プロフェッショナル・ゼミ

先生は言った。その中に入る者は、それを見たことがある者だ《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:ノリ(プロフェッショナル・ゼミ)

※この話はフィクションです。

「いつからどんな症状ですか?」
「はい。気がついたら、というのが正直なところです。2ヶ月前くらいからでしょうか。気がついたら、いつもずぶ濡れでした」
「ずいぶん濡れたようですね。がんばったんですね。大変でしたね」
「……は……い」
梨花の返事が、涙でにじみました。
「わかりました。では足立さん、傘、出しときますね」
先生がゆっくりとカルテから顔を上げ、穏やかな口調で言いました。
ああ、やっぱり傘なんだ。
「どうしてもささなきゃ、ダメですか?」
「治りたいならね」
先生は答えます。
「他の方法はないんですか?」
「そうだね、人によっていろいろではあります。しかし今、足立さんのお話を聞くかぎり、足立さんは典型的な雨季に入っていると思われます。だから僕は、傘が一番効果的と考えました」
先生の眼差しは自信に満ちあふれています。
「あのお……やっぱり……、毎日、なんですか?」
「もちろん! 片時も手放してはいけません!」
「それって、どのくらい続けなきゃならないんですか?」
「そうだね、三ヶ月くらいの人もいれば、一年、三年の人もいます。長い人だと十年以上の人もいます。人それぞれだから、足立さんも自分のペースで……」
十年! 梨花は思わずめまいがして、最後の方は聞きとれませんでした。

そんなに長い間、傘をさしていなければならないなんて。
もう、終わりだ。
私の人生、終わりだ。

「傘をさすなんて甘えてる」
「傘はクセになる」
「一度さしたら死ぬまで閉じられない」
私だってばかじゃないんです。
梨花はここに来るまでに、いろいろ調べてきました。でもわかったことと言ったら、傘には、まったく希望がもてない、ということだけでした。

梨花がそんなに渋るのは、今、普段の生活で、傘をさす人など、いないからです。

梨花が生まれてから、28年。そのずっと前から、地球上で雨が降ることは、なくなっていました。

厳密に言えば、雨は存在します。しかしそれらはすべて、雨雲ごと消すことができるようになっていたのです。
そのため、もう長いこと、雨の日に傘をさす人はいませんでした。
傘は日常生活からなくなり、忘れ去られていきました。

しかし、です。

地球全体に雨が降らなくなった代わりなのでしょうか。梨花のように、個人的に雨に降られる人が出てくるようになりました。その人たちは、何日も続く雨にずぶ濡れになって、どうしようもなくなってしまうのです。

「本人が悪さをしたバチが当たっているんだ」
「いや、雨をなくした進歩のひずみが、現れているのではないか」
「複雑化した社会のしわ寄せが、雨となって弱者に降るのだろう」
特定の人に降る雨は、「雨季」と呼ばれ、その原因はあれこれと、ささやかれています。世界規模で雨季の研究が進められていましたが、原因はまだ、はっきりわかっていませんでした。
しかし、現に梨花のように雨季に入る人は増える一方です。研究結果を待っている暇はありません。

そこで、「雨には傘」、という原始的な方法を用いることによって、雨季に入った大多数の患者を救えることはわかっていました。

「足立さん、これは、誰のためでもない、あなたのためなんですよ」
「はい、それはわかるんですけれど……」
梨花が渋るのには、みんな傘をさしていない、ということだけが理由ではありませんでした。
「『雨をよけて自分を取り戻す』。そういう雨季の治療に専念できるのは、今のところ、傘が一番なんです」
先生が説得します。
梨花のように雨に長く当たった人は、自分がなくなると言われていました。長い雨が、体温を奪うように、自分自身を流していってしまう、と言われていました。しかし、そのための傘は、昔、日常にみんなが使っていた傘とは、少し違っていました。
それでもまず、傘をささなければ、雨に濡れるのを防ぐことはできません。
「では、また、二週間後に来てくださいね」
梨花は薬局で傘を受け取って帰りました。

こうなったら仕方ありません。
梨花は先生の言う通り、毎日傘をさして歩きました。
たくさん歩くと、傘の中が少し、あたたまります。
梨花の吐く息が、傘の中に満ちて、梨花はそれをまた、吸い込みました。

「あ、モッチー!」
傘をさして歩く、といっても、どこへ行くのか、あてもありません。
自然と足が向くのは、雨季に入ったことで辞めた会社です。歩き慣れた道をたどると、ちょうど通勤中の同僚、望月ちゃんを見かけました。しかし、モッチーに、梨花の声は届きませんでした。
「やっぱり、本当に見えないんだ」

そうなんです。この傘が、昔みんなが使っていたという傘とちょっと違うところ。
それは、傘をさす人が、まわりから見えなくなってしまう、ということでした。
そのため、周りの人と、一切コミュニケーションが取れなくなってしまうのでした。

「もっと人の多いところならどうでしょう」
梨花は、近くのターミナル駅に向かってみました。
駅の東口と西口をつなぐ大きな通路には、たくさんの人が行き交っています。右へ、左へ、前へ、後ろへ。
人々が行き交う中に立ち尽くすと、キャリーバックを持った男の人が、梨花に笑いかけました。
梨花がハッとした瞬間、梨花の後ろから女の人が走ってきました。
待ち合わせだったのでしょう。二人はまるで梨花がそこにいないかのように近づくと、遠くへと行ってしまいました。
梨花のまわりをたくさんの人が通り過ぎましたが、梨花に目を留める人はいませんでした。

「もっとゆったりとしたところならどうかしら」
梨花は、ショッピングモールに向かいました。家族連れやカップルが、楽しそうにお店をめぐっています。
傘をさしている梨花には何を話しているのかは聞こえません。しかし、表情や身振りで、みんなが楽しい時間を過ごしているのがわかります。
梨花はすれ違いざま、何度もベビーカーやカートにかけられた紙袋にぶつかりましたが、存在に気づいたような人はいませんでした。
それどころか、楽しそうな場所の方が、かえって、寂しさを感じたのです。

「傘って、こんなにつらいんだ」
梨花は、本当に世界から取り残された心地がして、震えました。

それでも先生に言われた通り、傘をさし続けるしかありません。

「なんでこんなことになったんだろう」
「なにもかも、わからない」
「あの時こうしていたらよかったのに」
「やっぱりだめなんだ」
「もう、おわりだ」

傘の中には雨音以外、何も聞こえないはずでしたが、数日さすうちに、たくさんの声が聞こえてくるようになりました。

傘の中で浮かんでは消える声。それらは全部、梨花、自分自身の声でした。
それの声は、数えると、一日のうちに5万個ほどになりました。
本当に自分で声を出しているのか、頭で考えていることが言葉になって見えているのか、梨花はわかりませんでした。

どんどん言葉は浮かんできます。来る日も来る日も、梨花は傘の中で、自分の言葉を吐いては吸って、吐いては吸って、していました。

そうして続けるうちに、同じ言葉を吸っているはずですが、少しずつ言葉が変わってくるのでした。

「なんで」は、「しかたない」に。
「わからない」は、「それでもいい」に。
「あの時」は、「その時はその時」に。
「やっぱり」は「ま、いっか」に。
「おわりだ」は、「そう、おわったことなんだ」に。

「……なあに?」
傘の中の言葉が、すっかり変わったころのことでした。
梨花が公園をぶつぶつと話しながら歩いていると、どこからか、声がしました。
聞きなれた、梨花自身の声ではありません。

立ち止まると、梨花の足元に向き合っている、二つの足が見えました。水色のリボンがついているかわいらしい靴です。
「それなあに?」
その声が、その足の持ち主のものだと気がついて、梨花は傘を斜めにあげてみました。そこには、どこかで見たことがあるような、小さな女の子が立っていました。
「私が見えるの?」
「それなあに?」
返事の代わりに女の子は聞いてきます。
「かさ、です」
「か、さ?」
3歳くらいでしょうか。
「一人で来たの? おうちはどこ? 帰れるの? 送っていこうか? どうして、どうして私が見えるの?」
私が見える、ということにドキドキして、梨花はたくさん質問してしまいました。
けれど、返ってきた答えはひとつだけでした。
「それ、いいね」
「えっ?」
これが、いい?
女の子の小さな指は、梨花の傘をさしていました。
梨花は、何かから、許されたような気持ちがしました。体の真ん中が、ポッとあたたかく感じたのです。

「先生、なんだか最近、傘のこと、イヤじゃなくなってきました」
「足立さん、いい兆候ですね。その調子です」
女の子と会ったあと、病院に言った梨花は、先生に話しました。
「それに先生、なんだか私、昔から傘のこと、知っていたような気がするんです」
「そうですか。雨季の研究者の間で、『傘の中に入る者は、傘を見たことがある者だ』と、言われているのも、あながち間違いではないのかもしれませんね」
梨花はハッとしました。
傘を、見たことがある?

「それ、いいね」
先日出会った女の子の、まんまるの目を思い出していました。

「取り残されたのだ」
次の瞬間、低い声がすると、女の子の目は、みるみる細い目に変わっていきます。
梨花の目の前に、傘をさしたじいちゃんが現れました。
「取り残されたのだ」
梨花のじいちゃんは、いつもそう言っていました。
そう言って、ずっと前に死にました。

「傘だけが、変わらないんだ。時代に、進化に、取り残されたのだ」
手をかざすと水が出る蛇口や冷凍庫の中で勝手にできる氷、お湯でおしりを洗ってくれるトイレ、どんどん小さくなる電話……。じいちゃんは、そんなものを引き合いに出しては、傘について文句を言っていたのでした。
けれど、梨花は、じいちゃんの渋い横顔を見ながら、こう思っていました。

「傘って、いいな」

だって、小さくてかわいい部屋みたい。
しかも、どこにでも持ち歩けるなんて、動く部屋みたい。
そして、誰にもじゃまされない、自分だけの世界みたい。
梨花は、傘を思ってわくわくしていたことを、思い出しました。

「そうだ、私、見たことがあるんだ」

じいちゃんが死んだ後、梨花はさびしかったけど、少しほっとしました。これで気兼ねなく、傘のことを存分に考えることができると思ったからです。

けれど、中学になって、吹奏楽部でサックスを始めたり、高校生になって、一つ年上の先輩を追いかけたりしているうちに、傘のことはすっかり忘れてしまいました。
そのうちに、じいちゃんは死にました。

「私、傘をさす人を、見たことがあるんだ」

じいちゃんは傘職人でした。
雨を降らせないという、技術の進歩の裏で、じいちゃんは仕事をなくしました。今では傘を作る技術だけが、薬としての傘の処方に受け継がれているだけです。

「取り残されたのだ、傘は。傘はおわりだ……」
そう言うじいちゃんが、いつも傘の中にいたことを、梨花はやっと思い出しました。

梨花は、じいちゃんの大きくてしわしわの柔らかい手が好きでした。今なら、生活が便利になる代わりに、廃業に追い込まれたくやしさから、あんな悪態をついていたのだと梨花はわかります。そうして、じいちゃんは、仕事と一緒に、自分を見失ってしまったのでしょう。いつも傘の中にいたのです。

「取り残されたのだ」
ずっと言っていたせりふは、そばにいた梨花や家族ではなく、じいちゃんが自分自身と話していた言葉だったのかもしれません。

「取り残されたんじゃない。きっと、役割が変わったんだ」
今、梨花が傘をさしていることを見たら、じいちゃんはどう思うでしょう。梨花だけでない。雨季にいる人はみんな、傘に救われているのです。

「ありがとう」
梨花はこれまで、傘の中で、ずっとずっとじいちゃんに見守られてきたんだと思いました。梨花の傘の中が、じいちゃんへの感謝の言葉であふれました。すると、さしていた傘が、消えてなくなってしまいました。

「もう、ここにはこなくていいですよ」
先生がそう言ったのは、傘をさし始めてから、二年が経ったころでした。

梨花はもう、傘をさして歩くことはなくなりました。
あんなに嫌だった傘が必要ない、生活に戻ったのです。
しかし、元に戻ったはずの生活に、一つだけ変わったところがありました。

一度傘をさしたことのある梨花は、傘をさしている人が見えるようになっていました。

そして傘の中で、暗い顔をしている人がいたら、目の前に立ち止まって、こう言ってやるのです。

「それ、いいね」

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