メディアグランプリ

僕たちは「自分という最大の矛盾」を「統合」する旅に出る


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:こっき(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
目の前にたくさんのノートがある。
 
どこにでも売っているCampusのノートに、少し値段の張るモレスキンのノート。無印良品で買ったリング綴じのノートもある。形状も値段もバラバラだけれど、どれもA6のポケットサイズだ。
 
無造作に箱に入れた状態で、書斎の一角を占領している、このノートたちは、数年にわたって、僕が書き貯めてきたメモの集積だ。冊数にして100冊は下らない。我ながらよくこれだけ書いたものだ。
 
書かれている内容も一見するとバラバラだ。
単なるメモのように見えるものもあるし、日記のようなページもある。タスクリストのようなものや、ただの思いつき。アイデアを図示したもの。そして、気ままなスケッチなどだ。日常的な内容から、仕事のこと、家族に関することなど、テーマにも一貫性はない。単なる「脳みその垂れ流し」と呼んでもいい内容だ。
 
実はこれは「モーニング・ページ」という自己啓発ワークだ。
世界的ベストセラーになっている「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」という自己啓発書の中で紹介されているもので、頭の中の考えをノートに書き出す習慣を続けることで、自分の中の「創造性」が解き放たれる、とされている。
 
「モーニング・ページ」のやり方は簡単だ。
毎朝、ノートに3ページ分、とにかく思いついたことを書き出す。それを少なくとも4か月間は続ける。書いたものは自分でも見返さない。とにかく書き続ける。ただ、それだけだ。
 
何も書くことがないときは「何も書くことがない、何も書くことがない……」と、やはりノートに3ページ分書き出す。すると不思議なことに、何かしら書くことが思い浮かんでくるのだ。
 
自分の頭の中にある情報を吐き出すことで、ぐるぐると同じところを巡ってしまう雑念をデトックスし、「空き容量」を確保することで、常に「最新の思考」で頭を満たすことができるようになる。
 
「最新の思考」を続けることで、これまで思いつかなかったアイデアが思い浮かんだり、アーティスティックな創作意欲が湧いてきたりするというわけだ。なかなか、どうして理屈が通っている話だ。
 
僕は騙されたと思って、このワークを習慣化してみることにした。
まずは本に書かれていた4か月をやり遂げ、終わったあともさらに1年間にわたって毎日書き続けた。2年目からは毎日ではないにせよ、日常的にノートを持ち歩き、頭に雑音が流れ始めると、すかさずノートを取り出し、「脳みその垂れ流し」を行うようにした。
 
用意するノートをポケットサイズにしている理由は「その時」を逃さないためだ。
家にいるときも、風呂に入るときと寝るとき以外は常にポケットにノートとボールペンを入れていた。
 
この習慣を始めてから、たしかに僕は変わった。
頭がいつもクリアになり、考えをすぐに言語化できるようになってきた。思考が生まれる、それを書き出す。思考が雑念になる、また書き出す。すると、また新たな思考が生まれる。この回転速度が異様に早くなっていった。
 
思考の「速度」だけではない。思考の「深さ」も変わってきたように思う。
自分という「氷山」の上に浮かんだ「アイデア」だけでなく、その水面下にある「過去の経験」や「自分の価値観」などを、一緒に可視化できるようになったのだ。
 
自分の頭の解像度が上がったことで、仕事も上手くいくようになった。
業務上求められていることが何かを素早く察知して、行動に移すことができるようになった。周囲からの評価も上がった。
 
プライベートでは、ブログを開始することにした。
ノートに書いていることを記事にするだけで、コンテンツになっていった。今まで気づかなかった自分が表出し、仕事に、人間関係に、自信が持てるようになった。この習慣のおかげで、自分の頭は解き放たれたのだ。最高じゃないか。
 
そう思い始めた矢先のことだった。思わぬ「副作用」が待っていたのだ。
それは溜まっていたノートを見返したときに気づいたことだ。そこには「自分という人間の矛盾を証明する情報」が満ち溢れていた。
 
あるページには「聖人君子的な自分」がいたかと思えば、次のページには「下劣で卑怯きわまりない自分」がいた。アイデアを理路整然と書き留めた「論理的な自分」がいたかと思えば、支離滅裂な「狂人の叫びを書きなぐる自分」がいた。
 
自分のことを「世界で一番素晴らしい人間だ」と思えた日の日記があったかと思えば、「生まれてきたことを世界中の人々にお詫びしながら消え入りたい」という日の日記があった。
 
まるで「振り子」にでもなった気分だった。
「創造性の解放」を目指した結果、「自分の振れ幅」を想定以上に広げてしまったことで生まれた「自分の中の矛盾」に乗り物酔いをしそうな状態だった。
 
思考の自由を手に入れた一方で、自分が一貫した人間ではないことを思い知らされた。
気持ちがいい反面、何やら情けない気持ちにもなった。落ち着かない気持ちにもなったし、こんな人間のままこの先どう生きていくのか、恐ろしい気持ちになったのだ。
 
対策として、決めたことが2つあった。
1つは「モーニング・ページ」は続けたとしても、内容を見返すことは基本的に避けること。そしてもう1つは、対外的には「感じの良い方の自分」だけを発信し続けること。
 
家族や同僚との関わり方、仕事のアイデアの出し方、ブログ記事の内容。
すべて「世間体の良い自分」だけで塗り固めて、毎日を過ごしていく作戦で行くことにしたのだ。
 
初めのうちは上手くいった。
自分自身は100%自分を解放した状態を知っている。そして、表向き発信する情報は良きように加工した「半分」だけにする。このまま生きていけばいいのだ、と思えた。しかし、徐々にこの作戦が上手くいかないことがわかってきた。
 
日常的に「隠された方の自分」が無意識に出てきてしまうことが続いたのだ。
ニュースを見ているとき、家族と一緒に過ごしているとき、仕事をしているときに、もう一人の自分がささやくようになった。「お前はいま全く逆のことを考えているじゃないか」という声が聞こえた。
 
一度広がってしまった「自分の振れ幅」が元に戻ることはなかった。
そのことに毎日、気づかされることになった。善と悪、明と暗、勇者と卑怯者の間を行き来する自分こそ、本当の自分であり、表立って取り繕っている顔は、自分のほんの一部でしかないということを思い知らされた。
 
何か情報に触れるたびに、すべての自分が発動した。
何か発想しようとするたびに、すべての自分が声を上げた。
そんな自分の中の振れ幅の大きさが、「現実を取り繕う自分」という小さい入れ物に収まりきらなくなってきたのだ。
 
必死でごまかしていたが、自分でも気づかない間に何かが滲み出ていたのだろう。
ある日、上司から、僕の今後のキャリアに関するアドバイスとともに、普段の仕事ぶりについてフィードバックを受けることになった。
 
「君は何をやっても及第点に仕上げる。でも、どれも命がけでやっているようには見えない。人生をかけて、心の底からやりたいことは何か。じっくり考えてみてほしい」
 
「ばれていた」と思った。
自分をセーブしながら、それなりの仕事しかしていないことが気づかれていた。自分自身も「自分の半分」でしか生きていないことに、あらためて気づかされることになった。
 
その日の夜に、僕は必至で考えた。
命がけで勝負する自分とはどういう状態か。どうすればそうなれるか。それは出世とか、給料とかではなく、人生をかけて取り組みたい「テーマ」に取り組むことでしか実現できないのではないか。ではその「テーマ」とは何か。
 
それまでの自分を総ざらいして、今まで覆い隠していた自分の声にもきちんと耳を傾けた結果、聞こえてきたのは「人と組織をイキイキ、ワクワクさせること」に取り組みたいという思いだった。
 
それが一瞬の気の迷いではないと確信が持てた僕は、次の日には異動を願い出ていた。
幸運にも、「人材開発・組織開発」という仕事ができることになり、全力で仕事に取り組む喜びを手に入れることができた。
 
「自分という振り子」を振れば振るほど、「本当の自分」が見えてくる。
「自分の中の矛盾」の全部に目配せすることで、正しい挑戦のきっかけを掴めるし、あえて勢いをつけて振ってみることで、人生そのものが広がり始める。そんな感覚を持った。
 
恐れずに「振り子」になることを決めた僕は、面白いことに気が付いた。
同じように「振り子」のように、自らの中に「矛盾を抱え込む」人々に多く出会うようになったのだ。仕事で、勉強会で、プライベートで。自分の中の矛盾を否定することなく、素直に受け止めながら、それを楽しんでいるように見える人に多く出会うことになった。
 
彼らは一様に魅力的に映った。素直に自分に向き合う人は皆「振り子」なんだと思った。
孤独ではない。いやむしろ、この感覚は今後、自分らしく働いたり、生き抜いたりしていくうえでは必要なスキルになっていくのではないか。そんな風に思えるようになってきた。
 
「振り子」となった僕に、もう1つ不思議なことが起こった。
それは「ライティング教室」との出会いだった。職場の同僚に薦められたことがきっかけで、立ち寄った小さな書店で、ちょうど受講生を募集していたので、参加することにしたのだ。
 
「本屋でライティング教室?」と初めはいぶかしく思った。
一見すると、小さな店内にこだわりの本だけ並べた普通の書店だったが、実際はここを拠点に多数の講座や部活動などのイベントが開催されている「人と情報の交差点」のような場所だった。
 
「ライティング教室」では、毎週、課題を出すことが求められた。
2000字の文章を提出し「合格」がもらえると書店のウェブサイトに掲載してもらえる。
 
僕は必死に取り組んだ。
上手くかけたもの、書けなかったもの、どちらもあった。自分の中で納得できたもの、できなかったもの、どちらもあった。頑張った甲斐もあって、何回かは「合格」をもらいウェブサイトに掲載された。
 
風邪をひき、弱気になって人生を考えた話。
諦めた夢を、今の現実にこじつけることにした話。
祖母の一言に、ずっと囚われていた自分の話。
貧乏ゆすりをやめられない話。
おじさんの自分を、まぜそばに投影した話。
上司に更迭されて、悔しかった話。
勉強会で頭がおかしくなりそうになった話。
四国から逃げ出すように転職した話。
経験を武器におじさんが革命を起こす話。
 
どれも、自分の良いところも悪いところも、全部入りで、いま心から思っていることを素直に書ききった記事ばかりだ。
 
逆に自分の良いところ、悪いところのどこかを出し切れず、隠したまま書いた記事は「合格」をもらえなかった。これが何を意味するのか、考えてみた。
 
答えは簡単だった。
100%の自分をさらけ出さずに書いたものなんて、自分が書く意味がないということだ。「ライティング教室」で学んだのは「文章を書く技術」ではない。「100%の自分を表現しきることの大切さ」だった。
 
人は誰しも「自分の中の矛盾」を抱えて生きている。
そして、その中には「今の自分が認めたくない自分」も必ず含まれている。でも、実際はその「自分が認めたくない自分」という「最大の矛盾」をも飲み込んで、1つに「統合」することで、初めて「本当の自分」に近づけるのだと思う。
 
僕は「僕という人間の矛盾」を100%受け止めていこうと思う。
受け止めるだけではなく、その矛盾を「統合」して、それを発信していこうと思う。
 
「ライティング教室」が終わったら、その先は一人で旅に出ることになる。
「自分という最大の矛盾」を「統合」し続ける、果てのない挑戦の旅だ。
 
まず手始めに「自分の半分」でしか書けていなかった個人ブログを再始動する。
「自分ハック。」というタイトルを付けながら、実際は全然「自分をハック」できていなかった記事たちを生まれ変わらせようと思う。
 
これからは自分のすべてを統合して、文章を書き続けてみる。
自分という「振り子」を最大限に揺らしながら、その揺れる範囲にあるものを全部拾い集めながら、心から伝えたいこと、伝えるべきことを発信していく。
 
大量のノートの山として積み重ねてきた、「隠していた自分の半分」という重要なデータベースを、今こそ「一番の味方」につけて、僕はもっと僕になって、僕にしか書けない文章を書いていこうと思う。
 
よし、やるぞ。

 
 
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2018-02-02 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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