家を飛び出した。

私にとって母は憧れの人だった。
小さい頃、母はいつも私のことを優しく抱きしめ、頭を撫でてくれた。
一緒にケーキやバレンタインのチョコレート作りを手伝ってくれた。
授業参観の度に、皆の視線を集めるキレイな母が私の自慢だった。
みんなに「この人私のお母さんだよ! 見て見てー」と、見せびらかしたくてしょうがなかった。
だって裕美ちゃんのお母さんは、畑仕事が終わってすぐ来ましたっていうような、薄汚れたズボンを穿いていて、顔も日焼けで真っ黒だった。
シュウ君のお母さんは、お祖母ちゃんかと間違えるくらい、しわっしわだった。
だから「さっちゃんのママ、キレイでいいなー」とみんなから羨ましがられるのがいつも嬉しかった。

でも、それは私が小学6年生の時まで。
そこからの私の母に対する甘い記憶はぷっつりと消えてしまった。
なぜならあの日を境に母は、別人のように変わってしまったから。

私が小学6年生の夏、兄が家を出ていった。
私は兄の事が大好きだった。何がどうなって兄がいなくなったのかわからず、泣きながら家中探しまわった。リビングや階段下の収納庫、トイレや押し入れ。
思いつく限りありったけの場所を探したけれど、兄の姿はどこにも見当たらなかった。

リビングには、一人ぽつんとソファーに座って泣く母がいた。
母が大事にしていたピアノ型のオルゴールが壁に叩きつけられ、ぼろんぼろんと妙な音を奏でていた。ソファーの座面からは、綿がぼこぼこと飛び出し、カーテンもビリビリに引き裂かれていた。

「お母さん、お兄ちゃんは?」
「・・・・・・」
母は何も答えてくれない。
俯いた母の目のあたりが赤く腫れ、口元に血もにじんでいる。

「お母さん、血が」
私は慌てて床に転がったティッシュの箱からティッシュペーパーを引き出し、母の口元にもっていった。
「触らないで!」
母は私の手を強く払いのけた。
びっくりした私は、驚いて尻もちをついたまま、動けなくなった。

「お兄ちゃん、どこ行ったの?」
母は何も答えない。

兄は母の自慢だった。
私の目からみても、彼女は兄を大事に大事にしていた。
時々母が兄の部屋に入っていった後、大きな音が聞こえる事があったけれど、特に何かおかしいと思ったことはなかった。
兄は成績もよく、スポーツ万能で、難関の私立高校に通っていた。
とても優しくて、いつもバカなことを言っては、私を笑わせてくれた。

その兄がおかしくなったのは、高校2年生の時だ。
兄は急に学校に行かなくなった、いや行けなくなってしまった。
理由はよくわからない。
夜中トイレに行くふりをして、父と母の話しを盗み聞きしたところ、バスケ部内で揉めたとかなんとか、そういう話しだった。
その時は父も母も、思春期の男の子にはよくあることだからと、あまり気にしていないようだった。
けれど、事態はどんどん悪化し、最終的に兄は学校のクラスの中にも入れなくなった。
その時はいじめだとかそういう言葉を、父と母はよく使っていた。
母は猛烈に怒り、抗議のため何度も学校に出向いていたようだった。
どうやらそれが火に油を注いだようで、兄へのいじめはひどくなるばかり。
結局兄は部屋に引きこもり、一歩も外に出られなくなった。
毎日のように母が兄の部屋に向って「なんでこんなダメな子になったの! この恥さらし!」と叫ぶ声が聞こえてきた。
その時の母の声は、今思い出しても鳥肌がたつくらい嫌な声だった。
ガラスを爪でキーーーと引っ掻いた時の方が、よっぽどキレイな音に違いないとさえ、その時は思えた。

兄は引きこもるようになってしばらくすると、家の中で暴れるようになった。
部屋にあるモノを手当たり次第に投げ、電気スタンドを壊し、教科書全てを窓から放り投げた。
母がやめて! と例の金切声をあげる。
「全部お前のせいだ! お前が俺をこんな風にしたからだーーーっ!」
モノが壊れる音や、母の叫び声が聞こえないように、私は布団を頭からかぶって、じっと耐えるしかなかった。

父はいつも帰りが遅かった。
家の中はいつも泥棒が入った後のように、何もかもめちゃくちゃにひっくり返っていた。
壁には一面何かをぶちまけたような後がひろがり、絨毯はシミだらけ。
ガラスもたくさん割れていた。
いくら鈍感な人でもこの状態に気づかないわけがない。
だけど、父はそんな光景をみても無言で、何事もなかったかのように、もくもくと晩御飯を食べ、自分の書斎に逃げこんだ。
ああこうやって父は、兄のことも母のことも、そして私のことも、全てみなかったことにするんだなと悟った。

兄が引きこもるようになって、1年ほどたったある日、
彼は家を出て行った。
兄の消息はいまだにわからない。
母は兄が出て行った後、半年ほど、毎日泣いて暮らした。
「大事に育てたのに・・・・・・
私の自慢の息子だったのに。あの子の成長だけが楽しみだったのに」
昼夜となく、この声が私の耳に入ってきた。
私と兄に対する母の眼差しの違いはこれだったのかと、ようやく胸に燻る違和感の正体に気づいた。
母は兄さえいればよかったのだ。
私はペットと同じ。世話はするけれど、期待はしない。
私は母を癒すためだけにただ、存在する生き物。
母の私への認識はおそらくその程度だったのだと思う。

兄が家を出て行く直前、私の部屋に入ってきて、一言「ごめん」と言った。
「・・・・・・なにが?」と聞くと、兄は悲しそうな顔をして
「お前が身代わりになっちゃうから」と呟いた。
意味がわからない。
「どうして?」と聞いても、兄はもうそれ以上答えてはくれなかった。
ずっと部屋に籠もりっぱなしだった兄のスウェットは裾がほつれ、膝は薄く、かなり汚れていた。
髪は伸び放題で、髭も濃くなっている。
もう私が知っている兄の姿ではなかった。
「母さんのお守りを頼む」とだけ言って、兄は階下に降り、私に話していた時とは別人のように奇声をあげ、暴れまくった挙句、母を殴り家を飛び出した。

兄の言った、「身代わり」の意味をようやく理解できたのは、この後しばらくたってからだ。

半年ほど泣き暮らした母は、突如として動き出した。
兄へ向けていた愛情のはけ口を、今度は私に向けたのだ。
この時から私の地獄が始まった。

学校から帰ると、毎日学校で起こった事や、友達と何を話したか、その友達の親の職業はなにかまで、事細かに母の前で話すことを要求された。
それまで私に興味なんてなかった癖に、いちいち干渉してくるようになった。
そして、母が願う理想の友達の容姿、性格、関わり方を延々と聞かされた。
特に母は、友達の親の職業について、異様なほどこだわった。
私の父は普通の会社員だし、母は専業主婦で、2人とも取り立ててすごい学歴があるわけでもない。
おそらく母は学歴に対してずっと、コンプレックスを抱えてきたのだろう。
自分の理想から外れた友達はダメ、あの職業の家の子はダメと、毎日ダメだしされた。

それでも私は母に愛されたかった。
兄に向けるような眼差しを私にも向けて欲しかった。
母の期待に応えたい、理想の娘になりたいと頑張った。
ピアノの発表会では、1位になることしか許してもらえなかった。
1位がとれなかった場合、発表会にかかった費用全てを、お年玉と毎月のお小遣いで返済していく旨、借用書を書かされ、それは毎月きっちり徴収された。

とにかく常に緊張の毎日だった。
いつもどうしてそんなことで? と思うようなことで怒られた。
算数の成績が落ちた、付き合うなといった友達と遊んだ、ハンカチを忘れていった、
ブラウスをスカートの中に入れてなかった、呼んだ時にすぐ返事をしなかった。
母が怒る内容は、彼女の理想という枠にあてはめられているので、おかしな内容もかなり混じっていたが、愛情に飢えていた私は、自分が悪いことをしたからだと、受け入れるしかなかった。

母が私を叱るのは必ず私の部屋と決まっていて、その時彼女は手に鉄の物差しを持っていた。
顔や首、外から見て一目でわかる場所は決して叩かない。
叩くのは背中だ。ここなら上着を着てしまえば、絶対に他の人にはわからない。

昔、兄の部屋からよく聞こえてきた、ビシッビシッという大きな音、あれはこの鉄の定規で皮膚を背中を直接叩く音だったことに、当事者になってやっと気付いた。
一度お風呂上りの兄の背中を見たことがある。
赤い蚯蚓腫れが何本も背中に走っていて、「お兄ちゃんどうしたんだろう?」というくらいにしか思ってなかった。その何年か後に、兄と同じ傷が私の背中にもできることなど、想像もしていなかった。
私を叩きながら「あなたがだらしない子にならないように、あなたの為にこういうことをやっているのよ」という台詞を言い訳のように母は吐いていた。

中学、高校、大学と、友人関係、学校関係、プライベートにおいても母は常に私を縛り付け、事細かく口を出し、理想を押し付けてきた。
自分の言う通りにしていれば、必ず私が幸せになると思っているようだった。

私はよその家がどうなのか、考えてみたこともなかったから、これが普通の親子関係だと信じて疑わなかった。
それよりも、兄のように愛されたい、母に必要とされたいとだけ願って生きてきた。
だからますます彼女に依存し、指示を仰いでしか行動ができなくなった。
母の言うことは絶対だった。

私は母の望む企業への就職も果たした。
就活では母の方が一生懸命で、自分の理想の企業を探してきては、私に勧めた。
エントリーシートの書き方も私より精通していた。
面接の練習は、母相手に何度もやった。
そして晴れて第一志望の会社に、私は内定をもらうことができた。
この内定を誰よりも(私よりも)喜んで泣いたのは、母だった。
母が泣くのをみたのは、兄が出て行った時以来だ。

就職してからも、母は私の仕事内容や会社での悩み、人間関係など、毎日事細かに報告させた。
会社のことなんて、働いたことがない母に話しても理解できないことはわかっていた。
だけどなぜか吸い取られるように、毎日起こった事を母に話してしまう。
だから、私に仕事を教えてくれる先輩の裕子さんの話や、彼女がどんなに有能でしかも優しくて美人か、裕子さんのお家が代々のお医者さんであることを、深く考えもせず、ぺらぺらと母に話してしまった。

ある日裕子先輩から、会社の帰りにお茶でもどう? と誘われた。
私はてっきり仕事の話かと思っていたのだけれど、カフェの席につくなり先輩は、深刻な顔で、ICレコーダーを取り出し、再生ボタンを押した。
「お宅の娘は、学生時代遊びまわっていたらしい。
医者っていうのはお金があるものだから、娘をそんなに派手に遊びまわらせることができるのか? 地域に根差した医療なんてHPに書いてあるけど、どれもこれも嘘ばかりじゃないか。
おたくの娘は会社でも、後輩をいじめることしかしていない。
一体どういう家庭で育てたのか?」
延々と罵詈雑言が流れてくる。
声色は微妙に変えてあるけれど、私が聞き間違うはずがない。
私を鉄の定規で叩くとき特有の、母の声だった。
私の顔から一気に血の気が失せたので、先輩はああやっぱりと、気付いたようだった。

「最近、両親の病院に変な電話がかかってくるようになったの。
それも一度や2度じゃない。私もどうしてこういうことを言われるのか、身に覚えがないから困ってるの。弁護士にも一応相談してるわ。立派な業務妨害にあたるって言われたわ。嫌がらせが続くようなら、警察にも相談しようと思ってるの。
後輩をいじめてるっていう台詞が入ってるんだけど、まさかあなたの関係者じゃないわよね? 変な風にとらないでね。別にあなたを疑ってるわけじゃないのよ。仕事で関係している人達には、一応順番に聞いていっているだけだから」

母は、異常なまでの学歴コンプレックスをもっている。
私が毎日話す裕子先輩のことや、先輩のお家の病院について、すぐに調べたに違いない。
先輩がとても優しくて、仕事の教え方も上手く、頭がよくて美人だと報告した事が気に入らないのだ。
母にとっては、会社の中でも常に私が一番じゃないと許せないのだ。

「誰なんですかね~」とその場ではとぼけてみせたけれど、先輩は、私の様子からきっと、気づいたに違いない。
急いで家に帰って、母に猛抗議した。
「もう二度と先輩のお家に迷惑をかけるようなことはしないで!
私、会社にいられなくなる。このことを警察に届けられれば、母さんも捕まるのよ!
私は母さんのものじゃない! 
あんたなんか、あんたなんか大っ嫌い!! 
もう我慢できない! 私、この家出ていく」
今まで母に逆らったことなんてなかったけれど、今回のことは、絶対に許せない。
もっと毅然とした態度でハッキリ言ってやろうと思っていたのに、怖くて声も足も震えてしまう。
しっかりしなきゃ。じゃないと、また母のいいなりになってしまう。
「あんたも私から離れようっていうの?
絶対に許さない! そんなことしたら母さん死んでやるから!!」

バタン!
私は後ろも見ずに外に飛び出した。
あの人のやってることは、絶対におかしい。
私を自分の所有物だと勘違いしてる。
私はどうしてこんなおかしな家を、もっと早くに飛び出さなかったのだろう。

走れ! 走れ! はしれ!!

・・・・・・
・・・・・・

だけど・・・・・・
私は途方にくれていた。
コートもバッグも置いてきた。携帯すらない。
1月の外は寒い。
この近辺で先日、変質者が出たので気をつけるようにと、回覧板がまわってきていた。
怖い。
どこかに逃げ込もうにも、あてがない。
自分の意思で動いたことなんてないから、わからない。
私は一体これからどこにいけばいいのだろう。
こんな時、一体誰に相談すればいいのだろう。
だっていつも悩みを話してきたのは母で、
私の気持ちを一番理解してくれていたのも母だったから。

私は母にとっての、生きがい。
兄もいなくなり、私までいなくなったら、あの人は本当に生きていけなくなるかもしれない。
こんなことをしてる間にショックで自殺でもしていたら、どうしよう・・・・・・
不安で押しつぶされそうだった。

かあさん!
かあさんっ!

まるで高速で巻き戻されるように、
今来た道をひたすら家に向かって、走った。

母さん、生きてて。
もう、母さんを悲しませたりしないから。
私はずっと母さんの傍にいるから。
だから、生きててお願い!

息があがる。
玄関のドアをあけ、靴を脱ぐのももどかしく、私はリビングに転がり込んだ。
「かあさん、ごめん!!」

だけど、その時母は、お気に入りのジノリのカップで、優雅に紅茶なんか飲んでいて、
予想外の光景に私は、呆然と立ち竦むしかなかった。

「かあ、さん?」

「あら、早かったわねー。
昔母さんが飼ってたインコですら、鳥籠を飛び出して飛んで行った後、一晩は帰ってこなかったわよ。
せめて3時間はふらふらするかと思ってたのに、たったの1時間なんて笑せるわ」
「かあ、さん?」
「私はね、裕人が出て行った時に、ああ、飛び立とうとする羽はすぐ切らないとダメなんだって悟ったのよ。だから、あんたが私から飛び立とうと自我を出す度に、自由に飛べないよう羽を切ってきたの。だから、あんた自分で考えたりできないでしょ? 
あんたは所詮、私からは逃げられない。
鳥籠の中はエサもたっぷりあるし、快適だし、外敵もいない。
こんないい場所ないわよ。
今まで母さんの言う通りにして間違ったことあった?
不幸になったことあった?
大学だって、就職先だって、みんなに羨ましがられるところばかりじゃない。
それが一番幸せだって気づいたからあんたも帰ってきたんでしょ。
あははははは、鳥籠の外は危険で、あんたなんかまともに生きられやしないわよ」
声高らかに母は笑って言った。

そうなのだ。
結局私は、この家という鳥籠の中からは逃げられない。
逃げてもきっと生きてはいけない。
母の理想をただひたすら生きるのは、何も考えなくてすむから快適この上ない。
そこに気づいてしまった今、私の羽を切り続けてくれた母の狡猾さに感謝した。
私の身代わりになって、飛び立ってくれた兄にも、同じく感謝の言葉しか浮かばない。

私は一生母を許さないし、きっとそれは兄も同じだろう。
この家を中卒で飛び出した兄が、厳しい世の中を幸せに生きていけるかどうかは甚だ疑問だ。
私は、母に抑圧されながらも、絶対に不幸にならない道ばかり生きてきた。
同じ恨み続けるなら、私のように縛られながらも幸せになる方を選べばよかったのに。
兄はほとほとバカだなあと思う。

私は男の人とまともにつきあったこともないし、自分で母が気に入る相手を見つける自信もない。きっとそのうち母の理想の結婚相手をあてがわれ、結婚するだろう。
それでも全く構わない。

ただ、結婚する前に、早めに母に習っておかないといけない。
子供の羽の切り方を。
どういう時にどういうタイミングで切るのがベストなのかを。

***

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