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フランス文学科の教授は、みんなルパン三世だった


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記事:本木あさ美(ライティング・ゼミライトコース)
 
 
「こういうの、エッチでいいよね」
 
白髪交じりの教授はそう言って、知的な眼鏡の奥に少年のような笑みを浮かべた。ワインレッドのタートルネックが憎らしいほど似合うひとだった。
 
この言葉を聞いた瞬間、「フランス文学科を選んで良かった……」と私は心の底から思った。五感が歓喜で打ち震えるような、色彩や音や香りに満ちた世界を求めて、この学科を選んだからだ。
 
 
高校時代、これといって打ち込むことが見つからなかった私が唯一興味を持ったのは、香水図鑑だった。
 
心の奥底にある故郷の風景や、不意に恋に落ちた瞬間の気持ちを無色透明の一滴に込める人たちがいる。数々の伝説を持ち、名香として長年愛されている香水がある。そんな世界を垣間見ている間だけは、覚えたくもない英単語や興味のかけらもない数式の羅列に疲れ切った心に、潤いが戻ってきた。
 
その図鑑には、こんなことが書いてあった。
 
「フランスの文豪、マルセル・プルーストの『失われたときを求めて』という小説の中に、『紅茶にマドレーヌを浸して食べ、その香りで幼少期を思い出した』というシーンがある。プルースト効果と呼ばれるこの現象は、嗅覚と記憶の密接な関係を物語っている」
 
読んだ瞬間、「これだ!」と思った。私は、やっと求めていた世界を見つけたのだ。偏差値やら模試やら、今目の前にある、なんの面白みもないモノトーンの景色とは全く違った風景が、フランス文学科に広がっているに違いない。感性豊かなひとが集まり、五感が喜ぶような世界が、そこにあるに違いない。そう確信した私は、「フランス文学科に進む」という目標を立て、それを実現した。
 
実際に入学してみると、フランス文学科は想像以上にパラダイスだった。
 
フランス文学は読むだけで生命力に溢れた色や芳しい香りを伴った景色が浮かんできたし、フランス語の音色はどれも、愛の囁きのように美しかった。そしてなにより、男性の教授がみんなダンディーだった。
 
大学を卒業して10年近く経った今でも、忘れられないことがある。
 
フランス語文法の講義中に、教授が生徒を指名し、テキストのある例文を和訳させた。こんな文章だったと記憶している。
 
「目を覚ましたとき、彼女はもういなかった。私は枕に顔を埋めて、彼女の髪が残していった、海の香りを探した」
 
この文章について教授が放ったのが、冒頭の言葉だった。
 
この文章は、フランスの作家アルベール・カミュの『異邦人』という小説の文章だった。いくら有名な小説だからって、こんな艶っぽい文章を文法のテキストに載せるなんて……。そして、「エッチでいいよね」と言って、めったに笑わないひとが少年のような笑顔を見せるなんて……。
 
目の前で繰り広げられていることの全てに、フランスっぽさを感じた私は、フランス語文法のテキストの出版社にも、目の前の教授にも、心の中で惜しみない拍手を送った。
 
満ち足りた気持ちで校舎を出ると、コツコツコツと心地よいリズムを奏でる靴音に気づいた。
 
パンプスの音ではない。男性の革靴の音だ。せわしなく先を急ぐこともしなければ、他のひとに先を譲るほど誰かのそばを通ることもない。ただゆったりと風景に溶け込むように、自分のペースで歩いている。
 
その靴音を聞いただけで、自分の世界を確立した素敵な男性であることは想像がついた。
 
振り返って、私は納得した。フランス文学科の別の教授が歩いていたのだ。
 
黄色く色づいたイチョウ並木を歩くそのひとは、シワひとつないトレンチコートを着ていた。襟を立て、中折れ帽を目深にかぶり、えんじ色のパンツをエレガントに着こなしていた。
 
ポケットに手を入れて、少し目線を下げて歩くその姿には、古いアルバムをめくって過去を慈しむような風情があって、目が離せなくなってしまった。
 
何時間でも眺めていられる、日本とは思えない光景がそこにはあった。
 
 
今思うと、彼らはみんなルパン三世だった。
 
いつも知的で切り返しが面白く、身のこなしは洗練されているように見えた。本当に気に入った物しか身につけないから、そう見えたのかもしれない。
 
紳士的で優しいひとばかりだったが、本気で相手にするのはきっと、とびきりの美女だけに違いない、と思わせる色気があった。
 
ニヒルで斜に構えているようなところもあったが、自暴自棄に陥ることは決してなかった。最後は笑いに変える、それはフランス文学も同じだった。
 
ある教授は、教室に入ってきて開口一番こう言った。
「今日は風邪気味だから、ホットワインを飲んで早く寝ようと思う」
 
風邪気味であることを嫌がるでもなく、風邪薬を飲むのでもなく、ただ、ホットワインが美味しく飲めるな、と思う。
 
どんなことも、愉しめることを彼らから教わった。
 
フランス文学科で身につけたことは何かと聞かれたら、「どんなピンチも笑い飛ばす鈍感力」だと即答できる。楽観主義と言ってもいいかもしれない。この力にどれだけ救われてきただろう。
 
この力を身につけさせてくれた教授たちは、私のヒーローだ。
 
大学を卒業して10年近く経った今でも、彼らのことを思い出すと胸がギュッとなる。
 
私の心は盗まれたままなのだ。
 
胸の高鳴りを抑えたくて私は、フランス語のテキストに手を伸ばした。
 
 
 

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2018-02-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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