メディアグランプリ

『言葉の通じない母と気持ちが繋がった瞬間』


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:中川公太(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
「痛い痛いイタイイタイイタタタタタ!!」
緊張のせいもあったかもしれない。慣れない土地での生活のせいかもしれない。食べ物が体に合わなかったかもしれない。僕は激しい腹痛に襲われていた。
比較的風邪も引かず、万年元気小僧よろしく過ごしていた僕にとって、こんなこと滅多にあることではなかった。だがこのときばかりは改めて異なる土地、異なる習慣のなかに自分がいることの「異物感」を意識せざるを得なかった。
なぜなら、このとき僕はドイツにいたからだ。
中国を経由しての長旅の末、ようやくかの地に降り立って数日の出来事だった。長旅の目的は「神楽」の公演のため。伊勢神宮での「2千年際奉納」の知らせや、国営放送での朝のニュース番組の数秒の出演をどこかから知った地方紙が、スポンサーになって実現したらしい。神楽は能や歌舞伎の原型と言われているものの、現代ではマイナーな存在だった。それでも民間伝承の伝統芸能という枠では、地方都市にしてみれば恰好のコンテンツだったのだろう。
 
ドイツでの宿泊先は5日間のホームスティ、小さな町のお医者さんの家だった。僕が宿泊した先の夫婦は50代で、共に英語が話せなかった。何となく「外国人」は英語話せて当たり前、みたいな意識があった僕にとって、少し不思議な感じがした。現に若い世代や同じ年代でも英語を話せる人はいたことを考えると、日常的な生活の中で英語を使わなければ話せないというのは、世代的な要素はあるにせよ、どこの国でも変わらない話なんだと妙な親近感すら覚えていた。しかし、そんな親近感とは裏腹に、伝えられないもどかしさというものを感じたのもこれが初めてだった。
 
着いた翌日、早々にアウトバーンを延々とバスで走って目的の会場に着き、他の国の出し物に混じって神楽を舞った。「異文化交流」をお題目にしたフェスティバルだった。終えて他の出し物を見ながらホームスティ先のお母さんと昼ご飯を食べていると、お母さんが「若い者は若い者同士で話してらっしゃい」というジェスチャーと口ぶりで、隣の女の子たちに僕をけしかけようとしていた。けれど残念なことに、この時、高校1年で160cmあるかどうかだった僕にとって、明らかに170cmはある「外国のネーチャン」たちは、威圧感しかなかった。僕は全く話せずに、黙ってうつむくしかなかった。
 
3日目、ご近所さんと集まって皆でご飯を食べようという話になった。食事を終えてしばしの歓談の最中、自分がお世話になっていた家のお母さんとは直接話せず、英語の話せる近所の左官屋の親方を介しての会話しか出来なかった。自然と左官屋の親方を中心にして話に花が咲いた。親方は酒を飲みながら顔を赤らめ上機嫌だ。そのとき、なんとなくだがお母さんは「どうせアタシは英語なんて話せませんよ」といった感じで、寂しそうな、半ばやや呆れ気味の表情でそっぽを向いた。僕は内心「しまった」と感じていたものの、つい話さなければと一生懸命になりすぎて、そこまで気が回らなかった。その日の夜も、お母さんの息子たちとバーベキューをしたり、真新しい景色にすっかり目を奪われていた。
 
そんなことのあった4日目、僕は体調を崩した。原因は明らかに食べ物が体に馴染んでいなかったことだった。普段水分の多い食材、甘味の強い米を食べている僕にとって、ライ麦ベースの酸味の強い乾いた黒パンや、ややシンプル過ぎる食材の味付けは不慣れなものだった。なにより、自分の体の胃腸が強くない、ということが一番の原因だった。お父さんが具合を見て「塩分と水分を摂りなさい」ということで話が落ち着いた。ポリポリとプレッツェルをかじりながら、「こんなんで本当に治るんやろか」と半ば半信半疑であったものの、なす術なく横になっていた。
僕が弱々しくしている間、お母さんは「水は飲むか、ジュースはどうだ」とジェスチャーまじりに世話をしてくれた。表情は相変わらずムスッとしているように見えた。僕は、ぼんやりした意識の中、ポリポリプレッツェルをかじって、グビグビ水とジュースを飲んでひたすら治るのを願った。
 
滞在5日目の日も暮れる頃、腹痛もなんとか治り、ホームスティの町の中心となるオペラホールでお礼代わりの最後の舞いが始まった。演目は「大蛇退治」だが、外国の人から見たら「竜退治」といったところだろう。小規模ながらきちんとした造りのホールで、お客さんはきちんと満員だった。文化施設の劇場で舞った経験はあるものの、左右の垂直になっている二階席まで見ると、まさに壁がそそり立っているかのようだった。そこにお客さんが詰まっているのだから、まるで観客に包まれているような不思議な感覚だった。
 
そうした中、舞台は幕を開けた。見慣れぬ土地、見慣れぬ人々、見慣れぬ舞台……。
劇場は、笛の音に鳴り、太鼓の音に震え、鐘の音に響き、小太鼓の調子に整えられた。そうなれば、もはや国は関係なかった。今やここは神話の舞台だ。生贄に差し出されようとする姫はしなやかに舞い、救いにやってきた英雄が雄々しく参上する。ついに、煙を吐き、とぐろを巻いた大蛇が現れた。大蛇は鎌首を上げ襲いかかり、英雄はそれを避けて身を翻し切りかかる。舞いは、力強かった。
全ての観客、そこにいるお母さんの心を揺さぶるために、僕らは意識の底を研ぎ澄まし続ける。
 
全て終えたとき、かつてない緊張と集中で、僕はすっかり空っぽになっていた。それに対して、劇場はたくさんの拍手で満たされた。拍手は、いつまでも暖かく続いていた。
 
着替えて、ようやくお母さんのところに会いに行ったときのことだった。
お母さんは大きな体に両腕をいっぱいに広げながら、それまで見たことのない満面の笑顔で、何かを一生懸命伝えてくれた。その姿にこの5日間を重ねたとき、僕はハッとした。
 
そばで、ずっと見守ってくれていたんや……。
そう、異国のお母さんは常に僕を気遣ってくれていた。若いネーチャンと話しをさせようとしたり、言葉が通じずとも一緒にご飯を食べてくれたり、息子達とバーベキューに行かせたり、もちろん、腹痛で寝込んでいる僕を看病してくれていた時も。ずっとずっと側にいてくれた。わだかまりや気恥ずかしさを感じていたのは、僕の方だった。
 
そしていま、伝わらないはずの言葉で熱く語りかけてくるその姿に、今度は僕が激しく揺さぶられた。言葉が伝わらなくとも、全てで感情を伝えてくれていた。
それは絡まった糸が解けるように、するりと心をほぐしていた。
 
僕は思わず、ワッ!! と腕を広げながら力いっぱいハグをして、両の頬に親愛のキスをした。
やっと、異国のお母さんと気持ちが繋がった瞬間だった。
空っぽだった僕は、喜びで一杯になった。
 
 
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2018-02-02 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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