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メディアグランプリ

かげぼうしの京都


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:羽田さえ(ライティング・ゼミ水曜コース)

 
 
京都は、かげぼうしみたいな街だ。
シェイクスピアの言葉に「恋はまことに影法師、いくら追っても逃げて行く、こちらが逃げれば追ってきて、こちらが追えば逃げて行く」というのがある。京都はまさにそんな街だ。シェイクスピア風に言うならば、京都はまことに影法師。
 
小さい時から京都が好きだった。岐阜の山奥で育った自分にとって、京都は憧れだった。進学先も、京都の学校の中から決めた。街のすみずみまで知りたくて、講義のある日もない日も、あちこち出かけていた。
 
琵琶湖疏水のふちを彩る桜並木。蝉しぐれの中の貴船神社と、ひんやりした川床。叡山ケーブルでくぐる紅葉のトンネル。薄く雪化粧した天龍寺の庭園と、その向こうに続く嵐山。四季折々の京都は、どれもこれも美しくて洗練されていて、たおやかで重厚であでやかで濃密だった。
 
風景だけではない。京都にはおいしいものも山ほどある。老舗料亭には行けなかったけれど、学生に手の届くグルメもたくさんあるのだ。「三木鶏卵」のやわらかなだしまき玉子に、「イノダコーヒー」の、ちょっと酸味のある珈琲。出町柳商店街の「ふたば」の豆餅。どれもこれも、1000円札で買える京都の味だった。
 
しかし京都はどこまでも奥が深くて、時おり不安にもなる。風景も文化も、人々の発する言葉も、どれも本当のものではないような気がする。真髄は、どこか全く別のところにあるのではないか。暮らしている京都のことを、いまだに何も知らないのではないか。そんな薄気味悪さを感じることもあった。
 
それでも、それは自分の理解と情熱が足りないせいだと信じ、京都を愛しつづけた。お地蔵様の祠にお参りし、河原町通りの古本屋に通い、川べりの風景の移ろいを眺めた。どこまでも京都が好きだった。
 
学校を卒業すると、仕事の都合で東京に住む事になった。都落ち、東下り。そんな気持ちで嫌々ながら住み始めた東京は、おそろしい街だった。
 
朝の田園都市線は大混雑だし、表参道を歩く女性たちのコーディネートは、寸分の隙もない。幼稚園児までも巧みに標準語をあやつり、うどんの出汁は真っ黒で塩からい。京都は良かった、京都に帰りたい。そんなことばかり思った。京都への愛は冷めることはなく、休暇を取っては京都へ通いつづけた。
 
しかし東京から逃げるようにして訪ねた京都は、どこかそっけなく、つれなかった。年に数回行くくらいでは、京都はよそよそしい顔しか見せてくれない。古都なんて言うけれども実はスクラップアンドビルドが激しく、物事の移り変わりも驚くほど早い街なのだ。
 
京都には永遠の片思いだ。少しくらい住んでみても通ってみても、自分のものにはならない。うらはらで、決して心を開いてなんかくれなくて、ただ黙って抱かれているしかない。不実だわと思うのに、またすぐに恋しくてたまらなくなる。そんな街だった。
 
一方の東京はとてつもなく懐の深い街で、どんな地方の出身者でも、自然にまぎれ込むことができる。岐阜生まれだからと言って、何と言うことはない。5年も過ぎたころには、すっかり東京に馴染んでいた。学生だったということを差し引いても、京都では自分はどこまでもよそ者だった。いつのまにか、東京もなかなか居心地が良いじゃないの、と思うようになった。あまりの片思いぶりに嫌気がさして、優しくしてくれる男になびいたようなものかもしれない。
 
しかし皮肉なもので、京都への思いが薄まると、今度は向こうから猛烈に追いかけてくる。印象的なCMとなってテレビ画面いっぱいに現れたかと思うと、平積みの旅雑誌の表紙になって、存在をアピールしてくる。桜や紅葉の季節には、電車の中吊りにもSNSにも美しい京都があふれる。忘れていたはずなのに、そうだ京都行こう、なんてついつい思ってしまう。また冷たくされると分かっているのに。
 
京都はかげぼうし。とらえどころがなく、追いかけるほど逃げて行くのに、こちらが逃げれば全力で追いかけてくる。どこまで行っても手に入らない存在でありながら、自分自身と分かちがたく結びついて、決して離れることがない。
 
そんなことを思いながら東京での暮らしも10年以上が過ぎたころ、今度は熊本に引っ越すことになった。まったく初めての土地に移り、慌ただしい毎日を送るうちに数年が過ぎた。
 
いつのまにか、岐阜、京都、東京はどれも同列で、かつて住んでいた街のひとつに過ぎなくなった。色々な街に住むということにも耐性がついてきたのかもしれない。今すぐ帰りたいと恋い焦がれるような思いは、どの街にも持たなくなっている。
 
もう、そうそう頻繁に京都へ行かなくたって平気なのではないか。
ようやく私は京都という街との距離感を、つかめてきたのかもしれない。かげぼうしに振り回されることなんて、もうなくて良い。
 
そんなふうに思っているが、そろそろ桜の季節が気になってきた。国立博物館の展示も、魅力的なものが次々とかかる予定になっている。さらに以前から興味のあった本屋、「天狼院書店」が3つめの拠点として京都に出店したらしい。京都に行きたい理由は、どんどん増えていく。
 
さて今年は、いつ京都に行こう。
 
 
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2018-02-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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