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かぶりつき座席確保は精神安定剤


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:木戸 古音(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
小学校のときから授業を、かぶりつきの座席で受けるのが好きだ。
内弁慶なのに、なんでかぶりつきなのか、引っ込み思案な私がどうしてわざわざ最前列にしゃしゃり出るのだろうか。
第一の理由は強度の近視のため、学校時代は優先的に席を与えてくれた。
また誰かの講演会、大学の授業なども皆が避けがちな前の席に我先に陣取る。
そのため会場にはいつも人よりは早い目に出向いた。
教師から指名されやすい、発言を求められる、講演時では途中退室もしにくいにもかかわらず。
はては映画館、コンサートでも音のバランスを犠牲にしても指揮者、演奏家に近いところがいい。我が事のように体感したい。
「かぶりつき」の語源のもとの歌舞伎や演劇物でもそうだ。
観光バスや夜行バスの席取も、前の方に座りたい。
笑われるかもしれないが入試では、端っこであろうとも、前列なら落ち着いて解答できる。黒板、試験官に近いのがいい。狭い入試会場の座席は前の席の人がガサガサすると途端にすぐ後ろの人の机に響いてきて落ち着かない。そもそも競争は嫌いな自分にとって、他の受験生の背中、そのまた背中を見ながら難問に取り組みたくはない。
こうしてみると、何か積極的に関わりたいというより、
むしろ「とりあえず人生に乗り遅れたくない」という
一種の焦りなのかもしれない。
今思うに、疎外感、劣等感にさいなまれたり、仲間外れにされた結果、自己防衛からくる自意識過剰のなせる業かもしれないと、ふと思う。
 
私は男三人の末っ子として生まれた。甘やかされた反面、ずっと敗者意識があった。
母は何かと、次のように言ったものだ。
「兄ちゃんは魚食べても、猫がまたいで通り過ぎる程、きれいに身を食べるのにな」
「兄ちゃんは参観日にいつも来て、来てというのに比べ、恥ずかしいから来たらあかんで、ばっかりや」
ざっとこんなものだ。
「敗者扱い」ということは肝心かなめの時、いつも外野席にいる感覚だ。
子ども心にひどく傷ついてきた。
「ええいままよ、なるようになれ」
とばかり、だれも認めてくれないまま自暴自虐的になりがち。
被害妄想にも、さいなまれる。
一方で自身の世界に閉じこもって、自分で自分を可愛がる傾向になったかなと思える。
ナルシストというやつか。
社会に出たら、個々人の家族構成とか、出自などどうでもいい。
ただ今ある目の前の「人間」を見、そこから評価が始まる。これは道理だ。そうでなければ他人同士で構成される組織がなりたたない。
 
さてこのナルシスト、自己愛というのが実に厄介だ。
社会に出ると組織や社会に危害を加えないよう努力しなければいけない。
大きなストレスだ。
文章を書くにもナルシストから生じる独りよがりは評価されない。
一旦、自分を押さえ込んで出来るだけ噛み砕いて万人向きに進めて行かないと
誰も読んではくれないだろう。
ナルシストは元来文章を書くのには適していないとまでは言わないが、
読み手にそっぽを向かれるような独りよがりの文では救いようがない。
 
正直、疲れた。
なぜなら、小学校以来文章を書くことには自信もあり、少なからず余裕を持っていたから。
わずかな短文を書くにも随分と時間とエネルギーを費やしても、
出来上がった結果に対しては大概、満足のいくものであった。
だから文章を依頼された場合、喜んで引き受けてきた。
講演まがいも同様、話したいことが山ほどあるとおもっている。
 
いままで、なりふり構わず書いてきたことがこの場に臨んでかなり怪しくなってきているという現実を受け入れられないでいる。
見渡す限り、すがる藁の一本も見えなくなってしまっているのだから。
 
一方で、我がライフワークの音楽や美術絵画、特に美術の世界はどうだろうか。
これらの世界ではナルシスティックな領域へ入り込まないと個性ある創作というのが成り立たない。少なくとも自己愛の強い人ほど個性あふれる作品を生み出すことができると思われてきた。
「じゃあ、絵描き、美術家にも名文家がいるのはなぜ」
こういう声が聞こえてきそうだ。
美術家で名文を書く人は、少なくとも自己をおさえて客観視して己を探っているのだろうか。その上で第三者に分かりやすく伝わるように噛み砕いているのだろうか。
そうだとすると私が文を書くとき、より具体的に噛み砕き深めていかなくてはいけないのだ。
 
かぶりつきの好きな自己を考えているうちにナルシストとしての一面が浮かび出た。
我がライフワークの美術活動ではナルシストの面を出す事でより個性的な作品を生み出せると思っている。私は文章の書ける絵描きを目指す。
だからこれは矛盾に満ちた大きな問題提起だ。
 
それでもこのかぶりつきの確保だけは私はこれからもあきらめないだろう。
かぶりつきは人生に乗り遅れないための方策なのだろうか。
いや違うと思う。
私にとって、かぶりつきは喫茶店で居心地の良い窓際の隅の席を確保するのと似ている。
こころの平安を得る精神安定剤なのだ。
これからも前向きと、こころの安定を求めてかぶりつきを選んでいくだろう。
 
 
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2018-02-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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