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x2+y2の対称式問題に父親が紛れ込んでいた話


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:近藤頌(ライティング・ゼミ平日コース)

 

x2+y2を対称式で表してみよう!

 

この問題に出会ったのは確か23歳の時である。中学、高校と部活ばかりで勉強をろくにしてこなかった人間にとって、この問題はまず、何を表してみよう、と呼びかけられているのかわからない。まるで、目の前にあるリンゴを手に持ってみようとでも言われているような気軽さ。困惑するばかりであった。

 

対称式とはある式を別の形にした式のことで数学の項目でいうと展開、因数分解で習うところである。

 

意地か無力さへの反抗か、答えを見たがらなかったぼくは30分ほど格闘した末、自分なりの解答を出すこともできずに答えへのページをめくることになる。答えを見てぼくはびっくりした。

 

x+y=(x+y)−2xy

 

どういうこと!

どっから“−2xy”は出てきた!? と。

 

知っている方にはあくびの出る話なのだが当時の自分には衝撃的であった。

 

簡単にこの解答の説明をすると

“x+y” に似ている展開の式がありそれは

(x+y)=x+2xy+y

なのだが、要するにこの「+2xy」の部分をなくせればいいんじゃね、ということで「−2xy」を持ってくる、というのがこの解答の趣旨であった。

この

「(x+y)=x+2xy+yを持ってくれば解けるんじゃね」

という考えがぼくにはどうしても出てこなかったわけだ。

 

ぼくは、はたと立ち止まった。

実際には椅子に座っているわけだから、立ち止まるという感覚はおかしいのだが、だが実際に立ち止まったような感覚に身が包まれた。

これは何かに似ている感覚だ。

 

どれだけ簡単にできそうに見えることでも、それを最初に思いつき実行することの難しさを説く話。これはコロンブスの卵の話だ。まさに公式や解法を知らずに挑む問題というのは大変に難しく解を得るのは並大抵のことではできない。これはまぁ、そうだなぁ、とは思うもののいまいち合点がいかない。

ぼくが気になったのはこの問題のこと。

“x+y”の対称式を考えるこの問題は、その式だけを見つめていてもなんら解決策は見出せないというこの点。

つまり外側、

“x+y”という式の外側から、

“(x+y)=x+2xy+y”という、

なんだか似ている式があったな、という意識を見つけてくる必要があるというこの点がどうも気になったのだ。

 

この問題解決に向けての意識の向け方に、ぼくは思い当たる節々を感じずにはいられない。

 

ぼくの短い人生の中で一番の悩みごとを挙げるとすれば、それは実の父親との関係であった。

その父親に対して、ぼくにはどうしても許すことのできないわだかまりがあって、小学校高学年から22歳までの約10年間、お互いに詰め寄ることもせず、向き合うこともせず、遠くから眺めて観察し合うような、それでいて存在を否定し合っているような、そんな無味無臭な関係を続けてきた。

 

エディプスコンプレックという言葉に代表される、息子は父親を憎む運命なのかはさておき、あることをきっかけにぼくは父親を憎むようになった。そしてその憎しみをいつからかぼくは、エネルギーとして活用するようになっていった。負の感情を否定し快活に生きていくためのエネルギーとして。

しかし所詮憎しみから生まれたものは憎しみへと帰結するらしく、ぼくの快活さは他の人を傷つけてしまうようだということを、中学、高校、社会人と歳をとるたび、また関わる集団が変わるたびに強く感じ始めた。それは、いうならば活き活きすることの強制強要であり、自分だけでなく他者にも快活さを求めての苛立ち。自分は頑張ってイキているのだから、お前も頑張ってイキろよ、というような具合に。

 

なんでもそうだが、強制されると息苦しくなってくるものである。初めは自分のわかりやすい快活さに近寄ってきてくれた人も、その息苦しさにだんだん耐えかねて、ぼくはどの集団に混ざっていっても、最終的に孤立することとなった。

 

そしてぼくは考えたのである。

どうしてぼくは孤立するのかを。

答えを求めて、内側へ内側へ。

自分の性格、好きなもの、嫌いなもの。なぜ好きなのか、嫌いなのか。人の好みの境界線。許せないもの、こと。追い求めているもの。妥協するべきなのか否か。自分の言動。何を言ったか。誰に何をしたか。

 

わからない。

 

何を自分はしているのか、何を求めているのか、ぼくはわからなくなった。

そして気づく。今回も自分の周りには誰も残らなかったことを。

いつものように帰宅し寝床につく。そして耳にした。同じ家に住みながら存在をひた隠しにしていた、いびきの主を。

 

ぼくはその時直感した。

これは父親という他人のせいにするのとは全く違う感覚だった。ぼくの中に生まれた感覚。それは発見と似た感覚であった。

ひた隠しにして存在を葬り去っていた父親に、実はすがりついている自分の姿。父親がしでかしたあの経験があるからこその今の自分である、との言い訳にしがみついている自分の姿。憎い父親がいるということを内心では、剣を手にした少年のように、誇りに思っている自分の姿。

 

これには冷や汗が出た。

つまり今の自分が抱えたと思っているものを解決するためには、どうしても父親と対峙しなければならないことを示していたからだ。

その父親はぼくにとって、憎い存在であるのと同時に、この世で一番恐ろしく目を合わせるのも嫌な存在であったのにも関わらず。

 

しかし、自分の内側を考えていても見えてこなかった先、未来への期待感が、父親という外側から持ってきた意識によって開けたような気がした。とにかく話してみることで何かが変わるような、何かを手放せるような、そんな何かがその後のぼくを突き動かした。

 

その結果、ぼくは父親と和解することができた。

もう二度と会いたくないという気持ちも共存してはいるが、今は大変穏やかに日々を過ごせている。

 

そんなこともあったからか、

「“x+y”の対称式は外側から別の事柄を持ち込むことで解を得られる」

というひとつの解法は

ぼくにとってとても印象深く心に残ったのだ。

 

たぶんこれからも、ぼくには色々な悩みや問題が降りかかると思う。

現に今は別の問題に取り組んでいる。解決と言える解決にありつけないことももちろんある。

けれどもぼくは、解決の糸口を探さないという選択はしないだろう。なぜなら「探す」ということそのものに、なにやら魅力を感じ始めているからだ。

 

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2018-02-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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